孤独に奮闘するママの一人として。自閉症子育ての経験を描いた漫画『ムーちゃんと手をつないで』

ライター:みなと鈴
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―「漫画を描くこと」は「生きる」こと―
その思いに新しい意味が生まれた日

私がこの子を授かった意味は何だろう?
神様は私に何を学ばせたくてこの子を私に託したのだろう?
考え続けた私がたどり着いた答えは、
そんな私の苦悩も、そして喜びも、
すべて込めた作品を描くことでした。

我が家のムーちゃん誕生

2007年、我が家に第一子が生まれました。
「元気な女の子ですよ」助産師さんがそう言いながら胸に抱かせてくれた、
その体の小ささと、少し冷えた肌の感触を今でも良く覚えています。
作中にも描きましたが「この子を一生大切にしよう」
心の中でそう誓ったあの日。
まさかその可愛い可愛い我が子が自閉症だなんて…
夢にも思いませんでした。
『ムーちゃんと手をつないで~自閉症の娘が教えてくれたこと~』1巻p.8より©みなと鈴・秋田書店
『ムーちゃんと手をつないで~自閉症の娘が教えてくれたこと~』1巻p.8より©みなと鈴・秋田書店
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ムーちゃんと手をつないで~自閉症の娘が教えてくれたこと~(1)
みなと鈴(著)
秋田書店
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作品に出てくる伊藤 睦(むつみ)こと『ムーちゃん』のモデルになったその子は睦という名前ではありませんが私たち夫婦は「ムーちゃん」とよく呼びます。
療育手帳A判定、重度の自閉症児です。
早いもので今年の春には小学6年生。
ですが、まだ発する言葉のほとんどがオウム返しで会話は成立しません。
排泄に関しても、昨年1月小学4年生でやっとトイレで大便が出来るようになりましたが、
まだ小便は漏れてしまうことが多いので未だトイレトレーニング中です。
また、他害行動があるため5歳になる次女は顔に傷が絶えません…。
そんな2児を育てる日々のなか、私が漫画家復帰を決意してからもう1年以上が経ちました。

「もう一度漫画家として生きたい」
『ムーちゃんと手をつないで~自閉症の娘が教えてくれたこと~』1巻p.190より©みなと鈴・秋田書店
『ムーちゃんと手をつないで~自閉症の娘が教えてくれたこと~』1巻p.190より©みなと鈴・秋田書店
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毎日毎日、家事と子育てに追われ、漫画を描くなんてもう無理!
と一度は漫画家を引退したものの、
もう一度、漫画家として生きることを諦められなかった私。
そりゃそうです。
10才の時から漫画家を目指し、就職活動もしないで学生の身でプロの世界に飛び込み、
「漫画を描くこと=生きること」だったのですから、描かないことは私にとっては自分が半分死んでいるようなものでした。

自分の子育ての体験を漫画にするということ

そんな私がどうしても描かなければならないと、使命にも似たような気持ちで復帰を決め、描いているのがこの『ムーちゃんと手をつないで~自閉症の娘(キミ)が教えてくれたこと~』。
でも決して「こうしたらいいよ」とか「こう考えたらいいよ」
なんてアドバイスのつもりで描いているのではありません。
形にしてこの世に出したいもの、残したいもの、それは…

私がムーちゃんを育ててきた月日の中で感じた、
いち母親としての思いのすべて。

それだけです。

娘が自閉症だと知り、どれほどショックだったか、
どれだけ泣いてどんな時に笑ってどんなことで家族と喧嘩して、
何があって可愛い我が子に手を上げてしまうことがあったのか、
「普通」に産んであげられなくてどれほど自分を責めて苦しんだか…
そして
どれほど子どもに親としての幸せをもらっていたのか、
いかに人に支えてもらって今があるのか…


それを一回一回の話の中で、ストーリーに乗せて漫画に仕上げて世に出すことで、
同じように困難な育児をされている方に
「あなたの気持ちの欠片くらいは解る人間がここにいるよ」
と伝えることが出来たら…

