「当事者」って、なんだろう…?発達障害の療育センターが舞台の演劇「わたしの、領分」が問いかけたいこと

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療育センターを舞台に、発達障害がある子どもにかかわる「心理士」の視点で描く、演劇『わたしの、領分』。2年前の初演で好評を博し、この度、再演決定(3/28~4/2 東京・下北沢)!心理学・特別支援のアドバイザーからの意見も盛り込みリアリティを追及した芝居づくりの過程、相模原殺傷事件ののち痛烈に感じた再演への思いなど、演出の松澤くれはさんにききました。

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療育センターを舞台にした演劇、「わたしの、領分」

療育センターを舞台に、発達障害がある子どもにかかわる「心理士」の視点で描く、演劇『わたしの、領分』。2年前の初演で好評を博し、このたび再演が決定しました(3/28~4/2 東京・下北沢/小劇場 楽園)。
LITALICO発達ナビでは、公演に先立って、演出の松澤くれはさんにインタビューを行いました。
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Upload By 平澤 晴花(発達ナビ編集部)
松澤 くれは(まつざわ くれは)
脚本家・演出家。1986年、富山県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。演劇ユニット<火遊び>代表。
芥川賞作家・中村文則氏『掏摸[スリ]』の舞台化にはじまり、『殺人鬼フジコの衝動』『天帝のはしたなき果実』『くるぐる使い』など、人気小説の舞台版を手がける。

オリジナル作品では「あなたとわたしが[We]に近づく物語」をテーマに、言葉で分かり合おうとしながらも分かり合えないことを受け入れる、人間の生き方を一貫して描く。現実のような生々しい会話劇で、観客の日常につながるラストシーンを目指している。

舞台「わたしの、領分」あらすじ

大学院を卒業し、都内の療育センターに配属されたばかりの心理士・萩野は、発達障害児を中心に面談を行っている。「いつか治りますよね?」「うちの子を障害者にする気か!」 親たちは口々に言いながら、救いを求める眼差しを彼女へ向ける。認識の齟齬から生じる軋轢に悩みつつも、萩野は実直に、進むべき道を探してゆく。
ある日。定期面談を終えたはずの青年が、センターにやってくる。
勤務先での生活を嬉々として語る彼に、まとわりつく悪意の存在。
青年が起こした傷害事件は社会を巻き込んだ「自閉症をめぐる問題」 へと発展し、偏見と差別が膨らみ続けるなか、萩野は一人「こころ」と対峙する。
世界のあいまいさを許容して生きるための。はるかから、わたしの物語。

療育センターの心理士が紡ぐストーリー 誕生のきっかけ

編集部(以下、編):はじめまして。今回 療育センターを舞台にしたお芝居『わたしの、領分』再演ということで、ぜひお話を伺えたらと思います。

まずはじめに、このお芝居を作るそもそものきっかけは何だったのでしょう。

松澤くれはさん(以下、松):もともと、僕の知り合いに療育センター勤めの心理士がいたんです。その人から現場サイドの悩みや葛藤を知る機会がありました。そのときはじめて「支援する側にも葛藤や悩みがある」ということを知りました。

療育施設という場所には常々舞台として関心があったのですが、そこでの話というと、既存のものはどうしても親御さんや子ども当人からの視点で描かれがちで。

療育施設には心理士さんもいます。知人の話を聞いて「心理士の視点から書きあげることで新しい作品がつくれるんじゃないか」と思ったのです。

もともと僕は作品を創るときに「視点を変える」ということにこだわってきました。別な角度、いわゆるニッチな視点ですね。うちが手掛けた他の作品でも、例えばオリンピックを描く時、ドーピング商品を選手に売るバイヤー視点でつくるなど取り組んできました。

視点を変えて紡ぎだすことによって、新しい問題提起が何かみえてくるのではないかとは常に考えて素材を選んでいます。今回の作品の着想もその範疇(はんちゅう)で生まれました。

「当事者意識」の境界線は?発達障害の子どもとその周縁をどう描いてゆくのか

編:既存のイメージから視点を変えて芝居を紡ぎ出すということですが、今回、療育センターの職員と発達障害の子どもという題材の中で、どのようなテーマを持たれていたのでしょうか。

