【事例紹介】「落ち着きがない」は困りごとの氷山の一角!?発達障害息子の感覚過敏と母の悟り
ライター:あき
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わが家の息子コチ丸は、小学3年生の時にASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断されました。
とにかくじっとしていない、弾丸のように喋る、場の空気なんてお構いなし。そんなマイペースな姿ばかりが目についていたので、納得の結果でした。しかし、保護者や周りから見えていた「落ち着きのなさ」は、実は、コチ丸が抱える困りごとの「氷山の一角」にすぎませんでした。今回は、コチ丸に振り回され、時に反省し、最終的に「感覚が違いすぎて笑うしかない」と悟りに至った「感覚過敏」のお話です。
監修: 初川久美子
臨床心理士・公認心理師
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
臨床心理士・公認心理師。早稲田大学大学院人間科学研究科修了。在学中よりスクールカウンセリングを学び、臨床心理士資格取得後よりスクールカウンセラーとして勤務。児童精神科医の三木崇弘とともに「発達研修ユニットみつばち」を結成し、教員向け・保護者向け・専門家向け研修・講演講師も行っている。都内公立教育相談室にて教育相談員兼務。
東京都公立学校スクールカウンセラー/発達研修ユニットみつばち
足の速さはピカイチ!?息子・失踪事件。
わが家はひとり親家庭で、コチ丸が小さかった頃の最強の助っ人は、同居していた私の“じぃじ”でした。コチ丸がまだ未就学児だったある日、じぃじが「今日は大きな公園に行ってくるぞ!」と意気揚々とコチ丸を連れ出したことがありました。ところが、帰宅したじぃじはクタクタな顔。聞けば、車から降りて公園の入り口に立った瞬間、コチ丸は秒速で視界から消えていったそうです(笑)。
広い芝生を見つけた瞬間にスイッチが入ったのでしょうか。甥っ子の相手で男の子の扱いには慣れていたはずのじぃじも、コチ丸の「爆速スイッチ」には太刀打ちできず、日曜日の大混雑した広大な公園で、迷子探しに疲弊しきっていました。
「どこを探してもいないから、あの時は生きた心地がしなかったぞ」と、じぃじは亡くなる直前までこの話を良くしていました。よほどトラウマだったのでしょう(笑)。結局、じぃじとコチ丸の公園遊びは、後にも先にもあれっきり。じぃじ、本当にお疲れ様でした。
広い芝生を見つけた瞬間にスイッチが入ったのでしょうか。甥っ子の相手で男の子の扱いには慣れていたはずのじぃじも、コチ丸の「爆速スイッチ」には太刀打ちできず、日曜日の大混雑した広大な公園で、迷子探しに疲弊しきっていました。
「どこを探してもいないから、あの時は生きた心地がしなかったぞ」と、じぃじは亡くなる直前までこの話を良くしていました。よほどトラウマだったのでしょう(笑)。結局、じぃじとコチ丸の公園遊びは、後にも先にもあれっきり。じぃじ、本当にお疲れ様でした。
「光」がささる!良かれと思っていた環境が、息子には「天敵」だった!?
コチ丸が成長し、私の買い出しに付き合わせることが増えると、今度は私の忍耐を問われる修行が始まりました。スーパーに入るやいなや、コチ丸はすごい速さで姿を消します。特に食料品コーナーなんて、「滞在時間0秒」が目標なのかと思うほどです。買い物カゴを抱えたまま、「コチ丸ー!」「どこ行ったー!」と叫ぶ日々……。
ある日、あまりの落ち着きのなさに、私はついにスーパーの真ん中でブチ切れました。「なんでじっとしてられないの?ちょっとは隣で静かにしてなさい!」すると、コチ丸は思いもよらない言葉を口にしました。「俺、スーパー嫌いなんだよね。肉売り場とかの棚の光、あれが目に染みて痛いんだよ」
「は?光が痛い?」最初は何を言っているのか分かりませんでした。私にしてみれば、肉を美味しそうに見せるための、ただの明るいライトです。でもコチ丸にとっては、それが目にささる「物理的な痛み」だったのです。
さらに追い打ちをかける一言。「ママが好きな近所のスーパー、並び方がぐちゃぐちゃだし、ポップの文字がチカチカして、見てるだけで気持ち悪い」
衝撃でした。私が「ごちゃごちゃして楽しい!」と好んで行っていたあの空間が、コチ丸にとっては「刺激」でしかなかったわけです。
ごめん、コチ丸。
そうは思ったものの、やっぱり「光が痛い」という感覚の違いは、当時の私にはピンとこないものでした。それからは、お気に入りだった近所のスーパーは泣く泣く封印。通路が広くて、照明が落ち着いていて、陳列も整然としたスーパーへ「遠征」するようになりました。
ある日、あまりの落ち着きのなさに、私はついにスーパーの真ん中でブチ切れました。「なんでじっとしてられないの?ちょっとは隣で静かにしてなさい!」すると、コチ丸は思いもよらない言葉を口にしました。「俺、スーパー嫌いなんだよね。肉売り場とかの棚の光、あれが目に染みて痛いんだよ」
「は?光が痛い?」最初は何を言っているのか分かりませんでした。私にしてみれば、肉を美味しそうに見せるための、ただの明るいライトです。でもコチ丸にとっては、それが目にささる「物理的な痛み」だったのです。
さらに追い打ちをかける一言。「ママが好きな近所のスーパー、並び方がぐちゃぐちゃだし、ポップの文字がチカチカして、見てるだけで気持ち悪い」
衝撃でした。私が「ごちゃごちゃして楽しい!」と好んで行っていたあの空間が、コチ丸にとっては「刺激」でしかなかったわけです。
ごめん、コチ丸。
そうは思ったものの、やっぱり「光が痛い」という感覚の違いは、当時の私にはピンとこないものでした。それからは、お気に入りだった近所のスーパーは泣く泣く封印。通路が広くて、照明が落ち着いていて、陳列も整然としたスーパーへ「遠征」するようになりました。
教室の音が「重なりすぎて」脳内パニック
音の過敏さも、学校生活において大きな壁となっていました。「授業中にウロウロして困る」と担任の先生に呼び出された際、その理由を問われたコチ丸は真顔で答えました。「隣のクラスの先生の声が聞こえてきて、うるさすぎる。どっちを聞けばいいか分からない」
先生も私も「えっ、そこ?」となりました。確かに隣の教室の音は聞こえますが、周囲が「あ、なんかやってるな」とスルーできる程度の音が、コチ丸の耳には自分のクラスの解説と同じ音量で聞こえてしまう。音の選別ができず、常に複数の情報が脳内に流れ込むパニック状態だったのです。
「そりゃ座ってられないわな……」と私は妙に納得し、その後、イヤーマフを買ってみたものの、今度は「耳に当たる感じがムズムズして無理!」と感覚過敏で使用を断念。当時はまだ合理的配慮という言葉も浸透しておらず、小さな学校で特別な対応を求めることの難しさも痛感していました。
先生も私も「えっ、そこ?」となりました。確かに隣の教室の音は聞こえますが、周囲が「あ、なんかやってるな」とスルーできる程度の音が、コチ丸の耳には自分のクラスの解説と同じ音量で聞こえてしまう。音の選別ができず、常に複数の情報が脳内に流れ込むパニック状態だったのです。
「そりゃ座ってられないわな……」と私は妙に納得し、その後、イヤーマフを買ってみたものの、今度は「耳に当たる感じがムズムズして無理!」と感覚過敏で使用を断念。当時はまだ合理的配慮という言葉も浸透しておらず、小さな学校で特別な対応を求めることの難しさも痛感していました。
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