嘘をつかれるということは、嘘をつかれる側にとっては、とても辛いことである。
悲しいことである。腹も立つ。
その子(人)への思いが強ければ強いほど、裏切られたという思いが強くなる。
しかし、嘘をつかざるを得ない相手の気持ちを理解しようとする姿勢は忘れてはいけないように思う。それが、たとえ悪意の嘘であったとしても……。
ある人からこんなメールが届いた。その人の了解が得られたので、記しておこうと思う。
「嘘をつくことやあえて話さないこと、そのこと自体が本人にとってはとても辛いことでもある、ということをわかってもらえた、受け止められた、そんな体験があります。
そのときには、嬉しさとありがたさと恥ずかしさが入り交じった感情が一気に沸騰し、大泣きしたことを今も覚えています。」
「児相日記(22)」で「嘘」について書いてみようと思ったのは10月18日。しかし、なかなか進まなかった。どうしても書きたいことが出てきて、それを先にしたら、いつのまにか1ヶ月が経っていた。「児相日記」は(25)になっていた。
自分の弱さを隠すために嘘をつくのではなく、また、独りぼっちの寂しさがいやだから嘘をつくのではなく、自分の弱さも失敗も悪いところもそのまま認めて、素直に「ごめんなさい」と謝ることのできる人間関係を作れたらと思う。
失敗しない人間なんていないのだから……。
◆但田たかゆき
⑥【嘘をつくということ~5歳の時に僕がついた嘘】〜その6
教室の毎日
23/03/11 22:50