頑張りすぎは本末転倒。倒れる母を見て、息子の胸に生まれた「罪悪感」

ライター:林真紀
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仕事に家事に息子の支援。小学校に入ってから疲れがたまりがちな私。時には疲労のあまり動けなくなってしまうことも…。そんな姿を見ていた息子が何を考えていたのか、私は思いがけないことから知ることになったのです。

動けなくなるほどの疲労。息子の反応はというと…。

発達障害のある子どもを育てていると、親の側も知らず知らずのうちに小さな疲れが蓄積してしまうことがあります。

音や味覚などに敏感なために、気を遣わなければならない部分が多かったり、学習上のサポートが毎日のように必要だったりすることも少なくありません。常にそばにいる親は、無意識のうちに生活環境や学習環境を先読みし、発達障害の子どもが不本意な癇癪などを起こさなくて良いようにアンテナを張り巡らしているふしがあります。

もちろん、親の生活は発達障害の子どものケアが全てではありません。仕事をしている人もいるでしょうし、兄弟・姉妹のケア、そして地域社会での活動などにも常に心を砕いているはずです。

そんな目まぐるしい日々の中で、私自信もたまに、夕方になると動けないほど疲れきってしまう日があります。子どもたちに心配をかけてはいけない…分かってはいても、少しでも休まなければ夕食を作ることもできないのです。

同じ発達障害の子どもを育てるお母さんたちとみんなで話していると、同じようなことを言う人が結構多いことに気づきました。「週末は疲れきってしまって動けなくなる」「自分は何かの病気ではないかと疑ってしまうほど疲れてしまう…」そんな声をよく聞きました。

動けなくなるほどの疲労に襲われながらの毎日。でも、現在小学校1年生の息子はそんな私を気にかけている様子は全くありませんでした。倒れている私の横でゲームをしているし、どんなに私が辛くとも、決まった時間になると「お腹すいた!」と揺り起こしてくる子です。

息子は、私が疲れて動けなくても、気に病んだりしない子なのだな、と私はちょっと気楽に考えていました。けれども、息子は決して気にしていないわけではなかったことを、私は後で知ることになります。

ある日、友達の母さんから届いた息子の本音。

ある日、いつものように帰宅してからお友達の家に遊びに行った息子。そのときに、訪問先のおうちのお母さんから、突然メールが来ました。

「息子が何かやらかしたかな!??」とドキドキしながらメールを開くと、そこには「ママさん、体調大丈夫ですか?」という言葉が書いてありました。

なんだろう、と思ってメールを読み進めてみると、息子が「うちのママはいつもすごく疲れていて、変な病気じゃないか心配になる。もしかしたら僕のせいで疲れているのかもしれない。僕はママにいっぱい迷惑をかけているのかもしれない。」とずっと心配していたそうなのです。

私はびっくりしました。そしてとてもショックでした。息子は私が疲れて横になっていることで、自分自身の存在に罪悪感を感じ、自信を失っていたのでした。

思い出した、あの言葉

息子が言っていた言葉をお友達のお母さんに聞いたとき、私は自閉症作家の東田直樹さんが言っていた言葉を思い出したのです。

東田直樹さんは、こう言いました。

「僕たちが一番辛いのは、自分のせいで悲しんでいる人がいることです。 自分が辛いのは我慢できます。しかし、自分がいることで周りを不幸にしていることには、僕たちは耐えられないのです。」

東田さんのこの言葉を聞いたときは、「私は別に息子がいるからって自分が不幸だとは思っていない」と思い、それほどこの言葉の意味について深く考えることはありませんでした。けれども息子にとって私が寝込んでいるそのことこそが、自分が誰かを不幸にしている出来事に他ならなかったのです。
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