「当事者」って、なんだろう…?発達障害の療育センターが舞台の演劇「わたしの、領分」が問いかけたいこと

ライター:平澤 晴花(発達ナビ編集部)
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療育センターを舞台に、発達障害がある子どもにかかわる「心理士」の視点で描く、演劇『わたしの、領分』。初演、再演と好評を博し、この度、2018年10月に再々演!心理学・特別支援のアドバイザーからの意見も盛り込みリアリティを追及した芝居づくりの過程、相模原殺傷事件ののち痛烈に感じた再演への思いなど、演出の松澤くれはさんにききました。(*インタビューは再演の2017年時におこなったものです)

療育センターを舞台にした演劇、「わたしの、領分」

わたしの、領分
https://watashi-no-ryobun.themedia.jp/
療育センターを舞台に、発達障害がある子どもにかかわる「心理士」の視点で描く、演劇『わたしの、領分』。2年前の初演で好評を博し、2017年3月に再演(3/28~4/2 東京・下北沢/小劇場 楽園)。
LITALICO発達ナビでは、公演に際して、演出の松澤くれはさんにインタビューを行いました。
インタビュー風景
Upload By 平澤 晴花(発達ナビ編集部)
松澤 くれは(まつざわ くれは)
脚本家・演出家。1986年、富山県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。演劇ユニット<火遊び>代表。
芥川賞作家・中村文則氏『掏摸[スリ]』の舞台化にはじまり、『殺人鬼フジコの衝動』『天帝のはしたなき果実』『くるぐる使い』など、人気小説の舞台版を手がける。

オリジナル作品では「あなたとわたしが[We]に近づく物語」をテーマに、言葉で分かり合おうとしながらも分かり合えないことを受け入れる、人間の生き方を一貫して描く。現実のような生々しい会話劇で、観客の日常につながるラストシーンを目指している。

舞台「わたしの、領分」あらすじ

大学院を卒業し、都内の療育センターに配属されたばかりの心理士・萩野は、発達障害児を中心に面談を行っている。「いつか治りますよね?」「うちの子を障害者にする気か!」 親たちは口々に言いながら、救いを求める眼差しを彼女へ向ける。認識の齟齬から生じる軋轢に悩みつつも、萩野は実直に、進むべき道を探してゆく。
ある日。定期面談を終えたはずの青年が、センターにやってくる。
勤務先での生活を嬉々として語る彼に、まとわりつく悪意の存在。
青年が起こした傷害事件は社会を巻き込んだ「自閉症をめぐる問題」 へと発展し、偏見と差別が膨らみ続けるなか、萩野は一人「こころ」と対峙する。
世界のあいまいさを許容して生きるための。はるかから、わたしの物語。

療育センターの心理士が紡ぐストーリー 誕生のきっかけ

編集部(以下、編):はじめまして。今回 療育センターを舞台にしたお芝居『わたしの、領分』再演ということで、ぜひお話を伺えたらと思います。

まずはじめに、このお芝居を作るそもそものきっかけは何だったのでしょう。

松澤くれはさん(以下、松):もともと、僕の知り合いに療育センター勤めの心理士がいたんです。その人から現場サイドの悩みや葛藤を知る機会がありました。そのときはじめて「支援する側にも葛藤や悩みがある」ということを知りました。

療育施設という場所には常々舞台として関心があったのですが、そこでの話というと、既存のものはどうしても親御さんや子ども当人からの視点で描かれがちで。

療育施設には心理士さんもいます。知人の話を聞いて「心理士の視点から書きあげることで新しい作品がつくれるんじゃないか」と思ったのです。

もともと僕は作品を創るときに「視点を変える」ということにこだわってきました。別な角度、いわゆるニッチな視点ですね。うちが手掛けた他の作品でも、例えばオリンピックを描く時、ドーピング商品を選手に売るバイヤー視点でつくるなど取り組んできました。

視点を変えて紡ぎだすことによって、新しい問題提起が何かみえてくるのではないかとは常に考えて素材を選んでいます。今回の作品の着想もその範疇(はんちゅう)で生まれました。

「当事者意識」の境界線は?発達障害の子どもとその周縁をどう描いてゆくのか

編:既存のイメージから視点を変えて芝居を紡ぎ出すということですが、今回、療育センターの職員と発達障害の子どもという題材の中で、どのようなテーマを持たれていたのでしょうか。

松:「当事者意識」というものに対する興味関心です。

「当事者」という言葉はよく使われますが、一体、どこからどこまでが当事者なんだろう、と。

たとえば発達障害のある本人がいて、その親御さんまでが当事者なのか、それとも支援にかかわるすべての人もふくめるのか…。

実際、劇中でも「あなたに足りないのは当事者意識だ」というシーンがあるんですが、じゃあ、あなたはどうなんですか?と、問い返すこともできる。

何があれば「当事者だ」と言えるのか…心の持ち方なのか、血が繋がってることなのか、本当は誰も定義できないからこそ、難しいのだと思います。本人がどれだけ相手を思って行動しても、「いや、あなたは部外者だ」と言われてしまえばそれまで、何もできないというもどかしさがある。

その、定めきれない「当事者意識」の境界線を作品で描くには、なるべく広く関係性を作るべきだと思ったんです。子どもと子どもの親がいて、民間のセラピスト、センターの人、ドクター、心理士の夫、などなど。

自分は当事者なのか?と悩みながらも相手にかかわっていく、あるいは、この人は当事者ではないと相手に思いながらも頼っている、この状態やそんな関係性そのものを描きたいと思ったのです。

編:なるほど…では、劇中の登場人物たちがその人なりの「当事者性」を追求していくような形で物語が進んでいくのでしょうか?

松:いえ、自分が当事者と思っているか思ってないかは、バラバラに設定しています。それぞれのシーンで、観る人が「『当事者』というものを考えることに直面する」ように演出しています。

たとえば、「息子を障害者にするつもりか!」「あなたに足りないのは当事者意識だ」といった台詞を聞いたときに、ハッとする人もいるかもしれないし、疑問を持つ人もいるかもしれない。観る人それぞれが考える余地を残して、シーンを描いています。

編:「これが当事者だ」と答えを出すというより、当事者性そのものを”考える”ために劇がすすむようにしているということですね。

松:そうですね。基本的に答えを出したり作り手のメッセージを出していくタイプの劇は作っていないんです。

登場人物の悩みそのものを持ち込み、悩みと悩みがぶつかり葛藤がおきる、人間関係のうまくいかなさ、その場面をそのまま提示していこうと。

その中で、互いに争わず、妥協ではない前向きな折り合いをつけるにはどうするか、今この瞬間の現実の悩みをどうするかを、描いていきたいと思っています。そもそも80分の劇で人間の悩みなんて簡単に解決できないとも思っていますしね。
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