支援級への進学が難しかったことはショックじゃない。傷ついたのは「不適切」という言葉
我が家は別に判定を不服だと訴えるつもりもないし、騒ぐつもりもありません。
それでも「不適切」という言葉は「とにかく黙ってろ」というような有無を言わさない強さがありました。告白してもいないのに酷く振られたような理不尽な気持ちもこみ上げます。
これがもし「支援学校に適しています」という通知であればどれだけ前向きになれたか。
自分の子どもを「不適切」とされて、落ち込まない親がいるでしょうか?支援学級への進学が難しかったことはショックでもなんでもなかったのに、「不適切」という言葉はとてもショックでした。
そこまで拒絶しなくったっていいのにな。
もやもやした気持ちは今でも残っています。
それでも「不適切」という言葉は「とにかく黙ってろ」というような有無を言わさない強さがありました。告白してもいないのに酷く振られたような理不尽な気持ちもこみ上げます。
これがもし「支援学校に適しています」という通知であればどれだけ前向きになれたか。
自分の子どもを「不適切」とされて、落ち込まない親がいるでしょうか?支援学級への進学が難しかったことはショックでもなんでもなかったのに、「不適切」という言葉はとてもショックでした。
そこまで拒絶しなくったっていいのにな。
もやもやした気持ちは今でも残っています。
まずは教育機関から、伝え方を見直してみてほしい。
障害のある子どもを育てる中で、
「走らない!」→「歩きます」
「そんなことしないの!」→「〇〇をしようね」
というように、「肯定的な言葉がけ」がとても大切だと言われてきました。それは教育の現場でも同じはずです。
そして教育機関であるからこそ、一つ一つの言葉に教育的な信念を持って欲しいと思うのです。
特別支援学校は、支援学級に「不適切」だとされた子どもたちが「仕方なく」通う場所でしょうか?決してそうでは無いと私は思います。そんなイメージを作らないような取り組みを、教育機関にはしてほしいのです。
障害者差別解消法が施行されていくぶん月日も経ちました。
そろそろ昔のテンプレートを見直してみてほしい。ほんの少し言葉尻を変えるだけで障害や支援に対して前向きな気持ちになれるのだと知ってほしい。
今はそんな気持ちでいっぱいです。
「走らない!」→「歩きます」
「そんなことしないの!」→「〇〇をしようね」
というように、「肯定的な言葉がけ」がとても大切だと言われてきました。それは教育の現場でも同じはずです。
そして教育機関であるからこそ、一つ一つの言葉に教育的な信念を持って欲しいと思うのです。
特別支援学校は、支援学級に「不適切」だとされた子どもたちが「仕方なく」通う場所でしょうか?決してそうでは無いと私は思います。そんなイメージを作らないような取り組みを、教育機関にはしてほしいのです。
障害者差別解消法が施行されていくぶん月日も経ちました。
そろそろ昔のテンプレートを見直してみてほしい。ほんの少し言葉尻を変えるだけで障害や支援に対して前向きな気持ちになれるのだと知ってほしい。
今はそんな気持ちでいっぱいです。
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