5歳の息子に下りた「発達障害」の診断。悩む私に友人が言ったのは…
ライター:黒木絵里
保育園に息子を預けながら働き、小学校進学を目前としたそのとき、保育園の先生から「お子さんは、小学校に進学しても45分授業に耐えられないかもしれません」という言葉から、すべては一変。
病院を受診し、くだされたのは「発達障害スペクトラム」という診断。知識もなく、困惑し通しだった私に差し込んだ一筋の光と、息子との今をお話しします。
保育園生活最後の面談で、息子が担任の先生から言われたのは…
私は、いわゆるシングルマザーです。息子が2歳の頃に離婚をし、私と息子は実家に戻って生活をしていました。当時は保育園に息子を預け、私は毎日働いていました。
トイレトレーニングからお箸の持ち方にいたるまで、すべて保育園の先生がやってくださり、まさに第2の母のような存在でした。
しかし小学校進学前の最後の面談、担任の先生のある一言から私たちの生活は一変したのです。
「お子さんは、小学校での授業の45分間、椅子に座り続けることが難しいかもしれません。」
言われてみれば確かに息子は、普段の保育園の様子を聞いていても、立ち歩いたり、興味のないことには参加せず、マイペースに過ごしていました。
しかし家庭では特にこれといって変わった様子はなく、レゴブロックが大好きで夢中になったり、テレビを観ては踊ったりと、私からすれば、何の違和感もありませんでした。当時の私には、保育園での素行も「ただの暴れん坊将軍なのでは…?」という認識しかなかったのです。
しかし、保育のプロである先生に懸念されるということは、それなりの問題であるということです。楽観視していた私でしたが、今まで自治体の教育研究所に相談にいった経験もなかったこともあり、「せっかくだからいろんなことを相談してみようかな」という前向きな気持ちで支援機関に相談することにしました。
トイレトレーニングからお箸の持ち方にいたるまで、すべて保育園の先生がやってくださり、まさに第2の母のような存在でした。
しかし小学校進学前の最後の面談、担任の先生のある一言から私たちの生活は一変したのです。
「お子さんは、小学校での授業の45分間、椅子に座り続けることが難しいかもしれません。」
言われてみれば確かに息子は、普段の保育園の様子を聞いていても、立ち歩いたり、興味のないことには参加せず、マイペースに過ごしていました。
しかし家庭では特にこれといって変わった様子はなく、レゴブロックが大好きで夢中になったり、テレビを観ては踊ったりと、私からすれば、何の違和感もありませんでした。当時の私には、保育園での素行も「ただの暴れん坊将軍なのでは…?」という認識しかなかったのです。
しかし、保育のプロである先生に懸念されるということは、それなりの問題であるということです。楽観視していた私でしたが、今まで自治体の教育研究所に相談にいった経験もなかったこともあり、「せっかくだからいろんなことを相談してみようかな」という前向きな気持ちで支援機関に相談することにしました。
息子が受けた知能検査。「発達障害」というものを初めて知る
いざ、自治体の教育研究所にて相談をすると、発達や知能の指標を見定めるため、「WISC」というテストを受けてみることを勧められました。
ウェクスラー式知能検査(WISC・WAIS)の内容や費用など【専門家監修】
5歳の子がそのテストを受けることで何かわかるのかな……という思いもありましたが、専門家の手に委ねることに。
結果は、「言語理解能力」は著しく高い割に、「問題処理能力」が著しく低いとのこと。このように、能力の高低差が大きい場合、社会生活に困難が生じることもあるということを聞き、一気に不安が押し寄せました。
息子がいわゆる「ADHD(注意欠如・多動性障害)」といわれるものに非常に近い状態ということを知った私は、専門書を買って、最初から最後まで、一字一句逃さず何度も何度も読み返しました。
本を読めば読むほど、息子の行動にあてはまるものがたくさんあり、「あぁ、やはり息子はADHDなのかもしれないな」と思いました。
発達障害に関してまだ知識が浅い私は、「今後、母親としてどうすればいいのか」「息子はこれからどのように成長していくのか」という漠然とした不安と闘うことになったのです。
結果は、「言語理解能力」は著しく高い割に、「問題処理能力」が著しく低いとのこと。このように、能力の高低差が大きい場合、社会生活に困難が生じることもあるということを聞き、一気に不安が押し寄せました。
息子がいわゆる「ADHD(注意欠如・多動性障害)」といわれるものに非常に近い状態ということを知った私は、専門書を買って、最初から最後まで、一字一句逃さず何度も何度も読み返しました。
本を読めば読むほど、息子の行動にあてはまるものがたくさんあり、「あぁ、やはり息子はADHDなのかもしれないな」と思いました。
発達障害に関してまだ知識が浅い私は、「今後、母親としてどうすればいいのか」「息子はこれからどのように成長していくのか」という漠然とした不安と闘うことになったのです。
1人で悩み、行き詰まっていた私を変えたのは…友人の一言だった
先述のとおり、我が家は、親1人子1人の母子家庭であるため、夫がおりません。本来であれば、こうした困難を1番に相談できる相手が夫なのでしょう。しかし、私にはその夫がいないという心細さをどこかで感じていました。
しかし、私の周りには、夫以上に頼れるような友人がいてくれたこと、それが唯一の救いでした。
彼女は、私よりも6歳年上。私にとって、家族よりも身近な存在といっても過言ではありません。無論、彼女は、こうした分野の専門家ではありませんが、1児の小学生女児の母として、子育て、そして自分自身の生き方に1本筋がとおったような信念をもつとても強い女性です。
私は彼女に、息子にADHDがある可能性が濃厚になったことや、本を読んで感じた漠然とした今後への不安、すべてを話しました。頭では理解したつもりでいたものの、心のどこかで、「まさか自分の子が発達障害とは…」と納得までできておらず、その困惑ぶりは、彼女にも伝わっていたのでしょう。
そんな彼女は、私にこう言いました。
「あなた自身が、どれだけ息子さんを理解してあげられるか、どれだけ受け止めてあげられるか、それが要になるだろう」
しかし、私の周りには、夫以上に頼れるような友人がいてくれたこと、それが唯一の救いでした。
彼女は、私よりも6歳年上。私にとって、家族よりも身近な存在といっても過言ではありません。無論、彼女は、こうした分野の専門家ではありませんが、1児の小学生女児の母として、子育て、そして自分自身の生き方に1本筋がとおったような信念をもつとても強い女性です。
私は彼女に、息子にADHDがある可能性が濃厚になったことや、本を読んで感じた漠然とした今後への不安、すべてを話しました。頭では理解したつもりでいたものの、心のどこかで、「まさか自分の子が発達障害とは…」と納得までできておらず、その困惑ぶりは、彼女にも伝わっていたのでしょう。
そんな彼女は、私にこう言いました。
「あなた自身が、どれだけ息子さんを理解してあげられるか、どれだけ受け止めてあげられるか、それが要になるだろう」