「自分で説明できないなんて」病院の問診で呆れられ、小学校の面談でも「話さない」。場面緘黙診断前に感じた違和感
ライター:よしだ

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もともと大人しいタイプだった現在小学校6年生の長女ゆい。小5のときに軽度知的障害、ASDのほかに「場面緘黙」の診断がおりました。「かんもく」という言葉、それまで全く知りませんでしたし、その言葉を初めて目にしたときは漢字も読めませんでした…。今回は長女ゆいの場面緘黙についてお話します。

監修: 三木崇弘
はりまこどものこころ診療所 院長
愛媛大学医学部卒。医学博士(東京医科歯科大学)、経営管理学修士(早稲田大学)。2013年より国立成育医療研究センターで児童精神科医として勤務。2019年よりフリーランスとして医療・教育・福祉・行政の現場で働く。2022年より地元兵庫県姫路市にUターンし、2025年4月「はりまこどものこころ診療所」を開設。
4歳までは気にならなかった
ゆいは1歳から保育園に通っていました。大人しめではあるけれど、発達面で遅れを感じることはありませんでした。保育園の発表会では大勢の前で歌や踊り、劇のセリフを言ったりすることもできていて、他人と話せないということもなく、ゆいが4歳になるころまで私は特に悩みのない子育てをしていました。
5歳ころから気になりはじめる
5歳になるころ、実家に帰省していた時に体調が悪くなり、小児科に行くことになりました。
初めて行く病院で、初対面の男性のお医者さんがゆいに「今日はどうしたの?」「どこが痛いの?」と尋ねたのですが、ゆいは一言も話すことができませんでした。知らない男性を怖がるというのはままあることかなと思い、代わりに私が症状を説明しました。その先生には「こんなに大きいのに自分で自分のことの説明もできないなんて」と呆れられました。
初めて行く病院で、初対面の男性のお医者さんがゆいに「今日はどうしたの?」「どこが痛いの?」と尋ねたのですが、ゆいは一言も話すことができませんでした。知らない男性を怖がるというのはままあることかなと思い、代わりに私が症状を説明しました。その先生には「こんなに大きいのに自分で自分のことの説明もできないなんて」と呆れられました。
また、小学校の低学年のとき、個人面談で必ず言われたのが「まだ私(先生)とお話ししてくれないんですよ」ということでした。でも、まだ低学年なので恥ずかしがっているのかもしれないですね、ということでその場で話が終わっていました。クラスの友達とは話せていたので、大人相手だと緊張するだけなのかなと軽く考えていました。
でも、小学校の中学年になってもなかなか大人と話すことができないままでした。ゆいが会話できるのは、私たち両親と、物心つく前からほぼ毎日接していた祖父母のみ。たまにしか合わない私の両親とはなかなか会話ができませんでした。
でも、小学校の中学年になってもなかなか大人と話すことができないままでした。ゆいが会話できるのは、私たち両親と、物心つく前からほぼ毎日接していた祖父母のみ。たまにしか合わない私の両親とはなかなか会話ができませんでした。
母親である私がしゃべりすぎ?
小学校の中学年になって、やっとゆいがなかなか大人と会話しないのが気になり始めた私。もしかしたら、母親である私がペラペラと話してしまうから、あえてゆいは話さないのかなと考えました。
こう思ったのには理由があって、夫と義母のことがあったからです。義母は社交的なタイプで、夫が幼いころは、本人が口を開く前に母である義母がどんどん話してしまい、夫はがほとんど話さなかったそうです。
…ということは、無意識に私が先に何でも話してしまっているのでは?だからゆいは大人と話さないのでは?と考えて、病院や習い事など大人と接する場所では意識してしゃべるのをやめてみましたが…。
こう思ったのには理由があって、夫と義母のことがあったからです。義母は社交的なタイプで、夫が幼いころは、本人が口を開く前に母である義母がどんどん話してしまい、夫はがほとんど話さなかったそうです。
…ということは、無意識に私が先に何でも話してしまっているのでは?だからゆいは大人と話さないのでは?と考えて、病院や習い事など大人と接する場所では意識してしゃべるのをやめてみましたが…。
…沈黙が続くだけで特に効果はありませんでした。
