成長とともに必要な「支援」は変わる。社会人になった娘を見て、思うこと

ライター:荒木まち子
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私には2018年春に就職した発達障害の娘がいます。娘と歩んできた19年の間には多くの支援者の方々に関わっていただきました。今回は私が考える“親が望む支援者”について書こうと思います。

【幼年期】初めての“支援者”との出会い

私が初めて“支援者”の方と出会ったのは娘が2歳の時です。

乳幼児健診のときには特に指摘を受けなかった娘ですが、私は同世代の子どもとの違いや育て辛さを感じ、自治体の子育て相談センターに相談をしました。

そこで教えてもらった児童発達支援センター(療育センター)に娘を連れて面接に行ったときのこと。相談員の方に娘の成育歴を聞かれた私は、気がつくと2時間近くも話をしていました。これには自分でも驚きました。

そして自分の母親ほどの年齢の“支援者”の方に
「お母さん、今まで頑張ってきたのね」
と言われたとき、思いもかけず涙が出たことを今でも鮮明に覚えています。

「どこへ行っても肩身の狭い思いをしていたこと」や「障害児を育てる孤独や不安」を“理解してくれる人”に、初めて出会えて嬉しかったのだと思います。

当時の私の日記には
「気がついたら2時間もしゃべっていた。こんなに話したいことがあったんだと自分でもビックリ。今まで子育てでほめられることがなかったから嬉しかった。そうか、私はほめられたかったんだ」
と書いてあります。

私たち親子は、その支援センターでその後6カ月間、月2回のペースで親子グループ保育に通いました。親子で一緒に体を動かしたり、同じ悩みを持つ保護者同士で話をしたり、支援者の方にちょっとした生活上の工夫を教えてもらったりしながら、穏やかで楽しい時間を過ごすことができたのです。

【小学校時代】支援の狭間で悩む日々

主人の仕事の関係で私たちは幼稚園卒業と同時に引っ越しをしました。引っ越した先でも療育センターに通いました。

下の子の出産もあり、しばらく通えない時期はあったものの、小学校高学年になるにつれ、勉強面や友人関係が難しくなり、相談に通う回数は増えていきました。しかし療育センターの面談では…
面談の様子
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「自閉傾向」「グレーゾーン」といわれていた娘。この頃は支援の狭間に陥っていて、もどかしさを感じることが多い時期でした。このまま何もしなかったら状況はどんどん悪化してしまうと感じた私は、自らも障害に対する勉強をし、積極的に地域資源を活用して公の相談機関以外にも娘に合った支援先を探そうと思い始めました。

【中学校時代】ともかく情報を求めていた時期

スクールカウンセラーとの面談
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小学校の半分の期間しかない中学校時代、私は娘が3年間をドロップアウトせずに過ごすことと、娘に合った進路先を探すことに必死でした。
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