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[第3回]

「聞こえたフリはもう出来ない」1人暮らしを始めて難聴と向き合えた

女優の津田絵理奈さん。難聴の彼女はろう学校を卒業した後、地元奈良を離れ東京で1人暮らしをはじめました。その親元を離れて過ごす経験が、ご自身を強く変えたといいます。

女優を始めてから、東京での1人ぐらしを開始

編集部:女優を始めたときは、地元の奈良から通われていたんですか?

津田:最初はそうですね。お仕事を始めてからは、できるだけ学校も頑張って行こうと思っていました。
お仕事で学校を休む必要がある場合も、そもそも不登校だったのでむしろ「仕事」という明確な理由がある欠席はあまり気にならないというか…(笑)

編集部:奈良から毎回東京まで通うの、大変そうですね…

津田:いや、新幹線に座っているだけなので(笑)長期間講演する舞台が決まったときに本格的に上京しましたが、それからの方が大変でした。
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編集部:1人暮らしですか?

津田:そう、1人ぐらし。21歳ごろかな。それまで親がやっていくれていた家事の大変さと、「1人じゃ何も出来ないんだ」ということを痛感しました。

トイレから水が出てきちゃった時は、業者よりも先に父に電話して、「なんや、どしたん」と助けてもらい、指示されるがままトイレのタンクを開けて…と、初めてのことだらけでしたね。

編集部:あはは(笑)

津田:料理もしてこなかったから、唐揚げをつくったときに火災警報器がなってしまった事もありました!

編集部:えっ…でも最初から揚げ物とは、難易度の高い挑戦ですね。

津田:いや〜ホントですよね(笑)

聞こえないのにわかったフリをしていた。それも、もう出来ない。

津田:この1人暮らしのおかけで強くなれました。

今も親とは離れて暮らしていますが、もし今近くに親がいたら、息子の市役所も保育園も「着いてきて」って甘えてしまうと思います。やっぱり大勢の中でのコミュニケーションが聞き取れないので…

1対1なら「もう少しゆっくりお願いします」と言えるのですが、集団になるとどうしても言えずに「何言っているんだろう」という時間が続いてしまうんです。

編集部:そんなときはどうしているんですか?

津田:例えば保育園の保護者会とかは、終わって他のお母さん達が帰ったあとに先生に声をかけて、「すいません、もう1回お願いします」と言うようにしています。
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津田:昔はそれが出来なくて、いつも「わかったフリ」をしていました。

アルバイトをしていたときも、店長がスタッフ2,3人に指示をだしたとき、隣の子が「はい」って言ったら、何を言われたのかわかっていなくても、とりあえず私も「はい!」と返事をする。後で「あれ、何注意されたんやっけ」と困ることもしょっちゅうありました。

それは舞台の稽古でも同じで、監督に言われたことが聞こえてないのに質問できずに後で困る。

小さい頃から、「わかったフリはしないで、ちゃんともう1回聞けばいいんだよ」と親には言われてきたけれど中々できず、社会に出てその大切さを痛感しました。

編集部:そうなんですね。

津田:「わかったフリ」が私の癖になっていたので、最初の頃は「もう1度教えて下さい」と聞き直すのはとても勇気が必要でした。

でも、聞かないと自分が困るし周りにも迷惑かける。だからちょっと勇気を出して聞いておこう。そう思えるようになったのは、1人暮らしのおかげですね。

聞こえないことを恥ずかしいと思ってた。変えてくれたのは友人の「手話ってかっこいいね」

編集部:「自分は聞こえにくいんだな」と気づいたタイミングなど聞いてもいいですか?

津田:幼稚園くらいの時は、大人が話しているのが「喋っているんだろうけど、何言ってるのかわからない」という状況でした。でもそれを「聞こえないな」とは思っていなくて、「まだ子どもだから」だと考えていたんです。

編集部:あ、なるほど。

津田:はい、「大人になるとあんな感じで話すんかな」と思っていました。聞こえる人とのコミュニケーションが家だけだったので、自分が周囲と違うという事に気づいていませんでした。

小学校に入り、聞こえる学校とろう学校を行き来する中で「自分は聞こえづらいんだ」と知り、中学に入ってからは「聞こえないことは恥ずかしい」に変わりました。

補聴器も、人前で手話をするのも恥ずかしい。
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編集部:恥ずかしい、ですか。

津田:そうですね、そう感じていました。人より聞こえないから補聴器をつける、人より出来ないから手話を使う。

でも、少しずつ変わっていきました。学校を卒業して、コンビニや焼き鳥屋さんの店員など接客のアルバイトをしていた頃です。

お店に聞こえない友達が来てくれて、自然と手話で接客をしていたら、バイト仲間が「手話ってかっこいいね」と言ってくれたんです。それから恥ずかしいとは思わなくなっていきました。

編集部:確かに、私たちからすると「もう1つ言語を持っている」と感じるから、かっこいいなと思うときはありますね。

津田:そうですか?嬉しいです。

ろう学校のクラスメイトの中には、大学に行く子もいましたし、重複障害があって職業訓練校に進む子もいました。私のようにアルバイトをしていた子は、あまりいなかったと思いますね。
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