昔々、児童相談所に勤めていたときに、「児相日記」という名前で、エッセー的なことを書いて、仲間に送信していました。
その (22) に嘘について書いています。
僕が子どもに関わる仕事をするようになり、そして、ずっと続けていることの原点の一つかもしれません。
かなり長い文章なので、何回かに分けて載せようと思います。
ちょっと重い話かもしれませんが、読んでいただけると幸いです。
「嘘をつくということ」
~なぜ、嘘をつくのだろう?
~今でも覚えている、5歳の時に僕がついた嘘
~ 「虚言癖」って、本当にあるの?
平成19年10月
「児相日記(21)」で、重松清の「青い鳥」の感想を書いた。
吃音の教師の村内先生が、子どもたちに教えようとした「たいせつなこと」は、「そばにいること」、そして、「ひとりぼっちじゃない」と伝えることだった。
彼は、生徒に「嘘」について、こんなふうに話している。
○「嘘をつくのは、その子がひとりぼっちになりたくないからです。嘘をつかないとひとりぼっちになっちゃう子が、嘘をつくんです」
○「嘘は、悪いことじゃなくて、寂しいことなんです」 「青い鳥」(重松清)
僕は、今でも、5歳の時についた嘘を覚えている。母にきつく叱られたことといっしょに……。
保育園の年中組のときだった。
その日は、みんながパンを買って食べる日だったのか、それとも母が弁当を作れないから、パンを買うように言われたのか、記憶は定かではないが、僕は母に持たされたお金(パン代)を持って保育園に行った。
保育園は、お寺の境内にあった、母は確か、隣町の役場に勤めていたと思う。
自由時間では、広いお堂で、よく紙飛行機とばしをしていた。
お昼になった。お金を持って行ってパンを買うのははじめてだったかもしれない。何かドキドキしていた記憶がある。
何故、お金を持っていたのに、お金を持ってこなかったと先生に言ってしまったのか、よく思い出せない。
「どうしたの?」「お金を持ってくるの忘れたの?」と担任の先生に優しく聞かれて、「うん」と頷いてしまった。
嘘をついてしまったことで、僕はオロオロしていた。「どうしようか、どうしようか」と気が気でなかった。でも、今さら、「実は持ってきていた」とは言えなかった。
僕は、お金の重みをポケットに感じながら、ドキドキしながらパンを食べていた。
そして、「このお金をどうしよう?」と思った。お金を持って帰ったら、母に怒られると思った。何よりも、嘘をついてパンをもらって食べたことを怒られると思った。
母からは、「嘘は絶対についてはいけない」と言われていた。
「嘘は悪いこと。人に迷惑をかけること。だから、絶対にいけない」といつも言われていたように思う。
どうしようかと思った。お金を持って帰ったら、「どうしたの?」と聞かれる。そしたら、嘘をついたことが母にバレてしまう。
僕は、保育園からの帰りにお菓子屋さんに寄って、母からもらったお金でお菓子を買った。お金を持っているとまずいと思った。そして、家でこっそり食べた。母が帰って来る前に……。
でも、全然おいしくなかった。
母が帰って来た。しかし、バレていた。こっぴどく叱られた。
しかし、何を言われたのかよく覚えていない。
きっと、母に「私はこんな嘘をつく子に育てた覚えはない」「どうして嘘までついて、お菓子を買って食べたの」「どうして、いつもお母さんを困らせるの」「情けない……」「あなたはお母さんを裏切ってばかりいる」「こんなことでは、あなたは大人になってろくな人間にならない、泥棒になる」などと、泣いて訴えられたのだと思う。
前にも書いたと思うが、僕は笑顔を母に向けられた記憶がない。泣き顔と、怒った顔と、いつもピリピリした表情と……。
…… 次回に続く ……
◆但田たかゆき
【嘘をつくということ~5歳の時に僕がついた嘘】
教室の毎日
23/02/18 22:21