「みんな楽しそうなのに僕だけ苦しい」太鼓の音、パズルの色…感覚過敏は孤独?当事者が伝えたい、人と違う苦しさへの寄り添い方
ライター:くろまる
関西で猫と一緒に暮らしているくろまるです。幼少期から発達の凸凹があり生きづらさを感じていて、大学時代に双極性障害(双極症)を発症。ひきこもりと就労移行支援の利用を経て就職し、現在は自立訓練(生活訓練)事業所の支援員をしています。今回は周りとの感覚の違いについて、子どもの時に感じていたことを中心に書いていきます。
監修: 新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
2003年信州大学医学部卒業。小児科医師として、小児神経、発達分野を中心に県内の病院で勤務。2010年信州大学精神科・子どものこころ診療部で研修。以降は発達障害、心身症、不登校支援の診療を大学病院及び一般病院専門外来で行っている。グループSST、ペアレントトレーニング、視覚支援を学ぶ保護者向けグループ講座を主催し、特に発達障害・不登校の親支援に力を入れている。
多様な子育てを応援するアプリ「のびのびトイロ」の制作スタッフ。
感覚の違いは孤独の象徴
私は感覚過敏があり、日常生活で特に困るのは聴覚の過敏さです。イメージとして、必要な音を選択するフィルターがついておらず全部の音を拾ってしまうため、駅や街中など多くの音がある環境は多大なストレスとなります。対策として、街中では常にノイズキャンセリングイヤホンをつけ、仕事などでも耳栓などの使用を配慮として相談しています。
なんて話は発達ナビをご覧になっている方は一度は聞いたことがあると思います。私も何度か書いてきました。また、当事者の集まりなどで話したこともあります。実際困ることや対策もある程度確立しているものという印象があります。配慮点としても受け入れられやすいですからね。
なので今回はちょっと違った角度から聴覚過敏について書いていきたいと思います。
なんて話は発達ナビをご覧になっている方は一度は聞いたことがあると思います。私も何度か書いてきました。また、当事者の集まりなどで話したこともあります。実際困ることや対策もある程度確立しているものという印象があります。配慮点としても受け入れられやすいですからね。
なので今回はちょっと違った角度から聴覚過敏について書いていきたいと思います。
聴覚過敏の記憶
私にとって聴覚過敏は孤独の象徴でした。そのきっかけは盆踊りです。小学生の頃だったと思いますが、引っ越した先の家の近くで毎年盆踊りが開催されていました。運営に家族が関わっていたこともあり、家の中も盆踊りムードで盛り上がっていたと記憶しています。そして私は盆踊りの太鼓の音が嫌で嫌で仕方ありませんでした。
家にいても耳を塞いでも聞こえてくる太鼓の音。聴覚過敏なんて知らなかった私は苦痛の中で「ほかの人は何も感じないの!?」ということを考えていました。みんな楽しんでいる。家族も楽しんでいる中で、私だけが苦しんでいる。当時はもう母親が家を去ったあとで「自分が悪い」という考えが染み付いていた私は、やはりここでも「自分が弱いんだ」「僕がおかしいんだ」と結論づけるようになります。
それに、家族も聴覚過敏という概念を知らず(というか30年以上前で世間でもほとんど知られていなかった)、私が嫌がっているのを不思議そうにしていたように覚えています。
家にいても耳を塞いでも聞こえてくる太鼓の音。聴覚過敏なんて知らなかった私は苦痛の中で「ほかの人は何も感じないの!?」ということを考えていました。みんな楽しんでいる。家族も楽しんでいる中で、私だけが苦しんでいる。当時はもう母親が家を去ったあとで「自分が悪い」という考えが染み付いていた私は、やはりここでも「自分が弱いんだ」「僕がおかしいんだ」と結論づけるようになります。
それに、家族も聴覚過敏という概念を知らず(というか30年以上前で世間でもほとんど知られていなかった)、私が嫌がっているのを不思議そうにしていたように覚えています。
【新連載】「診断はない、でも生きづらい」母の不在、双極性障害、ひきこもり…「自分はダメだ」から脱却した40代の今
人と感覚が違うということ
聴覚過敏のほかにもいろいろと感覚の特性があります。その一つが色覚異常です。色の識別があまりできないというもので、信号などはっきりした色は分かるため、日常生活を送るうえではそれほど困ったことはありません。
何に困ったかというとゲームです。これも小学生の頃、色を合わせるパズルゲームが流行りました。ゲームでは青と紫が出てくるのですが、それが私には識別できず、人から見たら見当違いなプレイをしていたみたいです。最初はふざけていると思っていた友だちも、次第に白けていきました。こういうことはほかにも多々ありました。
自分は人と違う、それもマイナス面で。家族とも違う、クラスメイトとも違う。誰も分かってくれない。子どもの頃の私は世界から取り残されたように感じていました。
その感覚は今も残っています。「人は分かってくれない」がスタートラインになっています。当然のことすぎて最近まで気づかなかったくらいです。
何に困ったかというとゲームです。これも小学生の頃、色を合わせるパズルゲームが流行りました。ゲームでは青と紫が出てくるのですが、それが私には識別できず、人から見たら見当違いなプレイをしていたみたいです。最初はふざけていると思っていた友だちも、次第に白けていきました。こういうことはほかにも多々ありました。