松:「当事者意識」というものに対する興味関心です。

「当事者」という言葉はよく使われますが、一体、どこからどこまでが当事者なんだろう、と。

たとえば発達障害のある本人がいて、その親御さんまでが当事者なのか、それとも支援にかかわるすべての人もふくめるのか…。

実際、劇中でも「あなたに足りないのは当事者意識だ」というシーンがあるんですが、じゃあ、あなたはどうなんですか?と、問い返すこともできる。

何があれば「当事者だ」と言えるのか…心の持ち方なのか、血が繋がってることなのか、本当は誰も定義できないからこそ、難しいのだと思います。本人がどれだけ相手を思って行動しても、「いや、あなたは部外者だ」と言われてしまえばそれまで、何もできないというもどかしさがある。

その、定めきれない「当事者意識」の境界線を作品で描くには、なるべく広く関係性を作るべきだと思ったんです。子どもと子どもの親がいて、民間のセラピスト、センターの人、ドクター、心理士の夫、などなど。

自分は当事者なのか?と悩みながらも相手にかかわっていく、あるいは、この人は当事者ではないと相手に思いながらも頼っている、この状態やそんな関係性そのものを描きたいと思ったのです。

編:なるほど…では、劇中の登場人物たちがその人なりの「当事者性」を追求していくような形で物語が進んでいくのでしょうか?

松:いえ、自分が当事者と思っているか思ってないかは、バラバラに設定しています。それぞれのシーンで、観る人が「『当事者』というものを考えることに直面する」ように演出しています。

たとえば、「息子を障害者にするつもりか!」「あなたに足りないのは当事者意識だ」といった台詞を聞いたときに、ハッとする人もいるかもしれないし、疑問を持つ人もいるかもしれない。観る人それぞれが考える余地を残して、シーンを描いています。

編:「これが当事者だ」と答えを出すというより、当事者性そのものを”考える”ために劇がすすむようにしているということですね。

松:そうですね。基本的に答えを出したり作り手のメッセージを出していくタイプの劇は作っていないんです。

登場人物の悩みそのものを持ち込み、悩みと悩みがぶつかり葛藤がおきる、人間関係のうまくいかなさ、その場面をそのまま提示していこうと。

その中で、互いに争わず、妥協ではない前向きな折り合いをつけるにはどうするか、今この瞬間の現実の悩みをどうするかを、描いていきたいと思っています。そもそも80分の劇で人間の悩みなんて簡単に解決できないとも思っていますしね。

稽古中、セリフにつまづいて黙ってしまう役者を褒めます。その訳は…

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編:役者さんとは普段どのようなコミュニケーションをとりながら稽古をしているのですか?

松:「嘘はつかないでほしい」と、まず最初に言っています。セリフがあるからって言わないでほしい、言えないのに言わないでほしいと言っています。

セリフを覚えてないわけでなく、うまく出なかった。そんな時には立ち止まって、なぜ出なかったのかを考えてほしいと伝えています。なんでその演技ができないのかということを考えてほしいんです。とりあえずで無理やり話を進めないで、セリフを言うきっかけを探してほしいって言っています。

ピンとこないセリフがあったら、じゃあ今どんな気持ちになっているのかを共有して前段階から演技を考えていきます。なるべくお互いにごまかさない、その代わり稽古なんだから失敗していきましょうと。そう伝えると、ホントにセリフ言わない人も出てくるんですよ。

そこからは、この人物がセリフを言う動機はどこにあるのか、どれくらいのイメージを持ってやっているのか、お互いのイメージをすり合わせるようにして進めていきます。

編:松澤さんが今のような演出スタイルをとることになったきっかけはなんですか?

松:そうですね。人はそれぞれ違う、という意識がそうさせたかもしれません。自分と他者という違いに少しずつ気付いてきた時期があって。

昔は男主人公でやっていましたが、一挙手一投足が気になりすぎてしまって、役者にも細かく指摘し過ぎてしまうんですね。だんだん、「このままじゃ駄目だ」と思うようになって、女主人公の芝居にチャレンジしたんです。そしたら、女性のしぐさに対してなかなか想像が及ばず、わからないことだらけだったんです。

そこで気づいたんです。そもそも演出家も役者も、芝居に挑むバックボーンが違うし、みんなバラバラの意思や体を持っているのだということに。でもそれは、一緒に芝居を作っていく上では、実は大した問題ではないんですよね。

大事なのは同じ目標を持って、ひとつのことに向かうこと。そこに至るまでに各々が違う役割を全うすればいいだけ。そこから今のような演出スタイルや、役者とのコミュニケーション方法が築かれていきました。

