人は小さなチームでは約束で動ける。顔と名前の届く距離では、好意が制度になる。でもある日、同じ優しさが誰かを傷つける—それが組織の成長のサインだった。私は“いいじゃん、やっとくよ”で会社を走らせてきた。ある朝、その言葉が組織の足場を揺らしていることにようやく気づいた。
会社は四期目。従業員は28名、外部の先生方も合わせれば約40名。ベンチャーの勢いで走ってきて、私はずっと“優しさ”で舵を切っていた。相談されればすぐに「いいね」「わかった」「先に払っておくから頑張って」と、その場で決める。現場の熱に寄り添い、スピードを優先する。それは小さなチームでは機能していたし、私自身もルールに縛られたくない人間だった。
けれど、規模が変わると同じ行為が別の意味を持つ。ある人には恩恵、別の人には不公平。好意は見えない線引きになり、口約束は記録にならない。問題が起きていない間はルールはいらない、という私のスタンスは、人数が増えた瞬間に弱点に変わる。組織は平等の感覚が揺らぐと、静かに崩れる。だからルールは問題の回数分、増えていくのだと四年目にして身をもって学んだ。
私の“さじ加減”は、もはや組織にとって良くない。それを痛感したからこそ、ルールを「縛るため」ではなく「守るため」に置くことにした。守る対象は、人の誇りと機会だ。できるだけ多くの人が公平に報われ、キャリアが見えるように。就業規則は“冷たい紙”ではなく、“再現性のある優しさ”に変えられる。
例えば、交通費。通勤手当の非課税分に加えて、移動交通費としてキロ17円を支給する。現場を回る負担が個人任せにならないように、仕組みで支える。スキルに応じた手当も細かく設計した。ダンス、演劇、スタディ、訪問支援。できるようになればトレーナー手当。自分で進められるようになればリーダー手当。チームをマネジメントできればマネージャー手当。エリアを見渡せればエリア手当。キャリアの段階を“見える階段”にしたかったからだ。
美化活動に焦点を当てたクリーンマイスター手当もある。各事業所に一人。掃除は仕事の中心ではないが、場の空気は仕事の質に直結する。職場を整えるという行為が評価され、毎月の手当に反映される。小さな行動が組織文化を作るなら、その文化を制度で支える。
こうした手当やルールが“良いかどうか”は、最終的に組織がどれだけ健全に回るかで判断されるのだと思う。少なくとも、誰かの耳打ちやその場の情に頼らなくて済むようになる。私の「いいじゃん」は、これからは制度の中で生きるべきだ。即断は熱を生むが、仕組みは信頼を育てる。
だから、私自身の振る舞いも変える。役職者がいる。彼らが現場の意思決定の線になり、エスカレーションの経路になる。私への相談は止めない。ただ、私の言葉が“抜け道”にならないように、必ず役職者へ戻し、合意されたプロセスを通す。社長のひと言が、努力の積み重ねを壊すことがあるからだ。私はその重みを軽く扱いすぎていた。
“優しさ”は、ルールによって薄まらない。むしろ輪郭ができる。誰に対しても同じ温度で届くようになる。私は自由が好きだが、公正のない自由は長持ちしない。チームが40人へと近づく中で、ようやくそれを体で理解した。
「再現性のある優しさが、組織を強くする。」
結論として、私は“口頭の優しさ”を“制度化された優しさ”に変える旅の途中にいる。小さな会社の熱を失わず、全員が平等に走れる道筋を作ること。そのために、これからも手当や規則を整え、役職者の線を強くする。ルールは壁ではない。揺れない床だ。私の「いいじゃん」は、その床の上でこそ意味を持つ。
会社は四期目。従業員は28名、外部の先生方も合わせれば約40名。ベンチャーの勢いで走ってきて、私はずっと“優しさ”で舵を切っていた。相談されればすぐに「いいね」「わかった」「先に払っておくから頑張って」と、その場で決める。現場の熱に寄り添い、スピードを優先する。それは小さなチームでは機能していたし、私自身もルールに縛られたくない人間だった。
けれど、規模が変わると同じ行為が別の意味を持つ。ある人には恩恵、別の人には不公平。好意は見えない線引きになり、口約束は記録にならない。問題が起きていない間はルールはいらない、という私のスタンスは、人数が増えた瞬間に弱点に変わる。組織は平等の感覚が揺らぐと、静かに崩れる。だからルールは問題の回数分、増えていくのだと四年目にして身をもって学んだ。
私の“さじ加減”は、もはや組織にとって良くない。それを痛感したからこそ、ルールを「縛るため」ではなく「守るため」に置くことにした。守る対象は、人の誇りと機会だ。できるだけ多くの人が公平に報われ、キャリアが見えるように。就業規則は“冷たい紙”ではなく、“再現性のある優しさ”に変えられる。
例えば、交通費。通勤手当の非課税分に加えて、移動交通費としてキロ17円を支給する。現場を回る負担が個人任せにならないように、仕組みで支える。スキルに応じた手当も細かく設計した。ダンス、演劇、スタディ、訪問支援。できるようになればトレーナー手当。自分で進められるようになればリーダー手当。チームをマネジメントできればマネージャー手当。エリアを見渡せればエリア手当。キャリアの段階を“見える階段”にしたかったからだ。
美化活動に焦点を当てたクリーンマイスター手当もある。各事業所に一人。掃除は仕事の中心ではないが、場の空気は仕事の質に直結する。職場を整えるという行為が評価され、毎月の手当に反映される。小さな行動が組織文化を作るなら、その文化を制度で支える。
こうした手当やルールが“良いかどうか”は、最終的に組織がどれだけ健全に回るかで判断されるのだと思う。少なくとも、誰かの耳打ちやその場の情に頼らなくて済むようになる。私の「いいじゃん」は、これからは制度の中で生きるべきだ。即断は熱を生むが、仕組みは信頼を育てる。
だから、私自身の振る舞いも変える。役職者がいる。彼らが現場の意思決定の線になり、エスカレーションの経路になる。私への相談は止めない。ただ、私の言葉が“抜け道”にならないように、必ず役職者へ戻し、合意されたプロセスを通す。社長のひと言が、努力の積み重ねを壊すことがあるからだ。私はその重みを軽く扱いすぎていた。
“優しさ”は、ルールによって薄まらない。むしろ輪郭ができる。誰に対しても同じ温度で届くようになる。私は自由が好きだが、公正のない自由は長持ちしない。チームが40人へと近づく中で、ようやくそれを体で理解した。
「再現性のある優しさが、組織を強くする。」
結論として、私は“口頭の優しさ”を“制度化された優しさ”に変える旅の途中にいる。小さな会社の熱を失わず、全員が平等に走れる道筋を作ること。そのために、これからも手当や規則を整え、役職者の線を強くする。ルールは壁ではない。揺れない床だ。私の「いいじゃん」は、その床の上でこそ意味を持つ。