子どもの成長は、ときどき私たちの予想を静かに超えていきます。「難しいかもしれない」と言われたことの向こう側で、その子自身の中にある小さな“好き”が、まるで灯りのように道を照らしはじめることがある。歩くことも、人と関わることも、言葉を出すことも簡単ではなかった男の子が、やがて舞台の真ん中に立つようになるまでの時間は、私にとって何度思い返しても、奇跡という言葉に近いものです。
「無理かもしれない」の先で、子どもは踊りはじめる
ラフダイのトレーニングの中では、日々いろいろな子どもたちと出会います。
うまくいったこともあれば、時間がかかることもある。すぐに変化が見えることもあれば、何年もかけて、ある日ふと「あれ、こんなことができるようになっている」と気づくこともあります。
今回は、長く通ってくれている子どもたちの成長について、少しずつ紹介していきたいと思っています。
その中でも最初に思い浮かぶのが、ある男の子のことです。
彼と出会ったのは、おそらく小学校低学年くらいの頃でした。
その子は、生まれた時からとても重い病気を抱えていました。クルーゾン病、そして水頭症。生まれてすぐに手術を受け、頭の中にはシャントも入っていました。
ご家族は、お医者さんからこう言われていたそうです。
歩くのは難しいかもしれない。
普通に生活することは困難かもしれない。
もちろん、医療的な見立てには根拠があります。命を守るために必要な現実的な言葉でもあります。
でも、子どもの成長というものは、ときどきその言葉だけでは収まりきらない広がりを見せることがあります。
私が初めて彼に会った時、たしかに言葉はまだあまり出ていませんでした。
人との関わりも簡単ではなく、歩き方もふらふらしている状態でした。身体のバランスを取ることも難しく、こちらが見ていても「どう関わっていけばいいだろう」と慎重になる部分がありました。
ただ、その子にははっきりとした“好き”がありました。
ダンスが好きだったんです。
音楽が好きだったんです。
最初は、人と距離を縮めることも簡単ではありませんでした。気持ちの面では不安や抵抗もあったと思います。新しい場所、新しい人、身体を動かすことへの難しさ。いろいろなハードルが彼の前にはありました。
それでも、心の中に「ダンスが好き」「音楽が好き」という灯りがありました。
その灯りが、少しずつ彼を前に進ませてくれたのだと思います。
最初から大きく変わったわけではありません。
こちらが声をかけ、気持ちが乗るように伴走し、無理をさせすぎず、でも可能性を閉じずに支えていく。そういう関わりを、コツコツ、コツコツ積み重ねていきました。
療育やトレーニングの現場で大切なのは、できないことをできるようにすることだけではありません。
その子の中にある「やってみたい」を見つけること。
そして、その気持ちが消えないように、そばで支えることです。
子どもは、自分の“好き”に触れた時、こちらが思っている以上の力を出すことがあります。
義務では動かなかった心が、音楽でふっと開く。
説明では届かなかった身体が、リズムに乗って少しずつ反応する。
誰かに言われたからではなく、自分の内側から「やりたい」が立ち上がってきた時、その子の成長はまったく違う動きを見せはじめます。
彼もそうでした。
少しずつ人との距離が縮まり、少しずつ身体の使い方が変わり、少しずつ表情が増えていきました。
そして今、その子は東京ラフダイの演劇クラスで主役を張るほどに成長しています。
「歩くのも難しいかもしれない」と言われていた子が、今ではしっかりダンスをしています。
もちろん、身体的な難しさがすべてなくなったわけではありません。シャントが入っていることもあり、物理的にバランスを取ることが難しい場面はあります。
それでも、片足バランスもできるようになりました。
発言もとても伸びてきました。
お友達と関わることも、今ではとても楽しそうです。
その姿を見るたびに、私はやっぱり思います。
これは、本当に奇跡だなと。
奇跡という言葉を、軽く使いたいわけではありません。努力や支援や積み重ねを、ただ不思議な出来事のように片づけたいわけでもありません。
でも、子どもの成長には、私たち大人の想定を超えていく瞬間があります。
診断名だけでは見えないもの。
初期の状態だけでは測れないもの。
「難しいかもしれない」という言葉の先で、その子自身が少しずつ開いていく未来があります。
子どもの可能性は、最初に見えている姿だけでは決して測りきれない。
最近も、お母さんとよくその話をします。
昔の動画を見ながら、「うわ、小さいですね」「この頃はこんな感じでしたね」「でも今はもう、こんなに成長しましたね」と一緒に振り返ることがあります。
長く療育支援として携わっているからこそ、その成長の過程を保護者の方と一緒に見届けられる。
「あの頃はこうでしたね」と懐かしめる。
そして、「今、こんなところまで来ましたね」と喜び合える。
