「え、私の気持ち伝わっていないの?」驚いた幼少期。発達障害プログラマの私が今、実践しているコミュニケーション術とは

ライター:凸庵(とつあん)
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私はこどものころ、自分の気持ちや考えがよくわかりませんでした。「自分は何が好きで、何が嫌いで、何をしたいのか」ということを意識せずに生活していましたし、それを両親や他の友達に伝えることもできませんでした。
それから成長するにしたがって少しずつ自分のことがわかるようになり、いまでは自分の考えを言語化できることが私の強みになっていたりします。
今回はそんな私が自分の気持ちや考えを意識できるようになった経緯を書いてみようと思います。

凸庵流自分の考えを言語化するポイント

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私はASDとADHDと診断されている30代の男性です。現在とある企業でプログラマとして仕事をしています。
職場では自分の考えを相手が理解できるよう伝えられることや、誰かの困りごとに対して具体的な解決方法を提示できることを高く評価してもらっています。

私が自分の考えを言語化するときに意識しているポイントは3つあります。
1. まず自分が何を感じてどう考えているのか気づく
2. 自分が感じていることや考えていることに気づけたら、それを自分が納得できるよう言葉にしてみる
3. 自分が納得できた言葉を、相手に伝わるような表現にして伝える


自分の考えを言語化するためには、相手に伝わる表現にすることも大事ですし難しいポイントにはなりますが、まずは自分が何を感じてどう考えているのか気づくところから始まると思っています。
言い方を変えると、自分の気持ちや考えに気づけないとそれを誰かに伝えることができないということです。

...なんて偉そうに書いている私ですが、子どものころは自分の考えを誰かに伝えることはまったくできていませんでしたし、その必要性すらよくわかっていませんでした。それどころか「自分が何に対してどう感じていて、何を考えているのか」ということをあまりよく考えていませんでした。

みんな私の気持ちがわかってるから自分から誰かに伝える必要なんかないと本気で思っていた子どものころの私

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私が小学生になったころ、周りのひとたちや両親が、いつも自分がやってほしいと思っていたことをやってくれたり、助けてくれたりすることを、とても不思議に思っていました。
私が教科書を忘れてオロオロしていたら隣の席のひとが「教科書忘れたの?みせてあげるよ」と言ってくれたり、台所でうろうろしてたら母が「おなかがすいたの?」と聞いてくれたり。

いま思えばASDの特性で、私が他者の気持ちを想像できなかったから不思議に思っただけだったのかもしれません。ですが当時の私は、何も言わずとも、やってほしいことや困っていることに周りの人たちが気づいてくれているということが本当に不思議で、一時期本気で「みんなには私の考えが読めるんだろうな」と思っていたことすらありました。

そんな当時の私は「周りのひとたちが自分の気持ちを読んでくれるなら、自分の考えを言葉にしなくてもみんなわかってくれるよね」なんてことを考えていました。自分の考えを誰かに伝えなきゃいけないなんて少しも考えていなかったのです。
周りのひとはみんな読心術を使えるエスパーだと思っていた私でしたが、小学校4年のころに不登校になったときの出来事をきっかけに、自分の考えはちゃんと伝えなきゃダメなんだと気づくことになります。

私が不登校だったのころの詳しいお話は以前記事にさせていただいたので、そちらをご参照いただけますと幸いです。
【前編】30歳、プログラマー、大人の発達障害。私が掴んだ「人生をラクに生きる」サバイバル術のタイトル画像

【前編】30歳、プログラマー、大人の発達障害。私が掴んだ「人生をラクに生きる」サバイバル術

周りのひとも私の気持ちを読むことができなかったんだ…と気づいた母の一言

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不登校のころに母親と言い争っていたとき、私は「母は私の気持ちをわかってるはずなのになんでこんなことをするの?」と思いながら話していました。そのため、話す内容も母親が私の気持ちや考えをわかっている前提になっていたと思います。

そんなある日、どんな話をしていたのかは覚えていないのですが、話しをする中で母親から「そんなの言ってくれなきゃわからないよ!」と言われました。

私としては「えっ?そうだったの...?」という驚きがあり、しばらく何も言えませんでした。

私がエスパーだと思っていたひとたちの中でも特に自分の気持ちを読んでくれていると思っていた母親が、「言ってくれなきゃわからないよ!」と言うなら、他のひとはもっと自分のことがわからないはずだよな...と、このとき初めて自分の気持ちや考えを伝えることの必要性に気づいたのです。

そして、少し落ち着いてきていざ自分の気持ちや考えを伝えようと思ったとき、そもそも自分がどう感じているのかがわからないことに気づきました。そのころの私は内省する時間がとても多かったので自分の考えを持つことはできていたのですが、気持ちや感情については「いい感じ」と「嫌だ」くらいしか意識したことがありませんでした。
そのため、他者に伝える必要性に気づいてからも、「これはいいんだけどこれは嫌」というような、つたない言葉で自分の気持ちを伝えていたことを覚えています。
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