「理解されないことが当たり前」と思っている私の、今後の課題と願い

「発達障害は理解されなくて当たり前」じゃない!?不登校を続ける息子の学校からの提案で、気づいたことの画像
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=29973000144
当たり前と言えば当たり前だ。発達障害の特性による不便を明かして、あっさり受容されることはほとんどない。まず相手が発達障害というものを知らないケースはまだまだ多い。ここで説明して、なんとなくでも知ってもらえればかなりラッキー。「気のせいだよ」「考えすぎ」、ともすれば「わがまま」と突き放され、理解どころか、発達障害というものの認知を拒否されることだってあるのだ。

そんなことを繰り返していれば、自分の心を守るために「理解されなくて当たり前」という構えになるのは致し方ない。しかし、息子や私自身に関する配慮を願い出るとき、「すみません」「ごめんなさい」を連呼している自分に気づき、「ここまで卑屈になる必要はあるのか」と、疑問が頭をもたげることもある。

不登校の件だってそうだ。周囲には学校に行かないことを選んだ児童・生徒とその親御さんが何組かいるが、皆さんそれぞれにかなりご苦労されたようだ。中には「もう理解を求める気力なんてない。辛いけど、問題児扱いに甘んじている」という親御さんもいらっしゃる。

無論、「理解・配慮されて当然」などと思っているわけじゃない。前述した、息子の自宅学習について学校側が配慮してくださった件についても、実にありがたいご対応だと感じている。

じゃあ、何が疑問なのか。

地域自治体や学校、個人によって受けられる配慮に格差があることだ。身近に発達障害や不登校の当事者がいない人はもちろん、支援者と呼ばれる立場の人であっても違いすぎる。

原因は、情報量だろう。発達障害ブームと言われて久しいが、かつての私もそうであったように、まず「発達障害を知る」という機会に触れられる人がひと握り。こと、私の住んでいるような地方では、理解や認知以前の問題に留まっているように見受けられるのだ。その差をどう埋めていくかを考えるのは、全当事者・関係者の課題だろう。声を上げる・上げない、影響力の大小にかかわらず、だ。

…なんて偉そうに書いている私も、妙案を持ち合わせているわけでもない。ただ、「理解されないことが当たり前」という悲しい前提が、まずは「現状、理解してもらえたらありがたいけど、本来は保証されるべき権利」に変わり、次に「正当な権利だけど、伝わらなければ説明が必要」へ、最終的には構えることなく配慮を願い出られる社会になってほしいと、おそらく皆さんと同じように願っている。

過度にへりくだったり、卑屈になる必要ないだろうと、わが身を振り返って思う。ただ毎日を「自分らしく生きたい」と望んでいるだけなのだから。
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