ここ数日、大雪の話題が多く、「日本海側や東北地方の人は大変だなあ」と、雪かきのニュースを見る度に思っています。
時の流れは速いもので、能登半島の地震から1年、阪神大震災から30年と月日は容赦なく流れていきます。阪神淡路大震災の時は、岡山のクラブチームで指導していたため、結構揺れたのを今でも覚えています。朝7時に本格的に起きてニュースを見たときに、火災が起こってがれきだらけの神戸の街のニュースの画面をみて「え?」となって固まってしまいました。自然災害とはいえ、本当に悲惨な状況でした。(私の後輩の友人たちも、家族や友人を多くなくしていました)
能登半島の復興もあまり進んでいないようで、現地の方のご苦労は大変だと思います。1日でも早く元の生活に戻れたらいいなと心から思っています。
さて話は変わりますが、昨日、家の近所で子どもたち3~4人が遊んでいる様子をみました。時間は午後2時ぐらい。アパートの敷地内の非常に狭い場所(2m×5mぐらい)で、キャッチボールやサッカーをしているのをみて、「こんな狭いところでよく遊べるな」と感心してみていました。
一方、車道(普通の生活道路です)を挟んで反対側には広い校庭がある小学校があるのですが、そこでも子どもたち(小2,3年)が3~4人遊んでいました。広い校庭なのでスペースは余りまくっています。
さっきの狭いところで遊んでいる子どもたちも恐らく自分の通っている小学校なので、そこで遊べばおもいっきり安全に遊べるのにと思ったのですが、どうやらそうもいかないらしいのです。
今の時代、学童に通っている子どもしか学校は利用できないみたいです。同じ小学生で車道はさんで向かい側で、広くて安全な場所かたや狭くて少し危険な場所で遊んでいる子どもたちを対比して、「校庭もガラガラだし、安全に遊べるのになあ。同じ小学生なのになぜ?」と何か腑に落ちず、モヤモヤしてしまいました。
私の子どもの時は、小学校の校庭は夕方5時までは自由に使えましたし、近所には原っぱや公園、空き地が沢山あり鬼ごっこやかくれんぼ、缶蹴りや警泥(泥巡)、ドッジボールなどを多くの友だちとやっていたので、少し可哀想な気がしました。
安全性の問題や学校の職員の配置の問題もあるのは理解できるのですが、なにか「世知辛い世の中だな」と思ってしまいます。
少子化問題にどう対処していくのか?とニュースではよく報道されていますが、前にも書きましたが、子どもたち自身で食事代を支払う練習に挑戦している時(支払機の1台は空いていました)に、背後から自身の孫のような年代の子どもたちに「早くしろ!」と怒鳴りつける高齢の夫婦がいたり、近所の高齢の方が子どもの声がうるさいから公園を廃止しろとか、学校は特定の子どもしか使えないようにするとか、そういったことが、子どもたちの成長にとって本当に正しいことなのかを、もう少し大人たちが考えても良いのではないかと私は思っています。
私も高齢者ですが、私も含め昔は子どもだったのです。いろんな人に小さな迷惑をかけながら、楽しいこと、恐いこと、嬉しいことなどを、その時代の大人たちの我慢や協力によって学ばせて頂いてきたのです。
今後、世界中が、もっと他者に優しく寛容になっていくことで、もっともっと楽しい世の中になるのでは思わずにはおれません。
FORTUNAのブログなどを見て頂ければ、子どもたちがいつも笑顔で楽しく通ってきてくれている様子は伝わると思います。
私たちに出来ることと言えば、FORTUNAに来てくれている子どもたちに多くの経験を積んで貰い、寛容で優しい心、温かい心をもってもらうことしかできませんが、その活動だけでも頑張っていきたいと思っています。
放課後等デイサービスFORTUNA
職員Kの言いたい放題 「遊び場」
その他のイベント
25/01/12 17:08