それは、この仕事の中でも本当に幸せな瞬間です。
もちろん、すべての変化が劇的に見えるわけではありません。
毎日の関わりは、地味な積み重ねです。声かけをして、反応を見て、うまくいかない日もあって、また次に工夫する。その繰り返しです。
けれど、その繰り返しの中で、子どもは少しずつ変わっていきます。
ある日、前よりも長く立てるようになる。
ある日、自分から友達の近くに行く。
ある日、言葉が増える。
ある日、人前で表現することを楽しみはじめる。
そういう一つひとつの変化が、何年も積み重なった時、振り返って初めて「これはすごいことだったんだ」と気づくのです。
“好き”は、子どもの未来を押し広げる入口になる。
彼にとって、それはダンスでした。
音楽でした。
身体を動かすことでした。
そして、その“好き”を通して、人との関わりが生まれ、表現が生まれ、自信が育っていきました。
最初から主役を目指していたわけではありません。
最初から片足バランスができる未来が見えていたわけでもありません。
ただ、その子の中にある小さな火を消さないように、周りの大人たちが一緒に見守り、支え、伴走してきました。
その結果として、今の姿があります。
子どもの成長を見る時、私たちはつい「今できること」や「今できないこと」に目を向けます。
もちろん、それも大切です。現実を見ない支援はできません。
でも同時に、「この子の中には何があるのか」を見ることも大切です。
何が好きなのか。
どんな瞬間に目が輝くのか。
どんな音に反応するのか。
どんな関わりなら、少しだけ前に出てこられるのか。
その小さなサインを見逃さずに拾っていくことが、成長の入口になるのだと思います。
お医者さんから「難しいかもしれない」と言われたことは、消えるわけではありません。
でも、それがその子のすべてを決めるわけでもありません。
子どもは、環境の中で変わります。
関わりの中で変わります。
そして何より、自分の中にある“好き”と出会った時、思いもよらない方向へ伸びていきます。
あの頃、ふらふらと歩いていた男の子が、今は舞台の真ん中で踊り、演じ、友達と笑っています。
その姿を見るたびに、私は思います。
私たちがしているのは、奇跡を起こすことではないのかもしれません。
ただ、子どもの中にすでにある可能性が立ち上がってくるまで、あきらめずに隣にいること。
その子の“好き”が未来へつながっていくように、そっと伴走し続けること。
そして気づけば、「無理かもしれない」と言われた場所の先で、その子は自分の足で立ち、音楽に合わせて踊っている。
その瞬間に立ち会えることが、私にとって何よりの喜びです。
「無理かもしれない」の先で、子どもは踊りはじめる
ラフダイのトレーニングの中では、日々いろいろな子どもたちと出会います。
うまくいったこともあれば、時間がかかることもある。すぐに変化が見えることもあれば、何年もかけて、ある日ふと「あれ、こんなことができるようになっている」と気づくこともあります。
今回は、長く通ってくれている子どもたちの成長について、少しずつ紹介していきたいと思っています。
その中でも最初に思い浮かぶのが、ある男の子のことです。
彼と出会ったのは、おそらく小学校低学年くらいの頃でした。
その子は、生まれた時からとても重い病気を抱えていました。クルーゾン病、そして水頭症。生まれてすぐに手術を受け、頭の中にはシャントも入っていました。
ご家族は、お医者さんからこう言われていたそうです。
歩くのは難しいかもしれない。
普通に生活することは困難かもしれない。
もちろん、医療的な見立てには根拠があります。命を守るために必要な現実的な言葉でもあります。
でも、子どもの成長というものは、ときどきその言葉だけでは収まりきらない広がりを見せることがあります。
私が初めて彼に会った時、たしかに言葉はまだあまり出ていませんでした。
人との関わりも簡単ではなく、歩き方もふらふらしている状態でした。身体のバランスを取ることも難しく、こちらが見ていても「どう関わっていけばいいだろう」と慎重になる部分がありました。
ただ、その子にははっきりとした“好き”がありました。
ダンスが好きだったんです。
音楽が好きだったんです。
最初は、人と距離を縮めることも簡単ではありませんでした。気持ちの面では不安や抵抗もあったと思います。新しい場所、新しい人、身体を動かすことへの難しさ。いろいろなハードルが彼の前にはありました。
それでも、心の中に「ダンスが好き」「音楽が好き」という灯りがありました。
その灯りが、少しずつ彼を前に進ませてくれたのだと思います。
最初から大きく変わったわけではありません。
こちらが声をかけ、気持ちが乗るように伴走し、無理をさせすぎず、でも可能性を閉じずに支えていく。そういう関わりを、コツコツ、コツコツ積み重ねていきました。
