「普通」という条件付きの愛から、無条件の愛へ
私は聞き書きを進めるうちに、知的障害のある自閉症児を受容し育てるということには、健常児の子育てにつながる課題があることが見えて来ました。
私の知人のお子さんの中には、いじめに遭って登校拒否になった子、病気によって友人との関係が作れず高校を中退した子、両親の不仲から問題行動に走った子など、難しい生き方をしている子が多数います。いえ、そこまで深刻でなくても、勉強が苦手だとか、親友ができないとか、進学や就活に失敗したとか、生きづらさを抱えている子どもはいくらでもいます。
私の知人のお子さんの中には、いじめに遭って登校拒否になった子、病気によって友人との関係が作れず高校を中退した子、両親の不仲から問題行動に走った子など、難しい生き方をしている子が多数います。いえ、そこまで深刻でなくても、勉強が苦手だとか、親友ができないとか、進学や就活に失敗したとか、生きづらさを抱えている子どもはいくらでもいます。
そうした時に私たちが考えることは、せめて世間並みという「普通」の基準から滑り落ちないことではないでしょうか?しかし「普通」にいくらしがみついても、そこから脱落し、違った道を歩まざるを得ないのも、また人生ではないでしょうか?
「普通」ではない人生。それってそんなに惨めなものでしょうか?「普通」でなくても、親から見れば我が子は何物にも替え難い唯一無二の存在です。親が我が子に対し、「この世には、あなたと同じ人はいない」と気付いた時に、「普通」でなくてもその生き方でいいのだと肯定することができます。
「普通」ではない人生。それってそんなに惨めなものでしょうか?「普通」でなくても、親から見れば我が子は何物にも替え難い唯一無二の存在です。親が我が子に対し、「この世には、あなたと同じ人はいない」と気付いた時に、「普通」でなくてもその生き方でいいのだと肯定することができます。
最初は「こんな子は要らない」と勇太君を拒否した母は、今では勇太君を溺愛しています。
なぜ変わったのでしょうか?それは我が子を愛するのに最初は「条件」が付いていたからです。可愛い子、頭のいい子、人より優れた子、そういう子どもが欲しかった。つまり条件付きの愛だったのです。
しかしその愛はやがて「無条件の愛」に変わっていきます。人は育てる中で、初めて親になっていくのです。親は自分の子どもをありのまま愛する能力を少しずつ育てていけるのだと私は思います。
なぜ変わったのでしょうか?それは我が子を愛するのに最初は「条件」が付いていたからです。可愛い子、頭のいい子、人より優れた子、そういう子どもが欲しかった。つまり条件付きの愛だったのです。
しかしその愛はやがて「無条件の愛」に変わっていきます。人は育てる中で、初めて親になっていくのです。親は自分の子どもをありのまま愛する能力を少しずつ育てていけるのだと私は思います。
本書を最後まで読んで頂くと、母には勇太君の未来に関して明確な目標を持っていることが分かります。それはグループホームを作ることです。
これは夢ではありません。勇太君が幸せに人生を歩んでいくために、成し遂げなければいけない目標なのです。目標を設定して生きるその道のりは、決して容易ではないかもしれませんが、生きがいのある充実したものではないでしょうか?
これは夢ではありません。勇太君が幸せに人生を歩んでいくために、成し遂げなければいけない目標なのです。目標を設定して生きるその道のりは、決して容易ではないかもしれませんが、生きがいのある充実したものではないでしょうか?
学び多き、多様な社会
障害児がやがて大人になって、最終的に就労するとか、税金を納めるとか、それはどちらでもいいことだと私は個人的に思っています。障害の程度に応じて働けばいいのであって、呼吸器の付いた寝たきりの子には労働は不可能です。
けれども、障害児が生きることで、いや、ただ存在することだけで私たちは多くの学びと気づきを得ることができます。私たちの社会には、色々な人がいます。ああいう人、こういう人、ああいう人生、こういう人生。それぞれにカラーがあり、全体として豊かな色を作り上げています。そうした多様な社会にこそ学びがあります。単一な社会から得るものは何もありません。
そうした多様性の大事さに多くの人が気付きながらも、その重要性は本当の意味で今の社会にまだ根付いていないように見えます。障害児が生きやすい社会になっていくためには、もう少しだけ時間が必要な気がします。立石さん親子の生きる姿は、そうした閉塞感に風穴を開ける一陣の風になる可能性があると私は感じました。
けれども、障害児が生きることで、いや、ただ存在することだけで私たちは多くの学びと気づきを得ることができます。私たちの社会には、色々な人がいます。ああいう人、こういう人、ああいう人生、こういう人生。それぞれにカラーがあり、全体として豊かな色を作り上げています。そうした多様な社会にこそ学びがあります。単一な社会から得るものは何もありません。
そうした多様性の大事さに多くの人が気付きながらも、その重要性は本当の意味で今の社会にまだ根付いていないように見えます。障害児が生きやすい社会になっていくためには、もう少しだけ時間が必要な気がします。立石さん親子の生きる姿は、そうした閉塞感に風穴を開ける一陣の風になる可能性があると私は感じました。
この世の中で最も弱い人たちを守ることで、私たちは幸せになれるのではないでしょうか。簡単なことではないかもしれませんが、私たちの意識が少しずつ変わっていけば、そういう社会が来るかもしれません。そうなることを信じてみようと私は思っています。
このコラムを書いた人の著書
2018年9月10日、医師・松永正訓氏が立石さん親子を取材、書き上げたルポルタージュが発刊。発達障害がある子と母の、幼児期から今までに渡る育児について綴られています。
発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年
中央公論新社
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