【障害児育児とキャリア】長女の診断を機に大きく変わった未来予想図。育休中に大学編入・4つの資格取得の原動力となったのは
ライター:にれ
Upload By にれ
長女の障害が判明したことをきっかけに、私のキャリアは大きく方向転換しました。今回は、公務員からフリーランスへ転身するまでの葛藤と、その過程で自分自身にもあった変化について詳しくお話ししたいと思います。
監修: 藤井明子
小児科専門医
小児神経専門医
てんかん専門医
どんぐり発達クリニック院長
東京女子医科大学大学院修了。東京女子医科大学病院、長崎県立子ども医療福祉センターで研鑽を積み、2019年よりさくらキッズくりにっく院長に就任。2024年より、どんぐり発達クリニック院長、育心会児童発達部門統括医師に就任。お子様の個性を大切にしながら、親御さんの子育ての悩みにも寄り添う診療を行っている。 3人の子どもを育児中である。
小児神経専門医
てんかん専門医
どんぐり発達クリニック院長
長女の障害を機に、大きく方向転換
私は今、小1の長女と年中の次女、二人の特性ある姉妹を育てながら、在宅でコラムや漫画を執筆する仕事をしています。
そんな私は、かつては市役所で働く公務員でした。
結論から言うと、長女の障害をきっかけに働き方を大きく変えることになりました。
安定した組織の一員から、個人で働くフリーランスへ。我ながら、かなり極端な方向転換だったのではないかと思います。
長女の障害の兆候に気づくまでの私は、「復職したら、子どもが小さいうちは時短勤務で働いて、定年まで勤め上げるんだ」と来るべき未来を想定していたのですが……。
そこから、どのように今の働き方に辿り着いたのか。
特性ある子どもたちを育てながら、自分の体調や生活のバランスをどう考え、どういった選択をしてきたのか。
仕事の変化を通して自分自身に起きた考え方の変化について、振り返ってみたいと思います。
そんな私は、かつては市役所で働く公務員でした。
結論から言うと、長女の障害をきっかけに働き方を大きく変えることになりました。
安定した組織の一員から、個人で働くフリーランスへ。我ながら、かなり極端な方向転換だったのではないかと思います。
長女の障害の兆候に気づくまでの私は、「復職したら、子どもが小さいうちは時短勤務で働いて、定年まで勤め上げるんだ」と来るべき未来を想定していたのですが……。
そこから、どのように今の働き方に辿り着いたのか。
特性ある子どもたちを育てながら、自分の体調や生活のバランスをどう考え、どういった選択をしてきたのか。
仕事の変化を通して自分自身に起きた考え方の変化について、振り返ってみたいと思います。
思い描く未来が崩れていく焦り
「復職して……」という想定の、雲行きが怪しくなってきたのは長女が1歳を過ぎた頃です。
指差しをしない、指差した方を見ない、呼びかけに応じない等の兆候から、「この子、障害があるのでは」と不安を感じるようになりました。
長女の特性は、どうやら“育休明けまでに落ち着く”といった類のものではなさそう……という予感が強まるにつれて、頭をもたげてきたのは「こんな状態で仕事復帰はできるのか?」という新たな不安です。
長女はコミュニケーションが非常に難しい上に、当時は多動も激しかったので、ものすごく手がかかりました。のちに発達支援のベテラン先生から「この子だけでも定型発達のお子さん5〜6人分の大変さがある」と評されたほどです。
入園の相談をした民間の幼稚園・保育園・こども園では、ことごとく安全上の理由で受け入れが難しいと断られ、発達支援施設からも保育園への入園はまだ早いと反対されました。
ちょうどその頃に次女を妊娠し、長女の育休中に続けて次女の産休育休に入れたのは私と長女にとっては幸運なことでした。
復帰が延びて職場には申し訳ないと思いましたが、育休を長く取る間に発達支援をしっかり受けさせれば、せめて保育園に預けられるくらい長女の発達を伸ばしてあげられるかもしれないと希望を持ちました。
しかし同時に、心の奥底では、「先延ばしにしたはいいけれど、いざ復職しても子の対応に追われることが続けば、職場に迷惑をかけるのではないか?」「家事育児だけでも疲弊しているところへ職責を抱えるとなると、果たして私の心身が保つのか?」というプレッシャーに苛まれ続けていました。
指差しをしない、指差した方を見ない、呼びかけに応じない等の兆候から、「この子、障害があるのでは」と不安を感じるようになりました。
長女の特性は、どうやら“育休明けまでに落ち着く”といった類のものではなさそう……という予感が強まるにつれて、頭をもたげてきたのは「こんな状態で仕事復帰はできるのか?」という新たな不安です。
