映画監督、発達ナビ編集長も登壇『梅切らぬバカ』イベントをレポート!映画に込めた想い、「親なきあと」子どもが地域で生きていくためのヒントも
ライター:発達ナビ編集部
2021年10月26日(火)、東京・渋谷にて、「映画『梅切らぬバカ』から考える当事者家族と社会、理想的な関係とは? 親なき後の未来を生きるためのヒント」と題されたトークイベントが行われました。
イベントには、この映画の脚本・監督をつとめた和島香太郎監督、映画の脚本制作時にも協力した横浜市自閉症協会会長の中野美奈子さん、児童精神科医の三木崇弘先生が登壇、そして発達ナビ編集長の牟田が司会をつとめました。
このコラムでは、イベントの様子をご紹介します
映画「梅切らぬバカ」トークイベントを開催
2021年10月26日(火)に、東京・渋谷のユーロライブにて、映画「梅切らぬバカ」のトークイベントが行われました。
会場には、当日イベント前に行われた特別試写を鑑賞した当事者家族ら関係者60名程が。試写に続き、トークイベントにもご参加いただきました。
登壇したのは、この映画の脚本・監督をつとめた和島香太郎監督、映画の脚本制作時にも協力した横浜自閉症協会会長の中野美奈子さん、児童精神科医の三木崇弘先生、そしてLITALICO発達ナビ編集長の牟田が司会をつとめました。
会場には、当日イベント前に行われた特別試写を鑑賞した当事者家族ら関係者60名程が。試写に続き、トークイベントにもご参加いただきました。
登壇したのは、この映画の脚本・監督をつとめた和島香太郎監督、映画の脚本制作時にも協力した横浜自閉症協会会長の中野美奈子さん、児童精神科医の三木崇弘先生、そしてLITALICO発達ナビ編集長の牟田が司会をつとめました。
和島監督が、この映画に込めた想いとは?
トークイベントでは、まず和島監督にこの映画に込めた想いについて聞きました。
和島監督:以前、障害がある人のドキュメンタリー作品の編集に携ったのが映画を撮ろうと思ったきっかけ。地域の人との関りがなく孤立して困難を抱えている様子があったこと、近隣の方からドキュメンタリーでは近隣住民の被る迷惑が描かれていないと指摘を受けた経験がありました。障害がある人と近隣の人たちとの間にある溝を埋める、つながりやその可能性は、フィクションという形であれば描けるのではないかと考えて、この映画を撮ろうと考えるようになりました。
和島監督:以前、障害がある人のドキュメンタリー作品の編集に携ったのが映画を撮ろうと思ったきっかけ。地域の人との関りがなく孤立して困難を抱えている様子があったこと、近隣の方からドキュメンタリーでは近隣住民の被る迷惑が描かれていないと指摘を受けた経験がありました。障害がある人と近隣の人たちとの間にある溝を埋める、つながりやその可能性は、フィクションという形であれば描けるのではないかと考えて、この映画を撮ろうと考えるようになりました。
それを受けて、児童精神科医の三木先生もコメント。
三木先生:映画でも、隣の里村家の父親・茂が”隣の人”というような表現をしていたのが、”忠さん”と名前を呼ぶようになる。”こわい”“怪しい”存在から、”こういう人だよね”と人となりを理解し、一人の人として接するようになる。そういうことが大切。
横浜市自閉症協会の中野さんは、自閉スペクトラム症と知的障害がある息子さんはコミュニケーションが苦手であることから、自身が地域活動に関わるようにしてきたと言います。
中野さん:私自身が積極的に地域の活動に参加してきた。それによって、地域の中にさまざまなつながりができました。結局息子は地域外のグループホームに入居することになりましたが、私自身これから老いていく中で、地域の中につながりができたのは心強いと感じています。
三木先生:映画でも、隣の里村家の父親・茂が”隣の人”というような表現をしていたのが、”忠さん”と名前を呼ぶようになる。”こわい”“怪しい”存在から、”こういう人だよね”と人となりを理解し、一人の人として接するようになる。そういうことが大切。
横浜市自閉症協会の中野さんは、自閉スペクトラム症と知的障害がある息子さんはコミュニケーションが苦手であることから、自身が地域活動に関わるようにしてきたと言います。
中野さん:私自身が積極的に地域の活動に参加してきた。それによって、地域の中にさまざまなつながりができました。結局息子は地域外のグループホームに入居することになりましたが、私自身これから老いていく中で、地域の中につながりができたのは心強いと感じています。
「梅切らぬバカ」というタイトルの意味するところは?
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」ということわざがあります。樹木の剪定には、それぞれの木の特性に従って対処する必要があり、それが転じて、人とのかかわりにおいても、相手の性格や特徴を理解しようとむき合うことが大事であるという意味をもつことわざです。
この点を意識したタイトルや脚本であるのかを監督に伺いました。
和島監督:不要な枝を切ろうとして、実は切ってはいけない枝を切ってしまったりする。人との関係ってそういう失敗がよくおこるのではないか。間違えた選択肢をとってしまうこともあり、人と関わっていく難しさに悩みながら道を探す。人と人との関わりというのはそういうものなのではないか。この映画を通して、よい方向に向かっていくプロセスを感じ取ってもらいたいです。
和島監督の言葉を受けて、三木先生は映画を観て感じたこととして次のように発言しました。
三木先生:映画の中でも、反対運動を繰り広げる地域の人も、忠さんと距離をとる隣人も、”これでいいのかな”と、どこかに迷いがある。やさしい面もあり、でも拒否する面もある。そういう周囲の人たちの気持ちの揺れも感じられました。
この点を意識したタイトルや脚本であるのかを監督に伺いました。
和島監督:不要な枝を切ろうとして、実は切ってはいけない枝を切ってしまったりする。人との関係ってそういう失敗がよくおこるのではないか。間違えた選択肢をとってしまうこともあり、人と関わっていく難しさに悩みながら道を探す。人と人との関わりというのはそういうものなのではないか。この映画を通して、よい方向に向かっていくプロセスを感じ取ってもらいたいです。
和島監督の言葉を受けて、三木先生は映画を観て感じたこととして次のように発言しました。
三木先生:映画の中でも、反対運動を繰り広げる地域の人も、忠さんと距離をとる隣人も、”これでいいのかな”と、どこかに迷いがある。やさしい面もあり、でも拒否する面もある。そういう周囲の人たちの気持ちの揺れも感じられました。
トークでのやりとりを通して、当事者も、その周りの人たちも、心が揺れながら、失敗を重ねながらも良い方向に向かっていくプロセスを描こうとした監督の想いが伝わってきました。