編:人はみんなバラバラで、違った意思を持っている。当たり前のことなのに、人はつい自分の信念や、一般的な社会通念にとらわれてしまう…発達障害のある人の中には、そんな周囲からのプレッシャーに苦しんでいる人も少なくないと思います。

演出家、役者、監修者、一人ひとりの「ちがい」を前提として芝居をつくりあげていくスタイルは、きっとこのテーマにぴったりの手法なのだと感じました。

自分のフィルターは、視点が異なる他者との密なかかわりで、外していける

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編:今回の作品の話に戻りますが、創作していくうえで、松澤さんの築いたスタイルはどう生かされましたか?役者さんにとっては、発達障害のことや心理士の仕事は未知の世界でしょうし、イメージしにくいところからのスタートだと思うのですが。

松:初演の稽古の際、きっかけになったできごとがあります。

くまさんがいて、うさぎさんがいて、箱にビー玉を入れるという、子どもへの発達検査のシーンでのことです。

最初は、検査で子どもが間違えてしまったことで生じた、発達障害の可能性に対して、両親が失望するという台本にしていたのです。しかし、父親役の役者の意見からは「間違えてしまった子どものことは、僕には正常に見えた。子どもだから複雑な指示に従えないのは当たり前だと思います」といったのです。

そこで活路が見えました。こうなるから、こう とこだわらず、なるべく自分のフィルターをはずして、バラバラにして組み立てていくようにしたんです。実際に演じる役者さん、監修をしてくれた心理士、自分と視点が異なる他者の視点を取り入れていくことで、リアリティが生まれていきました。

そんななかで、たとえば観客席の最後列から聞くと声が聞き取れない役なども出てきました。登場人物のテンションもそれぞれ違うので、役ごとにバラツキをもたせたのです。普通のお芝居だと、なるべくはっきり、後ろまで声が通るようにしますよね。でも今回、それをやらなかった。

あと、余談ですがうちは円陣も組みません。そしたら同じテンションになっちゃうから。それではリアリティを消してしまいます。そこまですると演出がバラバラに見えることもあるかもしれません。しかし、現実では同じテンションはありえないんです。揃えてしまうことではリアリティは生み出せないことになります。

なるべく誰かのペースに巻き込まれないでと、役者には言ってます。ストーリーばかりを勝手に進めないようにと。正しいと思ってなくても言ってほしい。自信のなさでもいいので、なるべく決めつけずに進めてほしい。だから達成感がない芝居だと役者から言われることもあるんですけどね(笑)。

伝わりにくい「生きにくさ」の正体。観客に「いたたまれない…」と思わせる、ぎりぎりの表現を生み出すには

編:テーマにかかげてある「生きにくさ」を身体表現と会話劇で繰り広げるのは大変だと思いますが、どういう点で苦労しましたか?

松:一般的には芝居って筋書きが決まっているものなので、稽古すればできるようになるじゃないですか。出来不出来はともかく、とりあえずストーリーは追えると思うんですよ。でも、それだけでは安定してしまう。だからぎりぎりを攻めてほしいと、役者さんに伝え続けました。

セリフをとちってほしいというわけではないんですが、ぎりぎりまで忘れているんだけどぽろっとセリフが出てくる、それぐらいの状態でいてほしいと。そこでリアリティがでてくるので。

矛盾と戦い続けることで出来るようになっていくことですよね。稽古していることを稽古していないことのようにやること。100回練習したことをはじめてやるかのようにやる。「生きにくさ」とは、「うまくいかなさ」ですからね。

たとえば、ここで突然御二方(発達ナビ編集部員)に怒られたとするじゃないですか。
インタビュー受けなきゃよかったな、早く帰りたいなぁ、言ったこと間違ってたのかなという気持ちになって、ここにいにくくなると思うんです。「いたたまれなさ」です。そのあり様をそのまま舞台上に、その気持ちで立ってもらいたいと思っています。

やっぱりお芝居って、自分の出番で自信を持って体を大きく動かしてセリフをバシッということができるほうが気持ちいいんですよ。自分も役者だったんでわかるんです。そっちのほうがある種の安心感があるというか。でも目指すのはそっちじゃない。

