苦手なことができるようになっても…

そして…LDに気づかれずにいる子も多い中で、親と学校の理解やサポートを得られてきた長男は幸運だと思いますが、それでも決して、これで「メデタシ、メデタシ」ではなかったのです。

長男は今、彼にとっては「字を書くことへの困難さの壁」よりも更に大きな、過去最大の「壁」にぶつかっています。

それは「勉強ができなかった自分」の壁です。

折角勉強をやる気になった彼が、黙々と問題を解いていた手が急に止まり、突然怒り出したり、ネガティブな連想ゲームが止まらなくなったりして、勉強を中断してしまうことがあります。

ずっと、学校の成績が悪くて「勉強のできない子」という印象のまま、小学校5年間を過ごしてきた長男。長男は、空気が読めない体質だし、人の話もあんまり聞いてないので、私は、周りから何か勉強や成績のことで言われても、気にしないほうなのだろうと思っていました。

ところが、そうではなかったんです。

周りからの何気ない言葉や表情の意味を、その時点ではすぐに気づかなかっただけで、ずっと何かが彼の心に引っかかったまま記憶の片隅に保存されて、皮肉なことに、学習面の力が向上してきたことで、ある日突然分かってしまうことが出てきたようなのです。

私が知る限り、長男の周りには、優しい子、温かい先生が多かったと信じています。それでも、小学校5年間の中で定着してしまった「勉強のできない子」という自分のイメージが、今の彼の足かせとなっているのです。

そして、「自分に合った方法なら、できる」ことに気づいた長男は、今までの自分自身にも憤り、一つの小さなミスから、過去のミスや失敗の体験のイメージが、次々と芋づる式に思い出されて、何度もその時のイヤな気持ち、悔しい気持ちを味わい直してしまうのです。

過去の自分に、負けないで欲しい。時間をかけて大事に育ててきた「学びたい」きもちの芽が、つぶれないで欲しい。そう祈るように願っています。

しかし、同時に私は、「家での勉強は楽しい。効率がいい」という長男に、「それでもみんなと同じ学校で、同じように勉強したほうがいい」という、前向きで合理的な理由を、なかなか見つけられずにいます。

世界に目を向けてみれば…

一方、世界に目を向けてみれば…

個性を尊重する風土のあるアメリカでは、習熟度別クラス編成や飛び級制度、約200万人の子ども達が学ぶギフテッド・2E(著しい能力の凸凹がある、二重に例外的なタイプの子)教育も含めた特別支援教育プログラムなどがあり、強い個性も「社会的資源」と捉え、大事にされる受け皿があります。

LDに対する理解が深いイギリスでは、「SEN(Special Educational Needs=特別な教育的必要性 )」のある生徒に対して、通常の教室の中で学習アシスタントの方の配置などがあり、個別の教育計画(IEP)を元に、一人ひとりのニーズに合わせた学び方で学んでゆけるバックアップ体制が整っているのだそうです。

また、特別支援教育に限らず、教育先進国と言われるフィンランドでは、1クラス20人以下の少人数のクラス編成、勉強の苦手な子への補修制度、小学校から大学までの学費無料など、得手不得手や親の経済力などで学力の差が出ない「平等」な手厚い教育で、成果を上げているようです。

教育移住先として人気で、「イエナプラン教育」に代表されるオランダなどでは、多国籍な環境の中、ダイバーシティ(多様性)を認め、学校や学習内容に選択肢が多く、学区や学年や教科書の枠に縛られない、自由度の高い教育を行っています。

また、ホームエデュケーション/ホームスクーリングの考え方が普及していて、学校に通学せず家庭を拠点とした学習を行っていくことが、公的に認められている国・地域も多くあります。
参考書籍「ギフテッド 天才の育て方 (ヒューマンケアブックス)」 杉山登志郎・岡南・小倉正義 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4054041647
TRiPORTマガジン「学力世界一の国"フィンランド"と日本の教育方法の違い」
https://www.fashionsnap.com/article/2016-02-13/the-education-of-finland-is-proud-of-worlds-best-scholastic-ability/
不登校新聞「オランダの教育を知る」
http://www.futoko.org/kodomo/page1115-240.html
参考書籍「子どもは家庭でじゅうぶん育つ―不登校、ホームエデュケーションと出会う」東京シューレ (著, 編集)
https://www.amazon.co.jp/dp/4903192024

宝石を捨てないで。30年の過去と未来

どうか、LD(学習障害)のある子には「できる子」として接してあげて下さい。の画像
Upload By 楽々かあさん
こういった状況の中、今の日本の子ども達は、30年前、私が小学生だった頃と同じように、大人数の教室で、一斉に前を向いて座り、教科書の順に添って一律に進められる、読み・書き・計算中心の授業を受け、宿題は相変わらず、音読・漢字書き取り・計算ドリルをしています。

もちろん、この方法の全てが悪い訳ではなく、日本の子ども達は平均的に学力が高く、伝統的な教育方法が「合っている」子も、数多くいるのだと思います。でも、それが「合わない子」だって、もはや「例外的」とは言えない程、一定の割合の人数、通常の教室にいるのです。

私は、うちの小学校の先生方が、毎日夜遅くまで残業しながら頑張っているのを知っているので、親と現場の先生方の努力だけでは「これ以上」に期待できることには限りがあるように思えます。

そして、一律に「みんなと同じように」が強く求められる中では、LDがある子に限らず、個性が強く、人と違った発想ができる子、特定の分野に高い好奇心・探究心が持てる子、自己主張でき行動力がある子ほど、つらい想いをしがちなのではないでしょうか。

以前より、欧米に比べ「30年遅れている」とも言われて来た日本の特別支援教育。

現在「発達障害」などの言葉が広まり、LDのある子を巡る状況は少しずつ良い方向へ進んでいます。また、新しい学習指導要領の普及・実践で期待できる部分も大きいとは思ってはいますが、「もしも」こういった子達への教育の受け皿が整うまで、あと30年もかかるのだとしたら…。

長男は今の私と同じ年齢になっているのです。その時の彼は、どんな人生を送ってきているのでしょう。

本当に学びたいことを、専門の教育機関で学べるチャンスはあったでしょうか。
進学や就職活動で、苦手さや成績表や学歴が、足かせになってはこなかったでしょうか。
温かい日差しの当たる場所で、毎日を楽しんで過ごしているでしょうか。

私は、モノを大事にする文化のあるこの国で、今を生きるLDのある子を始めとする、個性の強い子ども達に、折角の長所を「活かす・伸ばす」支援教育や、ひとりひとりのニーズに合わせ、多様な学び方を受け容れる公的な受け皿が整っていないことは、宝石を捨てるように、モッタイナイことだと思うのです。

そして、子ども達は、日々成長し続けてゆくのを、大人の都合で待ってはくれません。
次ページ「今スグ誰もができるLD対応…それは「できる子」として接すること」

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