知的障害があるの!?小1で勉強につまずき、小4でとうとう呼び出され。振り返ると幼児期も…育てやすかった娘の障害に気づくまで
ライター:よしだ
わが家の長女ゆいは発達障害のほかに軽度知的障害も診断されています。今回は、知的障害について「今思えば…」と感じたことを書いていこうと思います。
監修: 三木崇弘
社会医療法人恵風会 高岡病院 児童精神科医
兵庫県姫路市出身。愛媛大学医学部卒・東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科博士課程修了。早稲田大学大学院経営管理研究科修士課程修了。
愛媛県内の病院で小児科後期研修を終え、国立成育医療研究センターこころの診療部で児童精神科医として6年間勤務。愛媛時代は母親との座談会や研修会などを行う。東京に転勤後は学校教員向けの研修などを通じて教育現場を覗く。子どもの暮らしを医療以外の側面からも見つめる重要性を実感し、病院を退職。
2019年4月よりフリーランスとしてクリニック、公立小中学校スクールカウンセラー、児童相談所、児童養護施設、保健所などでの現場体験を重視し、医療・教育・福祉・行政の各分野で臨床活動を行う。2022年7月より社会医療法人恵風会 高岡病院で児童精神科医として勤務。
幼いころのゆいの様子を思い返して
幼いころのゆいは素直で大人しく、いわゆる育てやすい子でした。就学前までは子育てで特に大きな苦労を感じたことはありません。
ただ、ゆいは勉強の苦手な子ではありました。年中のころから幼児向けのコースもある学習塾に通わせていたのですが、小学校1年生のころに本人がどうしても辞めたいというので退会させたことがあります。続けていけなくなったのは、ちょうどそのころから塾の勉強の内容が幼児向けの簡単なものからお勉強系に切り替わったからだと思います。
この塾のシステムは、できない問題があればずっと同じところを繰り返し、理解し、解けるまで次に進むことはできません。ゆいは算数のある一ヶ所でつまずき、ずっとその問題を繰り返し解くことがつらかったようです。
このときは辞めさせることをとても悩みました。勉強を嫌がるのは甘えではないのか、それを許していいのか…と。結局、ゆいがとてもつらそうにしているのがかわいそうになって辞めさせてしまいました。それに、まだ低学年だし勉強は無理にさせなくてもいいやとも思っていたのです。
今思えば、このころに軽度知的障害の予兆に気づいていればできたこともあっただろうなと感じます。
ただ、ゆいは勉強の苦手な子ではありました。年中のころから幼児向けのコースもある学習塾に通わせていたのですが、小学校1年生のころに本人がどうしても辞めたいというので退会させたことがあります。続けていけなくなったのは、ちょうどそのころから塾の勉強の内容が幼児向けの簡単なものからお勉強系に切り替わったからだと思います。
この塾のシステムは、できない問題があればずっと同じところを繰り返し、理解し、解けるまで次に進むことはできません。ゆいは算数のある一ヶ所でつまずき、ずっとその問題を繰り返し解くことがつらかったようです。
このときは辞めさせることをとても悩みました。勉強を嫌がるのは甘えではないのか、それを許していいのか…と。結局、ゆいがとてもつらそうにしているのがかわいそうになって辞めさせてしまいました。それに、まだ低学年だし勉強は無理にさせなくてもいいやとも思っていたのです。
今思えば、このころに軽度知的障害の予兆に気づいていればできたこともあっただろうなと感じます。
小学校三年生、テストの点数はいつも低く…
小学3年生あたりから「この子は勉強が本当に苦手だなあ」と感じることが増えました。
小学校で実施される小テストやカラープリントの点数がとても低かったのです。ゆいはいつも点数の低いテストを申し訳なさそうに私に見せてくるので、私は「次頑張ったらいいよ」「ほら、ここは○が多いじゃない」と数少ない、できていたところに目を向けてほめるようにしていました。
内心では「この内容だったら、ほかの子は高得点を取っているのでは…?」と思いましたが、成績が悪いことをわが子に注意するのはかなり抵抗がありました。さらに勉強を嫌いになってしまうかもしれないと思い怖かったのです。
きっといつか、勉強の大切さがわかったときには自主的に始めるだろう…と楽観視していました。かといって、ゆいに勉強に興味を持たせられるような効果のある声かけもしていなかったので申し訳なく思っています。
小学校で実施される小テストやカラープリントの点数がとても低かったのです。ゆいはいつも点数の低いテストを申し訳なさそうに私に見せてくるので、私は「次頑張ったらいいよ」「ほら、ここは○が多いじゃない」と数少ない、できていたところに目を向けてほめるようにしていました。
内心では「この内容だったら、ほかの子は高得点を取っているのでは…?」と思いましたが、成績が悪いことをわが子に注意するのはかなり抵抗がありました。さらに勉強を嫌いになってしまうかもしれないと思い怖かったのです。
きっといつか、勉強の大切さがわかったときには自主的に始めるだろう…と楽観視していました。かといって、ゆいに勉強に興味を持たせられるような効果のある声かけもしていなかったので申し訳なく思っています。
小学校4年生のある日のこと
そして何も解決しないまま小学四年生になったある日、担任の先生から呼び出しがありました。
教室に入ると担任の先生と支援担当の先生がいて、ゆいの学校での状況を教えてくれました。ゆいは勉強についていくのがとても難しそうだということ。必死で板書を書き写そうとしているが間に合わず、授業を理解する以前の状態だということ。そして最後に、一度専門機関で発達の検査をしてみてはと言われました。
そのときは「ああ、とうとうか…」と感じました。なんとなくそのままにしてきたことをはっきり指摘されたような気がしました。
教室に入ると担任の先生と支援担当の先生がいて、ゆいの学校での状況を教えてくれました。ゆいは勉強についていくのがとても難しそうだということ。必死で板書を書き写そうとしているが間に合わず、授業を理解する以前の状態だということ。そして最後に、一度専門機関で発達の検査をしてみてはと言われました。
そのときは「ああ、とうとうか…」と感じました。なんとなくそのままにしてきたことをはっきり指摘されたような気がしました。