新しい環境への変化に、「体が暴れる」ということ

編集長: 今回のテーマで取材をしていくころには、もう伊藤さんご自身の症状は「隠れ吃音」と言えるぐらいには目立たなくなっていたとのことですが、より症状が大きかった頃の吃音経験をお聞きしてもいいですか。

伊藤: 子どもの頃から吃音はありましたが、あまり悩んだりはしなかったんですよね。小学校3、4年のころは、クラスのやんちゃな男子とかに真似されるようなことはあったけど、普通に言い返していましたし。しゃべりにくい感じはあっても、吃音という言葉も知らなかったので、他人と比較してどうこうじゃなく、自分のしゃべりは「そういうものだ」ぐらいに思ってました。

むしろ、大学で教職について最初のころの方がきつかったです。就職して半年は「東京工業大学の伊藤です」という自己紹介がうまく言えなかったんですよ。それはきっと、就職するとか、組織に入るっていうことに納得していなかったんですね。自己紹介すらポジショントークに思えるっていう(笑)

身体の研究をしているのに、就職するとこんなに自分の体を持っていかれるのかって思いました。多分、変化があるとちょっと暴れるんですよ、体が。
編集長: あー、それ、わかります!自分の所属とか立ち位置にしっくり感が足りないとき、自己紹介がすごく難しくなるんですよね…。そのくせ、環境に慣れてくるころには飽きてきちゃって、また新しい環境に飛び込もうとする、みたいな我ながらめんどくさい習性も持っているんですけど(笑)

伊藤: 飽きちゃうんですね(笑)でも、私もそれまでの「スタンダード」を変えてみるということは好きです。絶対食べなかったものを食べてみるとか、聴いている音楽を変えるとか…。あえて自分から変化を起こして体の状態を変えるんです。変化に弱い部分と、変化をさせるのが好きという部分があるのは不思議ですね。

編集長: 変化する・しないの二者択一ってことではなさそうですよね。会社で働いていると、自分で提案・希望して仕事を勝ち取る側面と、「これ、やってみてよ」と他人から仕事が振られる側面と、両方ありますよね。で、他人から、つまり自分の「コントロールの外側」から仕事がやってくるときって、最初は「えー、できるかな…」と不安になったり、それこそ体が暴れたりすることもあるんですけど…

伊藤: ええ。

編集長: 自分をよく見てくれている人がくれる仕事って、自分の枠を広げるのにちょうど良いチャレンジだったりすることも往々にあって。「やだなぁ」って思いながらやってみたら、だんだん楽しくなってきたり、「あれ、もしかして向いてるかも?」と新しい自分を発見できたりもするんですよね。

だから最近では、変化すること自体への恐れは薄れてきたように思います。暴れるフェーズと馴染むフェーズ、振り子みたいに振れている自分を楽しむような感覚です。

吃音があることの良さをあえて挙げるなら、それは「誠実さ」から逃れられないこと

伊藤: 編集長ご自身も「しゃべれない」経験があったとお聞きしましたが、それはいつごろだったんですか。

編集長: 僕の場合は…「吃音」と言えるほどの症状か微妙なラインなんですが、話そうと思ってもなかなか言葉が出ない、人と「うまくしゃべれない」という時期がありました。大学卒業前後かな、ちょうど東日本大震災が起こった年と重なるんですけど。

あのころ、社会全体も大きく揺れていた時期でしたが、それと同じタイミングで、僕の中でも、人と向き合う上でのありようの地殻変動が起こっていたというか、まぁちょっと色々こじらせていたんですけど(笑)。

伊藤: こじらせてたんですね(笑)。

編集長: 要するに当時、震災と大学卒業のタイミングが重なって、同級生は就職とか、それぞれの選択をして進んでいったわけですが、僕はうまく決められなくて立ち往生しちゃったんですね。しっくりこなかったというか、それでしゃべれなくなっちゃった。いま思えば暗い時代です(笑)。

伊藤: ”しっくり感”に対する感度が高くなりますよね、吃音だと。うまくしゃべれないというときに「言い換え」はしていましたか?

編集長: どうでしょう…そんなにしている感覚はなかったのですけど。

伊藤: 私は結構しているんですよ。Aと言いたい、でも難発になりそうだからBに換えたというときに「Aだったらしっくりきてた」「Bだったからしっくりこなかった」というのがすごい残るんです。しっくり感に対する感度は私にとって言い換えで育まれた感じがしています。

編集長: なるほど。

伊藤: 本の最後でも触れたんですけど、吃音があることの良さ…をあえて言うとしたら、それは「誠実」さから逃れられないことなのかもしれません。どうしても体の方が「ちょっと待て」とひっかけてきたりするので、立ち止まらざるを得ない。

