「自分たち親子には価値がない」から「自閉症息子はオンリーワン」へ。無発語、癇癪…自閉症の息子と将来が不安だった母が、変われたきっかけ
ライター:ぼさ子
2020年も、もうすぐ終わり。今年から始めた『あること』がきっかけで、障害児の育児に対して「前向きですね」と言われることが増えた私。でも実は、育児が楽しいと感じられるようになったのは本当につい最近のこと。もともとは夫に引かれるくらい卑屈でネガティブだった私の心境が、どう変化していったのか振り返り考察してみたいと思います。
ネガティブだった私が変わるきっかけになったのは「ブログ」
わが家の息子ほぺろうは3歳のときに『中度知的障害をあわせ持つ自閉スペクトラム症』と診断を受けました。5歳になった現在も、いまだ発語なし。自分の気持ちを言葉で表現できないため、よく癇癪を起こしがちです。
そんなほぺろうを育てる私ですが、最近になって障害児の育児に対し「前向きですね」との声をいただくようになってきました。正直、自分ではとてもそんな風に思っていなかったので意外で驚きました。というのも...
昨年までの私は心身ともに疲れ果てていて、ほぺろうの激しい癇癪・先の見えない将来の不安・仲間のいない孤独に押し潰されそうで、常にイライラして悲観ばかりだったからです。
あまりのネガティブさに、夫ぺー太も引くくらいでした。
そんなほぺろうを育てる私ですが、最近になって障害児の育児に対し「前向きですね」との声をいただくようになってきました。正直、自分ではとてもそんな風に思っていなかったので意外で驚きました。というのも...
昨年までの私は心身ともに疲れ果てていて、ほぺろうの激しい癇癪・先の見えない将来の不安・仲間のいない孤独に押し潰されそうで、常にイライラして悲観ばかりだったからです。
あまりのネガティブさに、夫ぺー太も引くくらいでした。
そんな私でしたが、あるとき「こんなに大変な育児なんだから記録してやろうじゃないか」と思い立ち、今年の春からほぺろうの育児を綴ったブログを開始しました。
ブログを開始したことで得られた心境の変化「主体的になれた」
育児に不安を抱えていた時期、私は検索魔で、自閉症に関する記事だけでは飽き足らず「どうなれば人生幸せなの!?」という疑問に対する答えをネットで見つけようとしたりしていました。もちろん『幸せ』なんて太古の昔から解明されていないものに正しい答えがあるはずもありません。
ただその中でも『自分の人生を自分で操作できている実感を持っているか(主体的か)』という言葉が、個人的に「なるほどな~」と思いました。
でも当時は「なるほど」と思っただけで、「そんなの、したくてもできないよ!!」という気持ちの方が強かったです。母という立場はどうしても「子ども中心」になりがちですから...。
ただその中でも『自分の人生を自分で操作できている実感を持っているか(主体的か)』という言葉が、個人的に「なるほどな~」と思いました。
でも当時は「なるほど」と思っただけで、「そんなの、したくてもできないよ!!」という気持ちの方が強かったです。母という立場はどうしても「子ども中心」になりがちですから...。
ところが、ブログを続けていくうちに私の感じ方が少しずつ変化していきました。
ほぺろうがどんな困りごとを起こしたり悩みにぶつかっても、「どうやって記録しようかな」と客観的に捉えられるようになってきたのです。
ほぺろうがどんな困りごとを起こしたり悩みにぶつかっても、「どうやって記録しようかな」と客観的に捉えられるようになってきたのです。
「ほぺろうに振り回される自分」→「ほぺろうを記録する自分」への変化は、「ほぺろうを中心に生きている」→「自分のために生きている」という感覚を持たせてくれました。
ほぺろうの物語を綴ることで得られた心境の変化「オンリーワン」
かつての私は、ほぺろうに自閉症の診断が出たときに「そのまま」を受け入れることがでいず、ほぺろうを「定型発達の子のように」「みんなと同じ」に近付けようと頭を悩ませていました。
「他人と比べない」なんて私には難しくこのままではダメだと焦るばかりでしたが、そんな気持ちもまるごとブログに記録することで「ほぺろうの物語」ができあがっていく感覚になれました。
ほぺろうの物語なんだからみんなと同じじゃなくていい。ほぺろうの存在自体が価値あるものと改めて感じ、「オンリーワン」であると気づかされました。そして育児と向き合うことが楽しくなってきたのでした。
「他人と比べない」なんて私には難しくこのままではダメだと焦るばかりでしたが、そんな気持ちもまるごとブログに記録することで「ほぺろうの物語」ができあがっていく感覚になれました。
ほぺろうの物語なんだからみんなと同じじゃなくていい。ほぺろうの存在自体が価値あるものと改めて感じ、「オンリーワン」であると気づかされました。そして育児と向き合うことが楽しくなってきたのでした。