同じADHDでもこんなに違う!?息子の療育で気づいた障害のとらえ方
ライター:林真紀
息子の集団療育の相方は、同じくADHDの診断を受けたお子さんです。その特性はあまりにも異なっていて「この子たち、本当に同じ診断名でいいの?」と考えてしまうほどです。でも、同じ診断名でも特性が異なる発達障害だからこそ、それぞれに合ったサポートが必要なんだと、改めて気づくきっかけになりました。
同じ「ADHD」の2人。でもその特徴は全然違っていて…
ADHDの息子は集団療育に通っています。そこでの息子の相方は、同じADHDの診断がついた男の子です。ところが、2人の特性は全然違っていて、「本当にこの子たち同じ診断名で良いの?」と思うほどなのです。
ADHDとはAttention Deficit Hyperactivity Disorder の略です。日本語では「注意欠如・多動性障害」となります。ところが、うちの息子はどちらかというと「多動性障害」の部分だけが強く出ています。たとえば、終始ワサワサと動き回り、おしゃべりも止まらず、相手の指示をジッと待つことが苦手です。
それに対し、一緒にセッションを受けている相方の男の子は、どちらかというと「注意欠如」のほうが強く出ているように見えます。どうやら先生の呼びかけに対して注意を向けることが難しいようで、セッション中も終始先生から「○○くん、こっちを見てね」と声をかけてもらっています。
はたから見たら、2人は対極的です。大騒ぎで落ち着きのないうちの息子と、静かなんだけどもなかなか先生の問いかけに反応をしない相方の子。
最初は息子の落ち着きのなさがどうしても悪目立ちしていました。それを見た私は、相方の子は大人しく、手がかからない子なんだろうなと思ったりもしました。
しかし、相方の男の子の親御さんに話を聞くと、違う悩みがあることがわかりました。注意欠如の特性が強い子は、ボーっとしていて車にひかれかけてしまったり、幼稚園の課題中も別のことをぼんやりと考えていて注意されてしまったりするそうなのです。
同じADHDの子供を持つ親でも、こんなに悩みの種類が違うのかと実感した瞬間でした。
それに対し、一緒にセッションを受けている相方の男の子は、どちらかというと「注意欠如」のほうが強く出ているように見えます。どうやら先生の呼びかけに対して注意を向けることが難しいようで、セッション中も終始先生から「○○くん、こっちを見てね」と声をかけてもらっています。
はたから見たら、2人は対極的です。大騒ぎで落ち着きのないうちの息子と、静かなんだけどもなかなか先生の問いかけに反応をしない相方の子。
最初は息子の落ち着きのなさがどうしても悪目立ちしていました。それを見た私は、相方の子は大人しく、手がかからない子なんだろうなと思ったりもしました。
しかし、相方の男の子の親御さんに話を聞くと、違う悩みがあることがわかりました。注意欠如の特性が強い子は、ボーっとしていて車にひかれかけてしまったり、幼稚園の課題中も別のことをぼんやりと考えていて注意されてしまったりするそうなのです。
同じADHDの子供を持つ親でも、こんなに悩みの種類が違うのかと実感した瞬間でした。
正反対の2人を上手にまとめる、先生の「技」とは
「ADHD」といっても、持っている特性によってこれだけ違うのです。
こんな全く違った子どもたちをまとめる療育の先生たちの苦労は、察して余りあるものがあります!
こんな全く違った子どもたちをまとめる療育の先生たちの苦労は、察して余りあるものがあります!
