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[第1回]

たった一人の父がくれた最高の変化。画家Akiが誕生するまで

キャンバスを目の前に、すっと筆をとる。
次の瞬間、そこには色鮮やかな世界が生まれていた。
その迷いなく描く姿と、独特の色彩に魅了されてきた人は、一体何千人になるのだろうか。

高熱と家出を繰り返す小学生時代。父との暮らしがもたらした変化とは

「おもしろかった授業は図工。全然好きじゃなかったのが算数。」
「自分の中でのトラウマはプラネタリウムだった。暗いところは怖いです。あと、大きな音もだめ」


小学校4年生までは普通級、その後は支援級へ編入したAkiさん。

編入前の学校生活は我慢しなくてはいけないことも多く、ストレスが身体に現れていたといいます。

「笑顔が出ていればいい状態。原因不明の高熱を出したり、鼻血を出したり。
登校しぶりも多く、朝起きなかったり、多動になったり不安定な日々でした。」

そう語るのはお父様の昭さんです。
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父・昭さん
小学校4年生で障害者手帳をとることに。
家出を繰り返し、30時間以上帰ってこなかったことがありました。

お母様と話し合い、「きちんと診断をもつことがこれからの彼の身を守ることにもつながるのでは」と取得に踏み切ったといいます。

「私は手帳について、どちらでもよかったんです。それ以前に、自分の子どもが障害者であろうかなかろうが、気にならない。そうやって生まれてきたのだから」(昭さん)

手帳の取得をきっかけに、普通級から現在の支援級へ編入。それから登校しぶりもなく、楽しそうに通うようになったといいます。

普通級では理解していくのが難しかった勉強のスピードやクラスの活動。
ただただ過ごすしかない日々から一転、充実した学校生活がはじまりました。

そんな当時をAkiさんは笑ってこう振り返ります。

「それまでは、(よくわからなくて)自由気ままだった。体育だけは参加していたかな。
クラスが変わってから、自由気ままじゃなくなった。笑
やらなくてはいけないことが多くなった。とても楽しくなった」
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取材中にも絵を描いてくださるAkiさん
11歳のころ、父・昭さんと二人で暮らすようになりました。


「それまで、Akiの面倒を一切見ていませんでした。
365日家に帰らないで仕事ばかりしていました。

そして、身体を壊してしまい、妻と娘と別れて、Akiと2人の生活を始めたわけです。
私は、Akiの生活、衣食住について知らなければAkiを生かすことはできないと思いました。
一から十まで全部知らなくてはいけない、まずはそこからだと思いました。
できることとできないことがあるので、どこまでができて、どこからは出来ないのかを知りたかった。

そして、なにをしたら、Akiが幸せに暮らせるのかを知りたかった」
(昭さん)


Akiさんは軽度知的障害があり、生活のペースは年齢よりもゆっくりしています。
昭さんは、大人の生活に合わせるのでなく、本人の自由に任せようと決めたといいます。

「Akiがストレスなく楽しく過ごせればいいと考えたんです。
クラスを変えてからの穏やかな日々を見て、“普通のペース”がAkiにとってストレスフルなんだ とわかったんです。
好きな時にご飯を食べ、好きな時に寝る生活を、共にしました」
(昭さん)

「お父さんと暮らすようになって、自分のペースで暮らせるようになったから楽になった。
いい環境になった。とても楽しくなった」
(Akiさん)

大人の「こうしてほしい」「こうすべきだ」というタイムスケジュールを捨て、昭さんがAkiさんの生活リズムに合わせ過ごすようになったことは、Akiさんにとって大きな変化のはじまりでした。

「例えば、2時間食事にかかる子であれば、何も言わず、一緒に2時間食事をしてみる。
そうすることで、違う世界が見えてくるはずです」
(昭さん)

手作りの手売りをして回った中学生時代が生んだ、人生を変える出会い

父・昭さんと「自分らしいペース」で暮らしをはじめたAkiさん。

ストレスなく生活するためには、何が好きなのか、何をやらせればいいのか・・・考えあぐねた昭さんは「何が一番好き?」Akiさんに聞きました。

“絵を描くことがいちばん好き”

幼いころから一人でもくもくと絵を描いていたAkiさん。
クラスを変わってからは、よりのびのびと自由に描くようになったといいます。

そこで、木下明幸(本名)として全国の作品展に応募をはじめました。
その結果、ほとんどのコンクールで最優秀賞をとったのです。思いがけず受賞した数々の作品。喜びはそれだけではありませんでした。
受賞した作品を通し、自然と周囲の人とのコミュニケーションが生まれ、Akiさんの笑顔も増えていきました。
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コンクールに入賞し始めた頃のAkiさん
「絵の才能が認められていきました。
しかし、画家として生きるにしても、絵を描いて売る、それだけではAKIと生活できないことはわかっていました。
これまでのビジネスの経験をもとに、どうしたら生活できるか、お金を稼いでいけるのか、方法を考えました」
(昭さん)

そこで思いついたのは当時流行していた「缶バッジ」。
Akiさんの絵の缶バッジを手作りし、青山や原宿・代官山で販売していきました。お店に飛び込み営業で置いてもらう日々。1個150円、独特で魅力のある絵は大ヒットし、月3000個以上はあっというまに売れてしまいました。
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当時の缶バッジ
そんな中、缶バッジを置いてもらったお店から「Tシャツを作ってくれないか」との相談が舞い込みました。思わぬ依頼に、喜びもつかの間、なんと1枚1枚Akiさんが手書きをしたのです。

「プリントの仕方がわからないもんですから(笑)」(昭さん)

そんな手書きの作品を1枚1万円で置いてみたところ、こちらも大ヒット。
世界で1枚しかない、正真正銘のオリジナルTシャツとしてAkiさんの絵は世に飛び出していったのです。

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Tシャツに1枚1枚絵を描くAkiさん
そんな中、1人のミュージシャンとの出会いがあります。
AKIさんの絵や人柄に引き付けられた湯川トーベンさんから「一緒にツアーに行かないか」と声をかけてもらったのです。

世間の広さをまだ知らない当時のAkiさん。
昭さんは、本人の意志に任せよう、そう思って、Akiさんに行くかどうか問いかけました。

“「行く」”

13、14歳の時の出来事です。学校に在籍しながら、自分の道を歩み始めました。
そこから今のスタイルである、人前で絵を描く「ライブペイント」が生まれていったのです。

Akiさんは当時のことをこう振り返ります。

「トーベンさんとは、とても話が合った。
最初は原宿のイベントで。トーベンさんが一緒にツアーに行こうといってくれた。うれしかった。
運命の瞬間だった。目と目があいました。ぴかぴかっと」
当時を振返るその目は、湯川氏との出会いの瞬間が「最高の一瞬」であったことを物語っている。

今でも色褪せることのない出会いの喜び。
画家Akiはその出会いから何を学び、何を感じ今に至るのか。筆を躍らせる目の奥の強さと豊かさに、引き込まれていった。―

次回

14歳にして全国ツアーにでたAkiさんが学んだこと、そしてAkiさんにとっての「絵を描く」という事についてじっくりとお話をうかがっていきます。
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