療育やトレーニングの現場で大切なのは、できないことをできるようにすることだけではありません。
その子の中にある「やってみたい」を見つけること。
そして、その気持ちが消えないように、そばで支えることです。
子どもは、自分の“好き”に触れた時、こちらが思っている以上の力を出すことがあります。
義務では動かなかった心が、音楽でふっと開く。
説明では届かなかった身体が、リズムに乗って少しずつ反応する。
誰かに言われたからではなく、自分の内側から「やりたい」が立ち上がってきた時、その子の成長はまったく違う動きを見せはじめます。
彼もそうでした。
少しずつ人との距離が縮まり、少しずつ身体の使い方が変わり、少しずつ表情が増えていきました。
そして今、その子は東京ラフダイの演劇クラスで主役を張るほどに成長しています。
「歩くのも難しいかもしれない」と言われていた子が、今ではしっかりダンスをしています。
もちろん、身体的な難しさがすべてなくなったわけではありません。シャントが入っていることもあり、物理的にバランスを取ることが難しい場面はあります。
それでも、片足バランスもできるようになりました。
発言もとても伸びてきました。
お友達と関わることも、今ではとても楽しそうです。
その姿を見るたびに、私はやっぱり思います。
これは、本当に奇跡だなと。
奇跡という言葉を、軽く使いたいわけではありません。努力や支援や積み重ねを、ただ不思議な出来事のように片づけたいわけでもありません。
でも、子どもの成長には、私たち大人の想定を超えていく瞬間があります。
診断名だけでは見えないもの。
初期の状態だけでは測れないもの。
「難しいかもしれない」という言葉の先で、その子自身が少しずつ開いていく未来があります。
子どもの可能性は、最初に見えている姿だけでは決して測りきれない。
最近も、お母さんとよくその話をします。
昔の動画を見ながら、「うわ、小さいですね」「この頃はこんな感じでしたね」「でも今はもう、こんなに成長しましたね」と一緒に振り返ることがあります。
長く療育支援として携わっているからこそ、その成長の過程を保護者の方と一緒に見届けられる。
「あの頃はこうでしたね」と懐かしめる。
そして、「今、こんなところまで来ましたね」と喜び合える。
それは、この仕事の中でも本当に幸せな瞬間です。
もちろん、すべての変化が劇的に見えるわけではありません。
毎日の関わりは、地味な積み重ねです。声かけをして、反応を見て、うまくいかない日もあって、また次に工夫する。その繰り返しです。
けれど、その繰り返しの中で、子どもは少しずつ変わっていきます。
ある日、前よりも長く立てるようになる。
ある日、自分から友達の近くに行く。
ある日、言葉が増える。
ある日、人前で表現することを楽しみはじめる。
そういう一つひとつの変化が、何年も積み重なった時、振り返って初めて「これはすごいことだったんだ」と気づくのです。
“好き”は、子どもの未来を押し広げる入口になる。
彼にとって、それはダンスでした。
音楽でした。
身体を動かすことでした。
そして、その“好き”を通して、人との関わりが生まれ、表現が生まれ、自信が育っていきました。
最初から主役を目指していたわけではありません。
最初から片足バランスができる未来が見えていたわけでもありません。
ただ、その子の中にある小さな火を消さないように、周りの大人たちが一緒に見守り、支え、伴走してきました。
その結果として、今の姿があります。
子どもの成長を見る時、私たちはつい「今できること」や「今できないこと」に目を向けます。
もちろん、それも大切です。現実を見ない支援はできません。
でも同時に、「この子の中には何があるのか」を見ることも大切です。
何が好きなのか。
どんな瞬間に目が輝くのか。
どんな音に反応するのか。
どんな関わりなら、少しだけ前に出てこられるのか。
その小さなサインを見逃さずに拾っていくことが、成長の入口になるのだと思います。
お医者さんから「難しいかもしれない」と言われたことは、消えるわけではありません。
でも、それがその子のすべてを決めるわけでもありません。
子どもは、環境の中で変わります。
関わりの中で変わります。
そして何より、自分の中にある“好き”と出会った時、思いもよらない方向へ伸びていきます。
あの頃、ふらふらと歩いていた男の子が、今は舞台の真ん中で踊り、演じ、友達と笑っています。
その姿を見るたびに、私は思います。
私たちがしているのは、奇跡を起こすことではないのかもしれません。
ただ、子どもの中にすでにある可能性が立ち上がってくるまで、あきらめずに隣にいること。
その子の“好き”が未来へつながっていくように、そっと伴走し続けること。
そして気づけば、「無理かもしれない」と言われた場所の先で、その子は自分の足で立ち、音楽に合わせて踊っている。
その瞬間に立ち会えることが、私にとって何よりの喜びです。