子どもたちに気付かせてもらった、家族が笑顔になる方程式
私は最初、息子の歌声を「不快」と感じていました。
それを無くすため、例えば「もう少し小さな声にして」と息子に声をかけたとすると、楽しく歌っていたはずの息子にも「不快」が生じます。
そこにでき上がる公式は
私の「不快」+息子の「不快」=2人の「不快」です。
息子への注意によって私の不快が消える訳ではないので、2人とも「不快」を感じることになるのです。
しかし、娘の投じた一言は、私の感覚を根底からひっくり返してしまう考え方でした。
つまり、私の「不快」を「快」にしてしまうことにより、息子の「快」も保たれたままになり、結果として2人ともが「快」になるのです。
根本の見方を変えるだけで、家族全員が楽しい気持ちのままいられるということを、2人の子どもたちから教わりました。
それを無くすため、例えば「もう少し小さな声にして」と息子に声をかけたとすると、楽しく歌っていたはずの息子にも「不快」が生じます。
そこにでき上がる公式は
私の「不快」+息子の「不快」=2人の「不快」です。
息子への注意によって私の不快が消える訳ではないので、2人とも「不快」を感じることになるのです。
しかし、娘の投じた一言は、私の感覚を根底からひっくり返してしまう考え方でした。
つまり、私の「不快」を「快」にしてしまうことにより、息子の「快」も保たれたままになり、結果として2人ともが「快」になるのです。
根本の見方を変えるだけで、家族全員が楽しい気持ちのままいられるということを、2人の子どもたちから教わりました。
「物事の捉え方は考え方次第」と、年長さんの娘から教わるとは
言うまでもありませんが、この朝は家族全員がご機嫌に過ごすことができました。
どれだけ狭い固定概念の中にいたのだろう…と、娘に思い知らされた朝でした。
だからといって、毎日自分で気が付いて、聖人君子のように息子と接することができるわけではありません。
ただ、1度でもそんな貴重な経験ができたことは、これから先息子を育てていく長い時間の中で、きっと役に立つときがあるだろう、と信じてやみません。
どれだけ狭い固定概念の中にいたのだろう…と、娘に思い知らされた朝でした。
だからといって、毎日自分で気が付いて、聖人君子のように息子と接することができるわけではありません。
ただ、1度でもそんな貴重な経験ができたことは、これから先息子を育てていく長い時間の中で、きっと役に立つときがあるだろう、と信じてやみません。
誰しも、24時間365日「子どもの障害に理解のある、穏やかな母親」ではいられない
「なんでお兄ちゃんばっかりほめるの…」障害のある息子の陰で、妹が抱えていた気持ち
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