ここ全然うまくいってない、相手との掛け合いがうまくいってない、っていうときほど「今日よかったですね」って僕は言いますし、逆に役者が「今日は調子いいぞ」と思っているときほど駄目で、「今日は予定調和でした」と言いますね。

演劇によっていろいろなジャンルがあるので、秒単位で筋書きが決まってるようなものでこういうことをやるのは駄目ですが、「わたしの、領分」のようにありのままを見せるような芝居では、その人自身がちゃんと傷ついてその場にいたくないという気持ちになることが大切だと思ってます。心のどこかで本当に「ここにいたくない」と思うことが大事なんです。

そういうところが身体表現の大事なところなんじゃないかと思います。

いるとき、いなくちゃいけないときの境目を分けてふるまうことも大事です。いなくていいときはすぐ舞台上から去ることも大切ですね。

編:戸惑うお客さんもいるんでしょうね。

松:芝居に親しんできた人は斬新にみえるらしいですね。

現代口語演劇の延長線でやってきているので、それに親しんでいる人は受け入れられると思います。アンケートで、「私がいつも観ている帝国劇場より声がでてない」とか(笑)、「結論がない、結論を出せ」といわれることもあります。

もともとある価値観を変えることはなかなかむずかしいし、それこそ多様性を認めろというのも押しつけでありエゴでもあります。

でもこういう人がいるんだということを知るというのはいいと思っています。登場人物にどこか自分と共通した変なところが見えてくるといいと思います。

たとえば、作中に登場する心理士も変な人が多くて、ちょっとずれてるところを持っていることが多いように描きました。

登場人物の荻野もシャーペンのカチカチする音がきらいで、年の離れたドクターにおもわず切れてしまうことがあったり。それをお客さんもみて「ここわかる」「ここわからない」と自分の中にもある変わったところと重ねながら観てもらえたらと考えています。

相模原殺傷事件の匿名報道への憤り。少しずつ歩き続けようと、すぐ再演を決めた

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編:少し話を社会的な事象の時系列から掘り下げて、作品の真相に迫っていきたいと思います。2015年に初演があって、その後、相模原障害者施設殺傷事件がありました。

そして今2017年に再演することになったわけですが、松澤さんの中であの事件は偶然の重なりといえますか?どう事件を咀嚼して再演するにいたったのでしょうか?

松:誤解を恐れずに言うと…ついに起きたかと思ったんですね、相模原は。

ヘイトスピーチや優生思想が最近増えており、それに賛同する人が増え一定の共感を得てしまい社会に浸透しつつあったところでこの事件が起きました。

その中での匿名報道、やっぱりそうなったかと思いました。遺族に配慮した、と言って19名全員の被害者名を警察が伏せたというのがそのような社会になってしまっていることの表れで。伏せざるを得ないのが社会の在り方なんだなと思いました。

19名全員の遺族が出さないでくれといったわけではないのに、とっさにそのような判断がくだってしまうという。そこには顔がないと思うんですよ。命を奪われて、そのあとに冥福を祈るというときに「個」をはく奪されてしまう。

被害者たちは、19という数字になってしまう。

まだそういう社会なんだ、平気でそういう判断を下して「悲惨な事件でしたね」という感想で終わってしまう。その近くにいた人だけが解決しないまま問題意識を持っている状態になってしまう。

それで、すぐ再演を決めたんですが、再演を決めた後もすぐに批判されたんですよ。「あなたが芝居して何が変わるんですか?」「お金儲けしたいだけでしょ」と言われて。

そこに当事者意識の違いを感じました。

被害者じゃなければ語れないのであれば、何も変わらないと思うんですよ。結局見て見ぬ振りを続けていく、ひどい事件が起きたね、終わり、にするわけにはいかない。

何よりああいう犯人を出さないようにするためにも、あまり議論が尽くされない中での匿名報道などにも待ったをかけるように働きかけていかないといけないんじゃないかと思ったんですよね。

そこで再演に関してですが、まず相模原事件が起きたあとに設定を変えたんです。

現実に起きた事件をないがしろにできないので、名前は出してないのですがその事件の後だとわかるようにしています。なので時系列は2016年にしました。

あとは、ラストシーンを変えました。初演を見た人はびっくりするくらいの全く別物になると思います。まったく見え方が変わるはずです。

タイトルも変えたんです。「わたしの、領分。」だったのを「。」をとったり。この違いからこの作品の意味がわかってもらえたらと思います。

初演は、立ち止まることが大事、というイメージでしたが、再演は、少しずつでいいから歩き続けよう、というイメージにしています。これは初演から2年たって変わった心境と思ってもらえるといいかもしれません。