学校の先生や福祉関係の方などに親の気持ちの断片でもビジュアルとともに
疑似体験してもらえたら…

障害のある人々が暮らす世界を見たり聞いたりする機会がない方々にも知ってもらい、
ほんの少しでも理解していただけたら…

発達障害のお子さんを育ててらっしゃる親御さんやお子さんご本人にとって住み良い社会…いや、
より多様性を認め合って暮らしていける、
すべての人にとって住み良い社会に近づけるのではないか…

私の力など微々たるものだけれど、そういった社会の実現に向けて少しでも寄与したい。
私がムーちゃんと過ごした月日を最大限、意味のあるものにしたい。
泣いたり笑ったりの繰り返しだった10年間を誰かを励ます作品にしたい。

そんな風に思うのです。

苦しかったとき、救ってくれたのは自分と同じ“お母さん”

生きていれば、もう死んでしまいたいと思うほどの困難に見舞われることは誰の身にも起こり得ることであろうと思います。
そんな辛く苦しい時期が私にもありました。

私が死んだらこの子はどうやって生きていけばいいのだろう?
社会から厄介者扱いされながら生きていかねばならないのだろうか?
こんな毎日いったいいつ終わるのだろう…
もういっそのこと二人で死んでしまいたい。
海までドライブして、離れ離れにならないように抱っこ紐でくくりつけて、
それからひと思いにアクセルを踏んで車ごと海に落ちてしまえば解決だ…
心中しようとする様子
『ムーちゃんと手をつないで~自閉症の娘が教えてくれたこと~』1巻p.75より©みなと鈴・秋田書店
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精神的に追い詰められている一人眠れぬ夜には、
もう残される夫のことを考える余裕はありません。
ただそういうギリギリのところでいつも実行に移せなかったのです。
もうそんな大それたことを実行するだけの気力も体力もないからこそ、
屍のようになっているのだから。

我が家のムーちゃんは今でも眠るための薬を毎晩服用しておりますが、
当時は0~3才。薬はまだ処方されておらず、毎晩激しく泣いては起きるのです。
人に相談すると「昼間の運動量が足りないから夜寝ないんだ」
と、まるで昼間の育児をサボっているように言われたりしましたが、
午前も午後も外へ連れ出してもムーちゃんの興奮状態は続き、
ベビーカーでのうたた寝程度の昼寝を加えても、一日トータルで6時間程度しか眠らない子でした。夜間も何度も起きては泣く細切れ睡眠。泣かれては起きて抱っこで家の中をウロウロ歩き寝かしつけ、やっと寝たと思っても20分後には再び泣き出す…。
私は次第にいつが昼でいつが夜だか分からないような感覚になってゆき、
精神的におかしくなっていったのです。

そんな自分を救ってくれたのは、
ネット上に綴られた顔も知らないよそのお母さんの言葉。
ネットを開けば、障害者やその親に対する心無い言葉に出会うこともしばしばあり、
当時明らかに様子がおかしかった私は夫にネットを禁止されていました。
しかし、それでも藁をもつかむ思いで私は自分の苦しみを解ってくれる「誰か」の言葉を探しに、時々ネットを開きました。

どこかで自分と同じように苦しみ、ときに喜び、
そして後へ続く者に励ましの言葉を投げかけてくれる見知らぬお母さんたち。


いつか私もそうありたい。

暗闇で孤独に戦っている人に光を届けたい。

そう思って過ごした10年分の思いを、人としても漫画家としても、
そして母親としてもまだまだ未熟者ではあるけれど、
持てる力の限りを尽くして作品に込めたい。

今、あれだけ苦しいと思って過ごした日々は私の糧となり、
課題山積みの毎日に変わりはないけれど、
自閉症者である娘に人としての未熟さを教えてもらえたことに
感謝している自分がいます。

色んなことがあったけれど、そのどれもが今に至るために必要な経験で、
きっと神様が私たち夫婦に何かを学ばせたかったからに違いないと思っています。
そしてその学びはこれから先もずっと続くのです。
次ページ「子どもたちが巣立つまで、長い長い道のりを少しでも楽しく歩くために」

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