あるがままを出す強さとは。新作エッセイ『発達障害のぼくが世界に届くまで』に込めた思い【作家・市川拓司さんインタビュー】

ライター:発達ナビ編集部
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『いま、会いにゆきます』などで知られる市川拓司さんが、新作エッセイ『発達障害のぼくが世界に届くまで』を上梓。本書では、作家・愛妻家・発達障害のある自身を分析し、あるがままを表現する強さの源泉について深く語っています。「懐く」感覚、自分を客観視し感情に気づくための「三人称日記」のススメなど、新鮮な視点に出合えました。「あるがままを出す強さ」を模索してきた市川さんの言葉には、当事者だけでなく、発達特性と向き合うすべての方にヒントとなる知見が込められています。

新刊に込めた、市川拓司さんの足跡と現在地

新刊の傍らには市川さんが愛する“キラキラ輝く”ガラス小物が並ぶ
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LITALICO発達ナビ・牟田暁子編集長(以下――)――2016年『ぼくが発達障害だからできたこと』、2021年『発達障害だから強くなれた』と、これまでのご著書ではご自身の深いところまで触れられてきたかと思います。今回、より踏み込んで『発達障害のぼくが世界に届くまで』というタイトルで出版された背景には、どのようなお気持ちがあったのでしょうか。

市川:裏話を言えば、その2冊でお世話になった担当編集者から、またエッセイ本を作りませんか?とお話をいただいたんです。自分の場合、作家であること、愛妻家であること、発達障害であることが一番発信すべきところだと考えると、どうしても過去作品と重なる部分も出てきてしまう。だったらば、『私小説』(2018年)からもう6年ほど経っていたので、重複する部分だけでなく、その間に起きた新たな出来事も書き加えようと考えました。

担当編集者には言っていなかったですが、読者の方たちへの生存確認みたいな意味合いもあるんです(笑)。未だに自分の小説を待ってくださっている読者の方に――小説という形ではないですが、それでも、僕の小説を長い間読み続けてきてくれている方たちの中には、また手に取ってみようと思ってくださる方もいるだろうと思い、その方たちの存在もかなり意識して書きました。

実際は、国内だけじゃなく世界的に『いま、会いにゆきます』の原作が読まれていたり、中国から映画化のオファーをいただいたりと動きはあるんです。『いま会い』の担当編集者からも、「海外でこんなに売れているのに、国内で市川さんの本を出せない状況が悔しい」と言ってもらいましたけど、僕みたいなタイプの人間は謙遜をすることができないので(笑)、それならどんなことでも、「こんなにすげぇ良いことをやってるぜ!」というのを発信していこうという気持ちもありました。ただ人って、謙遜謙譲がやっぱり大事とされるじゃないですか。僕の場合、自慢だと受け取られてしまうので、あまり言いすぎても引かれてしまうのは理解していて。
身に着けるものに対する愛着が強く、擦り切れるまで使うという。この日来ていたトップスも長年の愛用品だ
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――事実と違う部分があったならば、「それは違うよ」と言えば良いだけなのでしょうけど、難しいですよね。個人的には、市川さんの言葉は裏表がないので、気持ち良く本書を読ませていただきました。

市川:今の自分にすごく良い状況が起きている=見栄に繋がってしまう、というのが一般の人たちの感覚のように感じます。それがファクトであっても、自分を一段下げて、一歩引いて言わないといけないのかな、みたいな。僕はそことの区別があまりないのかもしれませんし、この年齢まできちゃったら今更変わる気もないけれど(笑)。
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自身の強みが育む、創作の源泉

まるで宝箱のような書斎のデスク。一つひとつのアイテムに市川さんの思い出が
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――先日、東洋医学で著名な先生の講演に伺ったのですが、「雑念がないと治療は上手くいく」とおっしゃっていて。新人の時は何も考えずできたのに、中堅になると急にスランプに陥ってしまうことも多いと。上手くやろうとするのではなく、とにかく相手を心地良くしてあげたいというピュアな気持ちで治療をすれば、良くなるのだと理解しました。
本書の中でも、奥様とお互いをマッサージし合うことについて、「相手の健やかな生を願うゆえ」と書かれていましたが、そういった雑念みたいなものがないからこそ、市川さんの作品にもそのピュアさが表れ、愛が感じられるのかなと思いました。


市川:そうですね。 たぶん、根本的に恥の感覚がないというのもあると思うんだけど、その恥ずかしさというのも、雑念じゃないですか。それがないから、ファクトをそのままロウ(なま)な形で出せる、そこが強みなんでしょうね。自分をフィルターにかけたり、あるいは削っていくうちに、実は一番、物語の真髄の部分が削り取られていってしまう。 体裁が良くなるほど、どんどん何か失っていくものもあるのかもしれないですね。

