息子は不登校、ママ友0人の小学校時代から中学校ではPTA会長へ。母の価値観を変えた3年間
ライター:あき
わが家の息子・コチ丸は小3の時にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断されています。
いつもはコチ丸のこれまでの生活の様子を書き綴っておりますが、今回は私自身のママ友付き合い、学校付き合いなどをお話ししていければと思っております。
もともと私自身が性格的に人付き合いが苦手なため、ママ友や先生との向き合い方にはコチ丸が小さい頃は苦労しました……。
監修: 初川久美子
臨床心理士・公認心理師
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
臨床心理士・公認心理師。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。在学中よりスクールカウンセリングを学び、臨床心理士資格取得後よりスクールカウンセラーとして勤務。児童精神科医の三木崇弘とともに「発達研修ユニットみつばち」を結成し、教員向け・保護者向け・専門家向け研修・講演講師も行っている。都内公立教育相談室にて教育相談員兼務。
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
息子に発達障害があると分かってからも、相談できるママ友がいなかった
もともと人見知りで、人付き合いがあまり得意ではない私。コチ丸が小学3年生でASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断を受けた時も、相談できる相手は昔からの友だちのみでした。しかも私は出産が周りより早かったこともあり、育児の相談というよりも愚痴を聞いてもらうという感じで、解決にはなりませんでした。
コチ丸と年が近い子どものいる……なんなら同じ悩みを抱えているママ友ができたら現状を相談できたり、理解してもらえたりするのになーとどこかでは思っていましたが、当時の私は普段仕事をフルタイムでしていて、ほかのお母さんと顔を合わせる機会も滅多になく、会っても何を話せば良いのか分からず挨拶をするのが精一杯でした(というのも今となっては言い訳だったのかなと思ったりもしますが……)。
コチ丸と年が近い子どものいる……なんなら同じ悩みを抱えているママ友ができたら現状を相談できたり、理解してもらえたりするのになーとどこかでは思っていましたが、当時の私は普段仕事をフルタイムでしていて、ほかのお母さんと顔を合わせる機会も滅多になく、会っても何を話せば良いのか分からず挨拶をするのが精一杯でした(というのも今となっては言い訳だったのかなと思ったりもしますが……)。
人付き合いが苦手な母。できたらPTAも避けて通りたい……(願)。
しかし小学校には人付き合いを避けられないものがありました。そう……PTAです。コチ丸が通っていた小学校は田舎の小さな学校だったため、どう足掻いても6年間のうちに1度はPTAの役員が回ってくるようになっていました。
しかし、コチ丸は3、4年生の頃から学校を行き渋り出したため、必然的に私の足も学校から遠のき、なんとなくほかのお母さんたちとも(自分が勝手に)壁を感じるようになりました。
振り返ると、やはりどこかで「わが子は学校に行ってないし、自分はフルタイムで働いているし……できるだけ距離を置きたい」という思いが強かったんだと思います。
たまたま小学校の人数が増えてきた年に、コチ丸の学年に役員の順番が回ってきたため、私は結局6年間PTA役員をすることはありませんでした。
コチ丸はといえば、小学校にはそんなに行っていなかったのですが、不思議と友だちがいて、何人かでお泊まり会をしたり、友だちのお母さんに映画や遠出に連れて行ってもらったりしていました。ありがたいとは思っていたものの、逆にわが家で他所のお子さんの面倒をみるという流れに発展することもなく、顔を合わせたら挨拶をする程度で、「仲が良い」ママ友付き合いはついに小学校卒業までありませんでした。
しかし、コチ丸は3、4年生の頃から学校を行き渋り出したため、必然的に私の足も学校から遠のき、なんとなくほかのお母さんたちとも(自分が勝手に)壁を感じるようになりました。