衝動性がなかなか抑えられないことに加えて、「1番こだわり」がある息子。そして、注意欠如でどうしてもぼんやりしてしまう相方の男の子。この2人で一緒にセッションをやると、どうしても息子が優先されてしまうことになります。
先生が「次はこれをやりましょう。」と言うと、息子は先生の指示を遮って「やるやるやるやる!!ぼくぼくぼく!」と飛んでいこうとします。かたや、相方の男の子はぼんやりとして外を眺めていて、先生の指示が入っていません。普通にやっていたら、なんでも息子がやることになってしまいます。しかし先生方は、息子の衝動性を抑えつつ、相方くんの注意も惹きつける離れ業でセッションを進めてくれます。
療育の先生は、「やるやるやるやる!!!」と大騒ぎする息子に、オブザーバー(観察者)の役を与えます。「今回はあなたは相方くんの作業を見て、どんなところが素敵だったか、最後に先生に教える係だよ」と。
発達障害の子どもというのは、「待ちなさい」「やめなさい」と言っても納得しないことがあります。そういう時はこのように、何かしらの役割を与えてみるとうまくいくこともあります。先生はこれを実践して、息子と相方くんを上手にハンドリングしてくれているようです。まさにプロにしか為せないセッションだと思います。
このようにADHDや発達障害と一口で言っても、一人ひとりの特性は全く違います。私は息子と相方くんを絶妙のテクニックでコントロールする療育現場の先生を見ながら、教育現場での先生方の大変さに思いを馳せずにはいられませんでした。
先生が「次はこれをやりましょう。」と言うと、息子は先生の指示を遮って「やるやるやるやる!!ぼくぼくぼく!」と飛んでいこうとします。かたや、相方の男の子はぼんやりとして外を眺めていて、先生の指示が入っていません。普通にやっていたら、なんでも息子がやることになってしまいます。しかし先生方は、息子の衝動性を抑えつつ、相方くんの注意も惹きつける離れ業でセッションを進めてくれます。
療育の先生は、「やるやるやるやる!!!」と大騒ぎする息子に、オブザーバー(観察者)の役を与えます。「今回はあなたは相方くんの作業を見て、どんなところが素敵だったか、最後に先生に教える係だよ」と。
発達障害の子どもというのは、「待ちなさい」「やめなさい」と言っても納得しないことがあります。そういう時はこのように、何かしらの役割を与えてみるとうまくいくこともあります。先生はこれを実践して、息子と相方くんを上手にハンドリングしてくれているようです。まさにプロにしか為せないセッションだと思います。
このようにADHDや発達障害と一口で言っても、一人ひとりの特性は全く違います。私は息子と相方くんを絶妙のテクニックでコントロールする療育現場の先生を見ながら、教育現場での先生方の大変さに思いを馳せずにはいられませんでした。
大切なのは、「発達障害」でひとくくりにしないこと。
息子と相方くんの、特性の全く違う「ADHDっ子」のちぐはぐな掛け合いを見ていて思ったことがあります。それは、「発達障害児」というくくりで子どもを見てはいけないということです。どの子も、何らかの困難を抱えている子どもではあります。けれども、「発達障害児はこういうもの」とくくってしまうことは決して出来ないのだと感じます。
「ADHDという障害があるからこの支援をする」といった杓子定規にとらわれた考え方では、サポートとして不十分。この子はこの子。診断名にかかわらず、その子にとって必要な支援をすることが大切だということを忘れてはいけないと思いました。
また、様々なタイプの発達障害児を支援していかなければならない現場の先生方の大変さにも思いを馳せるようになりました。両親の側からもできることとして、その子の特性をまとめたレポートを作ってお渡しするなどすれば、先生方もよりスムーズにサポートを行うことができるのではないかと思っています。
「ADHDという障害があるからこの支援をする」といった杓子定規にとらわれた考え方では、サポートとして不十分。この子はこの子。診断名にかかわらず、その子にとって必要な支援をすることが大切だということを忘れてはいけないと思いました。
また、様々なタイプの発達障害児を支援していかなければならない現場の先生方の大変さにも思いを馳せるようになりました。両親の側からもできることとして、その子の特性をまとめたレポートを作ってお渡しするなどすれば、先生方もよりスムーズにサポートを行うことができるのではないかと思っています。
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