小学校入学、登校初日に行方不明になった発達障害娘、翌日に母流産…。七転八倒しながら身につけた私が前に進む術

ライター:荒木まち子
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自分の子育て振り返ったとき「あのときああしていれば…」とか「もし別の道を選択していたら…」と思うことがしばしばあります。でも『すべてがうまくいくパラレルワールド』なんて実際には存在しません。だから私はーー

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監修: 新美妙美
信州大学医学部子どものこころの発達医学教室 特任助教
2003年信州大学医学部卒業。小児科医師として、小児神経、発達分野を中心に県内の病院で勤務。2010年信州大学精神科・子どものこころ診療部で研修。以降は発達障害、心身症、不登校支援の診療を大学病院及び一般病院専門外来で行っている。グループSST、ペアレントトレーニング、視覚支援を学ぶ保護者向けグループ講座を主催し、特に発達障害・不登校の親支援に力を入れている。 多様な子育てを応援するアプリ「TOIRO」の制作スタッフ。

卒園と同時に引っ越し

わが家は主人の仕事の関係で娘の幼稚園卒業と同時に関西から関東地方へ引っ越しました。転勤が決まったのが3月だったので、私たちは卒園式を終えてすぐにバタバタと引っ越しをすることになりました。

転居先での支援継続のため、私は娘が療育を受けていた施設に依頼して、娘の発達検査結果や引継ぎの書類をつくってもらいました。
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【障害年金申請への道 最終話】子育て振り返りの旅も終わりに――15年前の発達検査報告書を見て感じた後悔と感謝。そして少しずつ親離れする二十歳の娘への想い

また、就学時健康診断を受け入学予定だった小学校に連絡をして転出の手続きをしました。

娘は仲良しのお友達と、そして私は娘が未就園のときから付き合いのあったママ友とお別れです。
慣れない地で発達障害娘のワンオペ育児。孤独な私たちを救ったのは「お互いさま」の心だった――コロナ禍に思い出す15年前の日々、大変なときこそ恩を送りたいのタイトル画像

慣れない地で発達障害娘のワンオペ育児。孤独な私たちを救ったのは「お互いさま」の心だった――コロナ禍に思い出す15年前の日々、大変なときこそ恩を送りたい

彼らとの別れの際には涙が出ましたが、見知らぬ地に引っ越すことに私たちはそれほど不安は感じていませんでした。
今にして思えば無知(小学校とはどんなものか、これからどんな問題が待ち受けているのかを知らなかった)だからこそ不安を感じなかったのかもしれません。

妊娠初期の引っ越し

このときはちょうど第二子の妊娠が分かった時期でもありました。

決まったのが急だったこと、転勤先が遠方で土地勘がなかったことなどもあり、引っ越し先の物件選びは「主人の会社に通いやすい場所」「それまでと似たような間取り」「同じような家賃」ということだけを指定し、あとはすべて不動産屋に任せていました。

引っ越しは、梱包・開封サービスを使い身体に負担が少ないようにしましたが、第一子(娘)のときと同様につわりが重く、引っ越しの準備作業や移動の際も私はよく吐いていました。

引っ越しが済むと私はすぐに、近くのスーパーや病院(産婦人科)を探し、学区内の小学校に入学手続きをしに行きました。

近隣のお宅に挨拶をしたときに、通学路と登校班のことを教えてもらいました。
入学まであまり日数はありませんでしたが、私は何度か娘と学校までの通学路の確認をしました。

登校初日、娘が行方不明に

娘の学校では、1年生はしばらくの間、集団下校をすることになっていました。
登校班の班長さんに「帰りは○○交差点付近まで学校の先生が引率してきてくれるから、お母さんはそこで待っていれば良いと思う」と言われ、私は下校時間にそこで娘を待っていました。

1学年が6クラスあるマンモス校だったので、先生は子どもたちを複数のグループに分けて引率していました。

いくつかのグループが私の前を通り過ぎましたが、その中に娘はいませんでした。

予定の時間を20分以上過ぎても娘が来る気配はなく、私はもしかして気づかないうちに娘が通り過ぎてしまったのかもしれないと思い、一度帰宅しました。

でも家にも娘はおらず、私は学校に電話をしました。

電話を受けた先生は着任したばかりだったようで、担任の先生の名前を伝えてもすぐには分からないようでした。児童数が多いということは当然職員数も多く、電話口からは新年度開始直後で先生同士の連携がまだうまくいっていない様子が伝わってきました。
結局、担任の先生に聞いても引率した先生に話を聞いても、娘がどこでいなくなったのかは分かりませんでした。

引っ越してきたばかりで娘は通学路以外の道をほとんど知りません。
私は家の周囲を中心に探しましたが娘の行方は分からないままでした。
探し始めて1時間が過ぎたころ、学校の先生から「教員が手分けして探します。娘さんと入れ違いになるといけないので、お母さんは自宅にいてください」と連絡がきました。

自宅で連絡を待つ間、私は生きた心地がしませんでした。
次ページ「1時間半後」

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