僕は『いま会い』で一気に売れた時、「なんでこんな本を書いたの?」と散々いろんな人たちから言われたんだけど、「え、書いちゃいけなかったんだ」と逆にびっくりしたんです。日本の文学、小説の文脈の中ではエラーと扱われるような内容だったらしいのだけど、自分が本当に書きたいことだけを書いたので。幸いなことに、それまで日本の小説はほとんど読んでこなかったから、そういう文法が頭の中になかったんです。自分からピュアに発したものだけを小説に込めたのですが、世界的に見れば、これが意外とスタンダードな書き方だったのかなと思っています。

作品が社会現象になったことで、「すごく良い」と言う人たちと、これは違うよという人とに分かれて、叩かれたりもしたんだけど、意外とそこで負けないのが発達障害の強さなんですよね(笑)。正論やコモンセンスは気にせず生きている人間だから、そこを言われても「困ったな、俺はこうだし」みたいな。あるがまま100%を出しただけだから、それをどうこう言われても困っちゃうよな、ぐらいの感覚でした。

「懐く」感覚の正体は?安心できる人、物、場所へのこだわり

手塩にかけて育てる水草や植物は自室にも。ベッドの天蓋は自分で染めた藍染の布で
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――私の娘には知的・身体障害があるのですが、本に書かれていた、キラキラ光るものや水がお好きだというお話は、娘も同じだなと思いながら読んでいました。それから、奥様に抱かれていた「懐く」という感覚が、私的にものすごく腑に落ちまして。一度懐くと、もうずっと懐くし、嫌いにならない。娘は母である私にとても懐いているし、学校や放課後等デイサービスでも「この人!」と思った先生にはとても懐いています。周囲への忖度もないので、先生の膝に誰かが乗ると、「私の先生なの!」という様子で膝枕をしてもらいにいく。執着とはまた違っていて、「隣にいると心から安心できる存在」に懐いていたという、先生が本書で書かれていた感覚と似ているのではないかと。

市川:ただね、「懐く」根元には不安があって、不安の解消という面もあるんだと思います。 既知のものは安心、未知のものは怖いので。特に、ASD(自閉スペクトラム症)の傾向が強いお子さんなどが、ルーティンにこだわることとも関連があるように思います。物にも懐くし、場所にも懐くというか。自分が安心できる場所、馴染みがある場所、知った場所があるのはすごく大きいし、それが人にも適用されていて。

それから、恋愛感情がないわけではないから、僕で言えば男性として、女性に対する恋愛感情が上手く合致すると、非常に幸せな関係ができ上がる。これはもう100%相手ありきなので、相手との組み合わせがないと難しいですよね。一方的に懐いても、相手が受け入れるタイプじゃなければ濡れ落ち葉となり、もうちょっと離れて、みたいに言われるし(笑)。それを許容してもらえる……結局は同類ってことなんでしょうけど、相手も懐くしこちらも懐く関係があれば、すごく幸せかな。

僕の好きな『自閉症だったわたしへ』の著者、ドナ・ウィリアムズさんも、一時は結婚していましたが、彼女たちの関係にも非常に共感できる。僕の本にも書いてありますが、ある種、お互いがお互いのシェルターになっているんですよね。定型発達の人たちとのやり取りはどこかでストレスが生じるし、なんなら怖いんです。本にも書いている通り、僕は自分のことを“ケシザル種”と称していますが、定型発達の人たちとは違う感覚を、発達障害のある子たちの中には持つ人もいると思うんですよね。定型発達の人たちの世界は少し異質で怖いと感じてしまうからこそ、自分と理解し合える人には全力で懐くし、かけがえのない存在となるわけだから、それはそれは大事にするんじゃないかなと思います。

――うちの子どもたちの話になりますが、お兄ちゃんはたまにつらい時があると妹にくっつきにいくんです。ジャッジをしないし、いるだけで全部を受け入れているように感じるのかもしれないですね。裏表なくそのままでいてくれる存在みたいなのかもしれません。そういう様子を見ていると、定型発達の人にとっても安心できる存在なのかなと個人的には考えたりもします。

市川:定型の人たちにとっては、無理をしなきゃいけないという思い込みがどこかにあるんじゃないでしょうか。発達障害の目線ではごく自然な考えとして、こういう風にやれば全然楽じゃない?と我々のコモンセンスを発信しているだけなんだけど、定型の人たちはそれを「神回答だ」と呼ぶことも多い。当事者からしたら、普段考えている価値観や美意識を伝えているだけなのだけど、懐く話もそうだし、あるがままを受け入れる話もそうだけど、実はどんな人にとってもすごく楽になれる考え方、生き方をしているのかもしれないですね。
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