「遊ぶように学ぶ」障害の有無問わず、そこに人間関係のつくり方がある

ライター:山田小百合
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障害があったって、お友達づくりの境界があるわけじゃない。「関係性を作る学習」を、遊びの延長のように用意することはできるのではないか。そんな思いから、障害のあるなしを問わず参加するワークショップを運営しています。今回の記事では、ワークショップに参加してくれたある男の子のエピソードをご紹介します。

はじめまして。NPO法人「Collable(コラブル)」の山田小百合です。

私たちは障害があってもなくても、遊んだり学んだりできる環境づくりに挑戦しているNPO法人です。多様な人たちが集う場において、関係性をケアするという視点で、活動を行っています。

誰しも一度は悩む「人と関わる」ということは、一体どういうことなのか

最近は「コミュ障」という言葉を耳にする機会が増えました。

この言葉を、なにかコミュニケーションに齟齬があった時に、とっさに使っている人が多くなったなと感じています。

自分の気持ちを言葉で伝えることが難しい。
相手の気持ちを読むことが苦手。
一緒に遊びたいのに相手を困らせてしまう。

そうしたことで悩んだ経験がある人は、決して珍しくないと思います。

ですが、そもそも「人と関わる」とか「繋がる」ということは、どういうことなのでしょうか。

コミュニケーションは、当たり前ですが2人以上で成立するものです。

それにもかかわらず、やりとりに齟齬が起こると、「あいつはコミュ障だ」「あの子意味わかんないよね」と、片方が弱者にされがちです。

誰しも、伝えたいことをスムーズに伝えられるときもあれば、あまり上手く伝えられないときもあります。

自分なりにうまく振る舞える場面もあれば、苦手な場面だってあると思います。

今日は、そうしたご自身の経験を少し頭に思い浮かべながら読んでいただけると嬉しいです。

ある親御さんが教えてくれた一言「支援級には息子の望む遊びの機会が少ない」

私たちは「遊ぶように人と関わる場」を用意し、人間関係を育む機会としてのワークショップ活動を行っていますが、遊びながら考えたり、つくったりする活動を通して、子どもたちが人と自然に関わりいきいきと変わっていく姿を多く見てきました。

活動の内容は、造形活動、ダンスや演劇などの身体表現、音楽、iPadなどを使うデジタルな制作活動など、様々。

そこには、知的能力や発達に関する障害の診断がある子も、そうした診断のない子もやってきます。


ひとつ、ワークショップで出会ったある男の子のお話をご紹介します。

当時、特別支援学級に所属していた小学校2年生の男の子。ここではAくんとしましょう。

Aくんは怪獣が好きで、ごっこあそびも大好き。
好きなことを通してお友達と一緒に遊びたい、そんな関心が高まっている時期でした。

しかし、親御さんに見せてもらった保育園の頃のビデオには、行事で並んだり一緒に行動したりする場面で、集団の中に入っていけずに、ポツリと座り込んでいる姿が。

集団行動はとても苦手なようで、当時のAくんは、人の会話に文脈を無視して割り込んでしまうこともあり、小学生になってからは、学校で嫌がらせを受けたこともあったそうです。

そんなAくんでしたが、ワークショップに来てくれたときには全く違う姿を見せてくれました。初めて出会う子ばかりなのに、ワークショップが始まる前から同世代の男の子たちと仲良くおしゃべりをしているのです。

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写真:金田幸三
Upload By 山田小百合
その日の活動は、2人1組で架空の植物を作るというもの。
3時間ほどの長丁場でしたが、2人は笑顔で、かつ真剣に制作をしていました。

途中、自閉傾向のある本人の特性か、A君が自分のこだわりを譲れずに、ペアの男の子がため息をつく場面もありましたが、ほとんど大きな介入は不要でした。

私はファシリテーターとしてAくんのこだわりを活かせるような声かけをしただけで、後は子どもたちが自分で解決していったのです。

ワークショップの最後には、作品紹介のためのシートを書きました。

Aくんは字を書くのが苦手な様子で、自然と「これ書いてもらえる?」とペアの男の子に自分から声をかけていました。

2人は、できる部分は一緒に考えつつ、難しいところは役割分担をするということを、大人が教えるでもなく自ら行っていたのです。

発表の際には2人で爆笑しながら作品を紹介、ワークショップ全体の雰囲気を温めて帰ってくれました。まさに、彼らのおかげでワークショップが成功したと言える出来事でした。


Aくんの親御さんは、「本当は、本人の気持ちとしてはいろんなお友達と関わりたいのに、支援級にいることで、その機会が格段に減ってしまった」というジレンマを教えてくださいました。

後日、「ワークショップの中で、他人への関心が生まれた」「ワークショップでの経験を生かして、今では学校でお友達と遊んだり関わったりする様子がみられ、楽しく学校に通っている」と、嬉しい感想を送ってくださいました。

中学生のころに感じた同級生と自分の温度差、そして違和感

私たちは、日々このようなワークショップを行っていますが「障害があってもなくても、遊んだり学んだりできる環境づくり」への挑戦が始まったのは、私自身の家庭環境からの気づきからでした。

私は年子の兄と3つ下の弟がいますが、どちらも知的障害と自閉症を併せ持っています。大学進学を機に私は親元を離れましたが、それまではずっと家族と暮らしていました。

違和感に気づいたのは、中学生の頃、兄と同じ特別支援学校にいた子が、交流及び共同学習の一環で私のクラスにやってきた時です。

それは、まさにクラスの同級生との温度差を感じた瞬間でした。

特別支援学校の生徒を「お客様」として招き、誰も別に面白くもないゲームをやり、一緒に給食を食べて終わるという一連の時間に、「一体何の意味があるのかな」と疑問に思ったのです。

中には心ない悪口を言い放つ同級生もいて、ショックを受けました。

しかし、その同級生の姿になぜショックを受けてしまう自分がいたのかといえば、私の家庭の特殊性があったからだ、と気づいたのです。

そして同時に、同級生に「差別はいけない」と正義感を振りかざすことも違うと感じました。

交流及び共同学習の目的は、障害のある本人が、社会性を育む重要な機会です。

人と関わるためのスキルを学ぶ機会は増えてきましたが、実社会で生かせる場面がどれほどあるのかといえば、社会の準備はまだ整っていない状況ではないでしょうか。
次ページ「あの頃の違和感が、今、子ども達との「ワークショップ」に繋がっている」

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