私、大学の講義も3年で内容を全部変えているんですよ。”立て板に水”みたいに話せるようになってきちゃうと、学生に対して申し訳ない気持ちになるし、苦しい。新しいものにしてたどたどしくしゃべらないと伝わってない気がするんです。

編集長: 仕事に慣れてくるとしゃべりが上手になってきますよね。同じことを繰り返し言っているようで…。単純に労力対効果でいったら効率よくなっているからいいことなはずなのに、逆に「このままでいいんだろうか」って思っちゃいます(笑)。

伊藤: 自分の輪郭を更新したくなるような感じですね。形成されてきたパターンや枠…ある種、自分の枷にもなっているものがずれたときが楽しいし、生きてる感がある。

編集長: そういえば、うまくしゃべれない時期に出会った人に「君は、ちゃんとどもれるところがいい」って言ってもらったことがあって。どもっている時間は、自分が相手や言葉と誠実に向き合っているサインだというようなニュアンスでした。その言葉をもらったことが、僕にとってだいぶ救いになりましたね。

でもまぁ…「誠実」であることって、燃費悪いですよね。なかなか楽にならない(笑)。

手放しの肯定なんてできないけれど

編集長: 言葉の”しっくり感”に関するお話をしましたが、そういった感度も含めて、吃音であることが、何かその人らしい表現やコミュニケーションのリズムを形作る面もあると思います。とはいえ、いざ日常生活を送っていくうえでは、やっぱり吃音があることは”不便さ”と隣り合わせだったりする。この点、伊藤さんはどう考えられていますか?

伊藤: 連発や難発になったときに、「じゃあどう対処したら正解か」という答えはやっぱりないですね。

生身のコミュニケーションをしていて、その波が狂うっていうのは結構大きいことですから。波がない状態や、またはポリリズムな複数の波がある状態みたいなものも許容するような会話ができたらいいんだろうなって思います。

編集長: 周りの人たちに許容性があって、待ってもらえる空間や関係性だと、どもることに対する心理的安全感が高まるかもしれません。

伊藤: そうですね。でも、ここが一番、私自身の当事者性が出るところで…。自分のしゃべりで波を壊してしまった経験があるので、明るく言えないんですよ。周りの人も感じている軽い”痛み”みたいなものを、簡単には肯定できない。

編集長: 確かに、仮に周りが「気にしなくていいよ」と言ったとしても、たとえば10秒間「たたた…」と連発状態になっている本人からしたら、気にしない方が難しいですよね。

伊藤: インタビューをした吃音当事者の方々でも、「どもること」に対する捉え方はさまざまでした。

「言い換え」などの工夫を身につけて、傍目には吃音だとわからないぐらいに話し方をコントロールできるようになったけれど、どもらなくなったことで、「本当の自分」を出せていない感覚がして、どこに行ってもどもりたくなってしまう人。

どもらずに話せるようになって、どこか”嘘っぽく”生きることも含めて自分だと受け入れて、吃音と付き合っている人。

「吃音当事者であること」と「その場その場でうまくやり過ごして生きていること」が、微妙に両立しないことがあるんです。
コントロールを外れて暴れる体と、終わりのない追いかけっこー『どもる体』伊藤亜紗さん×発達ナビ編集長の画像
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編集長: どちらが良い悪いといった話ではなく、個人の生き方の問題になってきますね。

伊藤: ええ、そうなんです。たとえばどもる自分が「本当の自分」だと考える人にも理由があって、どもらないで話すなかで、「本当の自分が出せていない」と感じる経験が重なったからこそだったりするんですよね。

編集長: 吃音とどう付き合っていくのか、その人が自分の価値観を形成していくまでの物語がある。

伊藤: その物語というのも、今後また変わっていくかもしれないんです。今は落ち着いていても、これから違うタイプの吃音症状が出るかもしれません。人間関係や生活環境などの影響も受けながら、吃音との付き合い方も変わっていくのだと思います。

編集長: たとえ今、自分なりに吃音というものの付き合い方が整理できていても、いつまたその前提が揺さぶられるかわからない…。

伊藤: みなさんそれぞれ、「こんなときに自分はどもる」とか「自分の吃音の原因はこれだ」と分析して理屈を立てているんですが、結局、100%説明できる合理的な理由なんてものはないんです。

立てたところで、すぐその理屈を裏切られてしまうから、常に自分の体に敗北宣言している感覚です。

結局、個々人が自分の人生の中に吃音を意味づけてつくった「物語」も、長い時間軸で見たら体が全部飲み込んでいくんですよ。うまくしゃべろうとするとどもるとか、どもらないようにすると難発になるとか、吃音って、努力すれば確実に実る、というような分かりやすい話じゃないんですよね。

…なんだか、明るいメッセージが出てこないですね(笑)。

編集長: そうですね(苦笑)。ま、それも「どもる人」としての誠実さということで…
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