学校に通報が!?「行きたくない」道で動けなくなった発達障害息子。1年半の母子登校を経て今は…

ライター:ユーザー体験談
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【発達ナビではユーザーさんからの子育てエピソードを募集中!今回は「登下校トラブル」についてのエピソードをご紹介します】現在14歳(中3)の息子は小学1年生の3学期にADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)と診断を受けています。小学1年生の運動会前から、登校班での登校渋りが始まりました。なんとか登校するようにさせていたのですが、ある朝、担任の先生から電話があって……。

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監修: 森 しほ
ゆうメンタル・スキンクリニック理事
ゆうメンタルクリニック・ゆうスキンクリニックにて勤務。産業医として一般企業のケアも行っている。 ・ゆうメンタルクリニック(上野/池袋/新宿/渋谷/秋葉原/品川/横浜/大宮/大阪/千葉/神戸三宮):https://yuik.net/ ・ゆうスキンクリニック(上野/池袋/新宿/横浜):https://yubt.net/

「とにかく学校へ行かせなくては」焦った私

現在14歳(中3)の息子がいます。7歳(小学1年生の3学期)のときにADHD(注意欠如多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けました。聴覚過敏、偏食があります。幼稚園に通っている時から「あれ?」と思うことがあり、児童発達支援センターへ通っていました。特別支援学級の見学もしましたが、就学相談の結果通常学級で大丈夫と言われ、小学校へは児童発達支援センターから連絡が入っていた状態での入学でした。

入学式、初めての班登校など心配だらけで始まった小学校生活。でも、息子は駄々をこねることも周りを困らせることもふざけることもなく、静かに淡々とこなしていきました。今思えば、本人は相当頑張っていたのだと思います。

春の運動会の練習が始まる頃に、行き渋りが始まりました。その時の私は『とにかく学校へ行かせなくては』と必死で、なだめたり、ひどい時には登校班の集合場所が家の前だったこともあり、息子に行くように告げドアを閉めてしまったりしたこともありました。

そしてある朝、学校から電話がかかってきたのです。
『とにかく学校へ行かせなくては』と必死だった母
『とにかく学校へ行かせなくては』と必死だった母
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「近所の人から通報された」担任の先生から電話が

朝、息子を送り出してしばらくしたあと、担任の先生から電話がかかってきました。先生はイライラした様子で「息子さんが登校途中で動けなくなってしまったと、近所の人から通報がありまして……」と告げました。登校途中で動かなくなってしまった息子は、登校班において行かれ(仕方がなかったと思います)、近所の方に発見されて学校に連絡が入ったとのことでした。
先生から登校班において行かれ、近所の方に発見されて学校に連絡が入ったと電話が……
先生から登校班において行かれ、近所の方に発見されて学校に連絡が入ったと電話が……
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わが家は、学区の端のほうなのですが、動かなくなった場所は学校のほど近くのところ。息子は、もうどうしても学校へ行きたくなかったのでしょう。

2日後に先生と面談をしたのですが、「これからは班登校ではなく、保護者と一緒に登校してください」と有無を言わさない様子で言われたため、この日から息子が小学3年生になるまで、私は幼稚園児の下の子を連れて毎日一緒に登校することになりました。

弟も連れた母子登校。つらいことが多かったけれど、幸せな思い出も

保護者も一緒に登校するようにと言われた私には、正直(困ったな……)という思いがありました。息子より3歳下の弟は、幼稚園が始まったばかり。息子の送り迎えをすると幼稚園バスの時間に間に合いません。でも、仕方がありません。バス送迎を辞め、私が車で下の子を連れて行くことでそこは解決しました。

また、学校が少し遠かったので、弟は一緒に歩くことはできないだろうと思いました。そこで、少し遠回りになりますが、まず私の両親の家まで行き、下の子を預けてから小学校まで息子と歩きました。

息子は、登校中何度か止まってしまったことがありましたが、対処できないようなことはありませんでした。また、途中までとはいえ弟が一緒だったので、お兄ちゃんとして頑張れた部分もあると思います。

小学1年生の時は、校門まで行けばそこから一人で行ける日もあったり、教室まで一緒に行く日もありました。また、一度連れて行っても再度学校に戻って下校時刻まで待機したり、学童を使っていたので、夕方にお迎えに行くなどしていました。

家→両親の家→学校→両親の家→幼稚園→学校で待機という日が続きました。正直、私もつらかったですし、学校でつらそうにしている息子を見るのも苦しく、もうどうしたらいいのか分からない日々でした。
家→両親の家→学校→両親の家→幼稚園→学校で待機という日が続き母も疲弊
家→両親の家→学校→両親の家→幼稚園→学校で待機という日が続き母も疲弊
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でも、つらいことばかりではありませんでした。
息子は、学校で先生にいろいろ言われると扉を閉じたように何も話さなくなると言われていたので、語彙が足りないからうまく話せないのかと思った私は、弟と3人で歩きながらしりとりをしたり、簡単な看板を読んだりしながら歩きました。幸いにも子どもたちはそれを楽しんでくれました。

1番楽しかったのは、雪が積もった日にみんなで歩いたことです。雪というだけで子どもたちはテンションが高く、雪を触りながら楽しく通学できました。学校にはいつもより遅れて着きましたが、今となればいい思い出です。

また、学校の側に住んでいる方が、きっと登校渋りの子どもを何度も見ているのでしょう、「おはよう!いってらっしゃい!頑張ってるね!」など毎朝優しく声をかけてくれて、1度はお庭のお花までいただいたりしました。優しさが本当にありがたかったです。
学校の側に住んでいる方が、毎朝声をかけてくれて……優しさが本当にありがたかったです
学校の側に住んでいる方が、毎朝声をかけてくれて……優しさが本当にありがたかったです
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