自分は人と違う、それもマイナス面で。家族とも違う、クラスメイトとも違う。誰も分かってくれない。子どもの頃の私は世界から取り残されたように感じていました。
その感覚は今も残っています。「人は分かってくれない」がスタートラインになっています。当然のことすぎて最近まで気づかなかったくらいです。
対策だけでなく寄り添うことも
今は感覚の違いもかなり知られてきて、調べれば対策もたくさん出てきます。実際私もそれに助けられています。それに、人と違うことを良し悪しでなく、単に特性と捉える傾向も広まってきたと感じています。
しかし、当事者としては寂しさの記憶が残っています。身近な人と感覚が違うというのはやはり堪えます。それが子どもであればなおさらそうでしょう。知識で納得するのとはまた違います。
だからこそ、対策だけでなく心に寄り添うことが大事だと思います。私の経験上、どんな風につらいのかを聞いてもらえるだけでもかなり安心します。それは聴覚過敏など感覚の違いだけでなく、ほかの特性にも言えることだと思います。
感覚の違いとともに生きてきた私は、人は分かってくれない、がスタートラインになりました。でも、だからこそライターになったのかもしれないと最近は思います。人に何かを伝えることに必死だったから、鍛えられた力もあるみたいです。
執筆/くろまる
しかし、当事者としては寂しさの記憶が残っています。身近な人と感覚が違うというのはやはり堪えます。それが子どもであればなおさらそうでしょう。知識で納得するのとはまた違います。
だからこそ、対策だけでなく心に寄り添うことが大事だと思います。私の経験上、どんな風につらいのかを聞いてもらえるだけでもかなり安心します。それは聴覚過敏など感覚の違いだけでなく、ほかの特性にも言えることだと思います。
感覚の違いとともに生きてきた私は、人は分かってくれない、がスタートラインになりました。でも、だからこそライターになったのかもしれないと最近は思います。人に何かを伝えることに必死だったから、鍛えられた力もあるみたいです。
執筆/くろまる
専門家コメント 新美妙美先生(小児科医)
感覚の違いについて、子どもの頃のご経験を含めて丁寧に書いてくださりありがとうございます。聴覚過敏への対策そのものだけでなく、「自分だけがつらい」「ほかの人には何も感じないの?」という孤独感まで言葉にしてくださったことが、とても印象に残りました。
感覚の感じ方は、本来一人ひとり違うものです。ところが、目に見えない感覚の違いは、周囲からも本人からも気づきにくく、「みんなが平気なのだから、自分も平気なはず」と思ってしまいやすいものです。聴覚過敏だけでなく、触覚や嗅覚、視覚など、さまざまな感覚の特性がありますが、その感じ方を他人と客観的に比べることはできません。だからこそ、「この子はどのように感じているのだろう」と想像し、本人の訴えをそのまま受け止めることが大切です。
発達特性のある方は、周囲と自分の感じ方が違うことに気づいたとき、「自分がおかしい」「自分が弱い」「自分が我慢すればいい」と捉えてしまうことがあります。くろまるさんが、周囲は楽しんでいる中で自分だけが苦しんでいた経験から、そのように考えるようになったというお話は、とても切実です。こうした「自分だけ違う」という感覚を長く抱え続けることは、大きなストレスになり、心身の不調につながることもあります。
現在は、イヤーマフやノイズキャンセリングイヤホンなど、感覚の負担を減らすための具体的な工夫も知られるようになりました。しかし、対策をするだけではなく、「それは本当につらかったね」「どういうふうに感じていたの?」と本人の体験そのものに寄り添うことも同じくらい大切です。
一人ひとりの感じ方の違いを前提に、本人が困らない方法を一緒に探していく……くろまるさんの体験は、その大切さを当事者の言葉で教えてくださる、とても貴重なものです。またいろいろ教えてください。(監修:小児科医 新美妙美先生)
感覚の感じ方は、本来一人ひとり違うものです。ところが、目に見えない感覚の違いは、周囲からも本人からも気づきにくく、「みんなが平気なのだから、自分も平気なはず」と思ってしまいやすいものです。聴覚過敏だけでなく、触覚や嗅覚、視覚など、さまざまな感覚の特性がありますが、その感じ方を他人と客観的に比べることはできません。だからこそ、「この子はどのように感じているのだろう」と想像し、本人の訴えをそのまま受け止めることが大切です。
発達特性のある方は、周囲と自分の感じ方が違うことに気づいたとき、「自分がおかしい」「自分が弱い」「自分が我慢すればいい」と捉えてしまうことがあります。くろまるさんが、周囲は楽しんでいる中で自分だけが苦しんでいた経験から、そのように考えるようになったというお話は、とても切実です。こうした「自分だけ違う」という感覚を長く抱え続けることは、大きなストレスになり、心身の不調につながることもあります。
現在は、イヤーマフやノイズキャンセリングイヤホンなど、感覚の負担を減らすための具体的な工夫も知られるようになりました。しかし、対策をするだけではなく、「それは本当につらかったね」「どういうふうに感じていたの?」と本人の体験そのものに寄り添うことも同じくらい大切です。
一人ひとりの感じ方の違いを前提に、本人が困らない方法を一緒に探していく……くろまるさんの体験は、その大切さを当事者の言葉で教えてくださる、とても貴重なものです。またいろいろ教えてください。(監修:小児科医 新美妙美先生)
(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。