著者・自閉症児の母、立石美津子さんー完璧主義の教育ママが、息子のあるがままを受け止められるまで

ライター:発達ナビ編集部
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自閉症のお子さんをもち、著者・講演家としてのご活躍の立石美津子さんが、新著『立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方』を発売されました。16年間、お子さんとともに歩む日々で得た学びを交えながら、ご自身の経験について語っていただきました。そして今、就労に向けた訓練を行うわが子への願いとは。書籍出版の裏側に迫ります。

16歳の自閉症児の母、立石美津子さん、発達障害児の子育て本を発売

著者や講演家として活躍される立石美津子さんが、障害のある子どもの子育てのヒントを綴った著書『立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方』を発売されました。単なるハウツー集に留まらない、リアリティのあるエピソード満載の新著です。

LITALICO発達ナビでは、書籍の出版を記念して立石美津子さんに単独インタビューを実施。自閉症のお子さんの子育てを通して得られた「考え方のコツ」や、子育ての中で心に残ったエピソード、就労訓練に向かう息子さんへの思いについて語っていただきました。

ライターでも著者でも講演家でもない、一人の母としての立石美津子さん、その素顔に迫ります。
立石さん
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立石美津子さん: 1961年大阪市生まれ。幼稚園・小学校・特別支援学校の教諭免許を取得後、石井勲氏のもと、幼稚園・保育園に漢字教育を普及する。32歳のとき、株式会社パワーキッズを設立。38歳で出産。知的障害を伴う自閉症のあるお子さんを育てながら、現在は著者、講演家、ウェブコラムのライターとして活動している。代表作『一人でできる子になる テキトー母さんのすすめ』は43,000部のロングセラー。LITALICO発達ナビでも数多くのコラムを執筆。

「テキトー母さん」が、全然テキトーでいられなかった日々

―このたびは、新著の出版おめでとうございます。

これまで、子育てに関するさまざまな発信をされてきた立石さん、代表作『一人でできる子になる テキトー母さんのすすめ』では、子育てに対して完璧主義になるのではなく、ほどよく「テキトー」であることの大切さを語られていました。今回は、息子さんのエピソードも交えた新著ですが、ご自身の子育てでも、テキトースタイルでやってこられたのでしょうか。

立石美津子さん(以下、立石さん): いや、実は全然そうではなかったんですよ。最初はむしろ、テキトーどころか子どもに多くを求める"モーレツ母さん"でした。それが変わるまでの経緯も今回の本には詳しく書いたんですけれども。

それから、自分自身のことに関しては、今でもまったくテキトーじゃないんです。昔からなんですけど、実は完璧主義者でマイナス思考です。負の部分だけを見てしまう考え方の癖が身に付いちゃってるんですよね。そのせいか、手洗い恐怖に代表される強迫性障害という精神疾患にかかって入院していたこともあり…

だから逆に、テキトー母さんに憧れがあって、ああいった本を書いたんです。
立石さん
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―なるほど、それは意外でした…お子さんが生まれたときにはどういう気持ちをもたれたのですか。

立石さん: お腹に子どもがいるときには子どもに障害があるなんて考えもしませんでした。生まれてきたら、ゆくゆくは東大にいくような、すごく優秀な子に育てたいと思っていました。こんなふうに生後間もない頃から漢字カードを見せたり、たくさんの絵本の読み聞かせをしていました。
赤ちゃんの頃の息子
生まれてから数ヶ月の息子さん
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立石さん: けれども、生まれてきたのは自閉症の子どもで。当時はすごくショックでした。

息子が自閉症と診断されたのは2歳ですが、それを受け入れたのは3歳。それからは「一つでも出来ることを増やそう、健常児に近づけなければ子どもが可哀想だ」と一生懸命になっていました。

その思いから家の中でも療育をしていました。おやつのクッキーを食べさせるのにも「ハサミの訓練も一緒に」と考えて、こんなふうに袋に入れて与えて封筒を切らないと食べられないなど‥。
ハサミを使う療育
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立石さん: 例えばピアノを習う場合、レッスンに通うだけでなく家庭でも練習しないとなかなか身に付かないですよね。同じように、療育に関しても「施設の中でだけやっても家でやらないと意味がない」って思ってたんです。

けれども、すごくしんどかったです。息子も喋ることができたら「お菓子くらい好きなように食べさせてよ」と言っていたと思います。今思えばそんなことをやらなくても、時が来ればできるようになったので必要なかったのかもしれませんが…

ありとあらゆることがこの調子でした。例えば「お友達みんながスプーンを使っているから、やっぱりうちの子も使えるようにしないと!」と奮い立っていたんですよね。常に周りの子と比べる、"比べる病"に侵されていました。

―子育ての中でつらい時期というのはあったんですか。

立石さん: 6歳までが大変でした。小学校1年生に上がるまでは、特別支援教育はなく、障害のない子どもばかりの保育園にいましたから孤独でした。
立石さん: 障害がなくても育てるのが大変な時期ですから、障害があったらなおさらで、パニックも相当ひどかったので「親子で死んでしまいたい」なんて思い詰めたことも何度もありました。

でも、特別支援学校に入学したら周りの子全員に障害があって、同じように集団行動ができない子もたくさんいたのです。そこから少し、気が楽になりました。

周囲と比べるばかりだったころから、比べない子育てへ

立石さん
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―完璧主義のモーレツ母さんから、今の立石さんに至るまでにどのような出来事やきっかけがあったんですか。

立石さん: 他の子と比べるのを止めて、息子が自閉症であることを心から受け入れたときです。

ある意味、さじを投げてしまったんですね。「一生懸命やってもこの子は障害児なんだし、出来なくても仕方がない」と息子に期待しなくなりました。IQが34だったので、障害の程度が軽いとはいえなかったので‥。

そして、親の理想を押し付けることなく、あるがままを受け入れて、わが子を障害のある子として育てようと思いました。

子どもに理想を求めないっていう切り替えが、幼いころにできたのはよかったと思っています。親の理想を押し付けないと、子育てに関しては楽なわけです。親もそうだし、本人も楽ですよね、親からお尻を叩かれないわけですから。

私は決して自分のことや仕事に関してはテキトーではないけれど、その代わりに子育てに関しては、「親も子も100点を目指さなくってもいいんだよ」って思っています。力を入れすぎずに、ほどほどに、そしてそこそこでいいんじゃないかって。

子育てが楽になったもうひとつのきっかけは、小学生になったとき、子どもを特別支援学校に通わせたことですね。支援学校は、療育的なことを全部やってくれるので、親があれこれ連れまわす必要がなくなりました。また、放課後デイサービスにすぐ入れたので、学校が終わったら、毎日理解あるスタッフのもとで過ごすことができました。

だから、朝8時から夕方6時まで一日中ずっと療育受けてるみたいな感じですよね。家ではゆっくりのんびり過ごさせました。
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