私の職業上のアイデンティティー
「私の当面の職業はライターだけど、だからといって職業上のアイデンティティーをライターに置く必要もないんだな、だってアイデンティティーって自分で決めるものなんだから」というのが、職業上のアイデンティティーについて最初に考えたことでした。
しばらく考えて、こんな答えが出てきました。
・私の仮の姿はライター、その真の姿は「ピア支援者を目指す者」。
私はまがりなりにもライターとしてのキャリアを積んできたのは事実です。心理や福祉の専門家を目指したこともあった。今後もライターとして仕事がいただければお受けするだろう。けれど、本当に仕事としてやりたい、かつ、やりがいを感じながら生涯続けていけそうなのはピア支援者だと気づいたのです。
文章を通して不特定多数の人を助けることではなく、クローズドな場で私の個人的な語りを通して特定の仲間の助けとなること。それが私のやりたいことであり、かつ、できそうなことでした。
しばらく考えて、こんな答えが出てきました。
・私の仮の姿はライター、その真の姿は「ピア支援者を目指す者」。
私はまがりなりにもライターとしてのキャリアを積んできたのは事実です。心理や福祉の専門家を目指したこともあった。今後もライターとして仕事がいただければお受けするだろう。けれど、本当に仕事としてやりたい、かつ、やりがいを感じながら生涯続けていけそうなのはピア支援者だと気づいたのです。
文章を通して不特定多数の人を助けることではなく、クローズドな場で私の個人的な語りを通して特定の仲間の助けとなること。それが私のやりたいことであり、かつ、できそうなことでした。
アイデンティティーは自ら選んでいくもの
上に挙げた私の私的アイデンティティーと職業上のアイデンティティーには共通点があります。それは、私が自ら選択したものであるということ。
冒頭の引用に「主体性」とありますが、このようにして、自分が主体となって選んでいくのがヘルシーなアイデンティティーだと思うのです。
中盤に出てきたカウンセラーの先生は私に「人は選択肢が与えられなかったときにトラウマを負う、逆に言えば選択肢が与えられればトラウマにはなりにくい」と教えてくれたことがあります。
人生はいつもままならないものですが、そのままならない中でも自ら納得して選んでいくこと。これが私、これが私の人生、そう言えるのがアイデンティティーなのでしょう。
冒頭の引用に「主体性」とありますが、このようにして、自分が主体となって選んでいくのがヘルシーなアイデンティティーだと思うのです。
中盤に出てきたカウンセラーの先生は私に「人は選択肢が与えられなかったときにトラウマを負う、逆に言えば選択肢が与えられればトラウマにはなりにくい」と教えてくれたことがあります。
人生はいつもままならないものですが、そのままならない中でも自ら納得して選んでいくこと。これが私、これが私の人生、そう言えるのがアイデンティティーなのでしょう。
パラレルキャリアならぬパラレルアイデンティティーでいい
もう一つ重要なのが、アイデンティティーは自分の側面の数だけあってもいいということです。
知人のキャリアカウンセラーが、「最近はセカンドキャリアではなくパラレルキャリアと言って、自分のキャリアパスを複数持ちながら生きていくのがよいとされている」と言っていたことがあります。
これは私的アイデンティティーでも同じで、私的アイデンティティーでも職業上のアイデンティティーでも、それぞれにおいてアイデンティティーはいくつもあってよいと思います。
たとえば私がもし、趣味のダンスにもっと心血を傾けているとしたなら、私的なアイデンティティーに「ダンサー」を加えることもあったかもしれません。
ときどきは「べき」や常識から離れて、自分のアイデンティティーについて考えてみるのもいいかもしれませんね。
文/宇樹義子
知人のキャリアカウンセラーが、「最近はセカンドキャリアではなくパラレルキャリアと言って、自分のキャリアパスを複数持ちながら生きていくのがよいとされている」と言っていたことがあります。
これは私的アイデンティティーでも同じで、私的アイデンティティーでも職業上のアイデンティティーでも、それぞれにおいてアイデンティティーはいくつもあってよいと思います。
たとえば私がもし、趣味のダンスにもっと心血を傾けているとしたなら、私的なアイデンティティーに「ダンサー」を加えることもあったかもしれません。
ときどきは「べき」や常識から離れて、自分のアイデンティティーについて考えてみるのもいいかもしれませんね。
文/宇樹義子
(監修 初川先生より)
ご自身のアイデンティティーにまつわる思索のシェアをありがとうございます。
自分とは何者か、それを掴むための視点の一つとして、宇樹さんのカウンセラーの方からの、自分が何かしている際の身体感覚が快か不快かといった面に注目してみること。そのようにご自身のこれまでと今を振り返られ、一つに定めすぎずにあるありようが、しっくり来た、というところのように感じました。カウンセラーの先生の言葉として紹介されていたように、自分が選択肢を持ち選ぶことができること(どんな小さなことでも自ら「選ぶ」ことができるとそれは自分自身で決めたことになるので、納得度合いが深まり、振り回され度がさがりますね)、そして、「こんな自分もあり、あんな自分もあり」と自分で納得できるならば、ご自身のありようとして統合されているといえます。自らの行為(好きなこと・仕事など)に限らず、人間関係でも「自分はこの人といると心地よいのだ」と感じることができればそれは宇樹さんのいうところの「ヘルシーな」ありようなのだと感じます。
読者の方の中には、お子さんの子育てで慌ただしく過ごされ、翻弄されているように感じる方もいらっしゃると思います。自分って…というテーマと出合うことも、時には大事ですし、そうして振り返ることで今の自分のありようをどう捉えるかが変わってくる面もあります。一人で悶々と考えるとつらくなりやすいテーマでもありますので、よき相談相手を見つけ(心理専門職などそうしたテーマに長けた人もいます)、話し合ってみることをおすすめします。
ご自身のアイデンティティーにまつわる思索のシェアをありがとうございます。
自分とは何者か、それを掴むための視点の一つとして、宇樹さんのカウンセラーの方からの、自分が何かしている際の身体感覚が快か不快かといった面に注目してみること。そのようにご自身のこれまでと今を振り返られ、一つに定めすぎずにあるありようが、しっくり来た、というところのように感じました。カウンセラーの先生の言葉として紹介されていたように、自分が選択肢を持ち選ぶことができること(どんな小さなことでも自ら「選ぶ」ことができるとそれは自分自身で決めたことになるので、納得度合いが深まり、振り回され度がさがりますね)、そして、「こんな自分もあり、あんな自分もあり」と自分で納得できるならば、ご自身のありようとして統合されているといえます。自らの行為(好きなこと・仕事など)に限らず、人間関係でも「自分はこの人といると心地よいのだ」と感じることができればそれは宇樹さんのいうところの「ヘルシーな」ありようなのだと感じます。
読者の方の中には、お子さんの子育てで慌ただしく過ごされ、翻弄されているように感じる方もいらっしゃると思います。自分って…というテーマと出合うことも、時には大事ですし、そうして振り返ることで今の自分のありようをどう捉えるかが変わってくる面もあります。一人で悶々と考えるとつらくなりやすいテーマでもありますので、よき相談相手を見つけ(心理専門職などそうしたテーマに長けた人もいます)、話し合ってみることをおすすめします。
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