長女はコミュニケーションが非常に難しい上に、当時は多動も激しかったので、ものすごく手がかかりました。のちに発達支援のベテラン先生から「この子だけでも定型発達のお子さん5〜6人分の大変さがある」と評されたほどです。
入園の相談をした民間の幼稚園・保育園・こども園では、ことごとく安全上の理由で受け入れが難しいと断られ、発達支援施設からも保育園への入園はまだ早いと反対されました。
ちょうどその頃に次女を妊娠し、長女の育休中に続けて次女の産休育休に入れたのは私と長女にとっては幸運なことでした。
復帰が延びて職場には申し訳ないと思いましたが、育休を長く取る間に発達支援をしっかり受けさせれば、せめて保育園に預けられるくらい長女の発達を伸ばしてあげられるかもしれないと希望を持ちました。
しかし同時に、心の奥底では、「先延ばしにしたはいいけれど、いざ復職しても子の対応に追われることが続けば、職場に迷惑をかけるのではないか?」「家事育児だけでも疲弊しているところへ職責を抱えるとなると、果たして私の心身が保つのか?」というプレッシャーに苛まれ続けていました。
診断から生じた、「学びたい」という衝動
長女が診断を受けたのは2歳10ヶ月のことです。
障害が確定して複雑な気持ちでしたが、落ち込みつつホッとしている部分もありました。
それまでは「たぶん長女はASD(自閉スペクトラム症)だ、知的な遅れはあるのだろうか」「どうしてあげたらいいのだろうか」といった心配が頭を占めていたのですが、【わが家の長女はASD(自閉スペクトラム症)・知的障害(知的発達症)である】と確定したことで、「では、どんな風にサポートしていけばいいか」に考えを切り替えられたのだと思います。
障害という事実を前にして不安になるのは、私に知識がないからだ。
ネットの発達障害に関する情報は、玉石混交で何が有益なのか分からない。
情報を取捨選択する力をつけるため、人間の発達過程についてイチから学びたい‼
そんな衝動に駆られた私は、帰宅してすぐに通信で臨床発達心理学の学べる大学を調べ、自分の現状に合う大学を数日かけて吟味しました。
この時点で復職まで2年半の猶予があったので、3年生からの編入学という形で、2年で卒業することを目指して願書を出したのを覚えています。
当時は2月で、4月の入学までにはまだ少し時間があったため、この間に民間資格の講座を受けて“乳幼児食指導士”と“児童発達支援士”の資格も取りました。
今にして思うと、この辺りの行動は私の完璧主義で心配性な性格が大きく出ていたのでしょう。
一般的な育児セオリーが通用しない子育てをしているうち、育児に対する自信も無くしていました。そんな中でもわが子のためにできることを探していて、とにかく何か発達支援のスタート地点に立ったという実感が欲しかったのだと思います。
資格勉強で得た知識は、自信をなくしていた私にとって実用的な面で役立ちました。
障害が確定して複雑な気持ちでしたが、落ち込みつつホッとしている部分もありました。
それまでは「たぶん長女はASD(自閉スペクトラム症)だ、知的な遅れはあるのだろうか」「どうしてあげたらいいのだろうか」といった心配が頭を占めていたのですが、【わが家の長女はASD(自閉スペクトラム症)・知的障害(知的発達症)である】と確定したことで、「では、どんな風にサポートしていけばいいか」に考えを切り替えられたのだと思います。
障害という事実を前にして不安になるのは、私に知識がないからだ。
ネットの発達障害に関する情報は、玉石混交で何が有益なのか分からない。
情報を取捨選択する力をつけるため、人間の発達過程についてイチから学びたい‼
そんな衝動に駆られた私は、帰宅してすぐに通信で臨床発達心理学の学べる大学を調べ、自分の現状に合う大学を数日かけて吟味しました。
この時点で復職まで2年半の猶予があったので、3年生からの編入学という形で、2年で卒業することを目指して願書を出したのを覚えています。
当時は2月で、4月の入学までにはまだ少し時間があったため、この間に民間資格の講座を受けて“乳幼児食指導士”と“児童発達支援士”の資格も取りました。
今にして思うと、この辺りの行動は私の完璧主義で心配性な性格が大きく出ていたのでしょう。
一般的な育児セオリーが通用しない子育てをしているうち、育児に対する自信も無くしていました。そんな中でもわが子のためにできることを探していて、とにかく何か発達支援のスタート地点に立ったという実感が欲しかったのだと思います。
資格勉強で得た知識は、自信をなくしていた私にとって実用的な面で役立ちました。
発達支援施設を探してみませんか?
お近くの施設を発達ナビで探すことができます
新年度・進級/進学に向けて、
施設の見学・空き確認のお問い合わせが増えています
施設の見学・空き確認のお問い合わせが増えています