編:これまでお話を聞いていて、松澤さんが手掛けるお芝居は、非日常の娯楽というよりは、むしろ日常の延長の中にある芝居というような印象を受けます…

松:芝居のラストシーンがお客さんの日常につながっていってほしいんですね。家に帰った時にじわじわ効いてきてほしい。

演劇は新しい視点をお客さんにあたえることができると思ってます。

芝居をみて、「心理士っていう仕事があるんだ」くらいの感想でもいい。あるいは、街中で発達障害かもしれないなという人を見かけたら、見て見ぬふりではなく「あ、昨日のお芝居で…」と思い出してもらえるなら嬉しい、ほんの一歩でもいいので、今まで自分の中になかったものを受け入れるキャパシティが広がれば、と願います。

日常忙しい親御さんにも、肩の力を抜いて楽しんでもらいたい

編:発達ナビは発達が気になるお子さんの保護者の方向けメディアです。何か直接伝えたいことはありますか?

松:ここで今、取り立てて伝えたいことはないんですよね。というのも、この芝居は終わる物語ではないので、メッセージも答えもないありのままのものなので。親御さんたちは、ご自分やお子さんに引きつけて見られる部分もあるとは思いますが、一方でまた別のお話、別の人生であると、少し離れて肩の力をぬいてみてもらえたらと思います。

こういう生き方もあるんだ、こういう人もいるんだ、というふうに感じ取ってもらえたらいいなと思ってます。

編:普段育児に忙しくしている方々も、少し肩の荷をおろせる時間になるといいですね。

松:そこまで言い切れるかどうかはわからないんですが、きっと日常で悩みやご負担も多いと思うので、普段なかなか自分のことにかまえずにいるなかで、演劇を純粋に物語として見てもらい楽しんでもらえたらと思います。

心理士と親御さんの面談シーンを第三者として見るってのもあまりないと思うので。

編:本当に楽しみな舞台ですね。本日はお話ありがとうございました!

公開規模の拡大・地方公演に向けたクラウドファウンディングページはこちら!

*このクラウドファウンディングは現在終了しています(編集部追記)。*

インターネットを通じて様々なプロジェクトへの活動サポート・寄付ができるクラウドファンディングのプラットフォーム「CAMPFIRE」にて、「わたしの、領分」の公演規模拡大、地方公演の実施に向けた資金を募るプロジェクトを実施中です!

公演情報 (*この公演は現在終了しています:編集部追記)

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松澤くれはプロデュース 『わたしの、領分』

2017年3月28日(火)~4月2日(日) @小劇場 楽園

作・演出

松澤くれは

出演者

善知鳥いお
岡村いずみ
江幡朋子
尾﨑菜奈
倉冨尚人
今駒ちひろ
野下真歩
早山可奈子
坂内陽向
宮川智司
柴田淳(ブラックエレベータ)
室田渓人(劇団チャリT企画)
濱田龍司(ペテカン)

スタッフ

舞台監督:吉倉優喜
舞台美術:小林裕介
音響:葉暮呉一郎
照明:タカハシカオリ
小道具:定塚由里香
宣伝美術:イラスト…谷川千佳/デザイン…milieu design
制作:森永たえこ
協力:特定非営利活動法人アートシアター 株式会社アイビー・ウィー ウォーターブルー 株式会社大沢事務所 株式会社スチール・ウッド・ガーデン 株式会社パワー・ライズ (有)No.9 UTY リベルタ(五十音順)
製作:「わたしの、領分」製作委員会

公演日程

2017年3月28日(火)~4月2日(日)

タイムテーブル

3/28(火)      19:30
3/29(水)      19:30
3/30(木)  15:00  19:30
3/31(金)      19:30
4/1 (土)  14:00  18:00
4/2 (日)  13:00  17:00

※上演時間は約80分を予定しています。
※受付開始・当日券販売は開演の40分前、開場は30分前からです。
※開演10分前までにお越しいただけない場合、キャンセル扱いとなる場合がございます。

チケット

前売り 4,000円 / 当日券 4,300円(全席自由席・日時指定)

お問い合わせ

pro.watashi@gmail.com
050-5319-3493(森永)

出典:https://watashi-no-ryobun.themedia.jp/
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