振り返ると、やはりどこかで「わが子は学校に行ってないし、自分はフルタイムで働いているし……できるだけ距離を置きたい」という思いが強かったんだと思います。
たまたま小学校の人数が増えてきた年に、コチ丸の学年に役員の順番が回ってきたため、私は結局6年間PTA役員をすることはありませんでした。
コチ丸はといえば、小学校にはそんなに行っていなかったのですが、不思議と友だちがいて、何人かでお泊まり会をしたり、友だちのお母さんに映画や遠出に連れて行ってもらったりしていました。ありがたいとは思っていたものの、逆にわが家で他所のお子さんの面倒をみるという流れに発展することもなく、顔を合わせたら挨拶をする程度で、「仲が良い」ママ友付き合いはついに小学校卒業までありませんでした。
ママ友付き合いが苦手な私も性格や物の見方を大きく変える中学校生活に……。
そんな息子以上に頑固で頑なな私(笑)ですが、コチ丸が中学受験して私立の「学びの多様化学校(いわゆる不登校特例校)」へ入学することになった際に、1つ決めたことがありました。
それは、中学校の親の会(いわゆるPTA)の役員になるということでした。コチ丸の決断にとことん関わって応援するため、中学3年間、私は親の会の役員として活動しました。その時はコチ丸の中学校生活をサポートしたい一心だったので、あまり考えていなかったですが、結果的に私自身の性格をも変える、大きな分岐点になりました。
役員会は月に1~2回程度、丸1日行われるので、当然会社は休むことになります。私は有給を消費しながら、役員会がある日はコチ丸と車で学校まで通学し、1日役員の仕事をしてコチ丸とまた車で帰るという3年間を過ごしました。
会社にはずいぶん無理を聞いていただきました。特に最後の1年は成り行きとはいえ、なんと私が親の会の会長をやらせていただくことになり、行事の度に休むうちに、ずっと溜め込んでいた有給休暇は中学校生活が終わる頃にはゼロに等しかったです……。
それでも役員会の最中に親同士で子育ての悩みや進路について話したり、時には飲みに行ったり(笑)、この3年間でママ友が一気に増えたのは心強いことでした。
また、会長になって、人に支えてもらいながら自分が主導して物事を動かしていくこと、時には人に頼ることなど、いろんなことを学ぶ時間になりました。なにしろ、会長をやっている以上、責任もあるので、人見知りだから……とも言っていられなくなりました。
中学最後の文化祭で、親子で生徒会会長と親の会会長として、お互いの成功を手を叩いて讃えあったことは今でもうれしくて忘れられない、健気な母です(笑)。きっとコチ丸は覚えていないかもしれませんが……(涙)。
それは、中学校の親の会(いわゆるPTA)の役員になるということでした。コチ丸の決断にとことん関わって応援するため、中学3年間、私は親の会の役員として活動しました。その時はコチ丸の中学校生活をサポートしたい一心だったので、あまり考えていなかったですが、結果的に私自身の性格をも変える、大きな分岐点になりました。
役員会は月に1~2回程度、丸1日行われるので、当然会社は休むことになります。私は有給を消費しながら、役員会がある日はコチ丸と車で学校まで通学し、1日役員の仕事をしてコチ丸とまた車で帰るという3年間を過ごしました。
会社にはずいぶん無理を聞いていただきました。特に最後の1年は成り行きとはいえ、なんと私が親の会の会長をやらせていただくことになり、行事の度に休むうちに、ずっと溜め込んでいた有給休暇は中学校生活が終わる頃にはゼロに等しかったです……。
それでも役員会の最中に親同士で子育ての悩みや進路について話したり、時には飲みに行ったり(笑)、この3年間でママ友が一気に増えたのは心強いことでした。
また、会長になって、人に支えてもらいながら自分が主導して物事を動かしていくこと、時には人に頼ることなど、いろんなことを学ぶ時間になりました。なにしろ、会長をやっている以上、責任もあるので、人見知りだから……とも言っていられなくなりました。
中学最後の文化祭で、親子で生徒会会長と親の会会長として、お互いの成功を手を叩いて讃えあったことは今でもうれしくて忘れられない、健気な母です(笑)。きっとコチ丸は覚えていないかもしれませんが……(涙)。
最後に卒業式で会長として挨拶をした際には、舞台でわが子への想いも伝えることができ、ママ友、先生、会社の人たち、そしてこんな機会を与えてくれたコチ丸にも感謝ばかりでした。