リフライズ代表の山口です。
今日、広島に原爆が投下されてから81年を迎えました。私にとって今年は、これまでとは違う、特別な思いで8月6日を迎えました。
私の祖母は被爆者でした。その祖母が今年の春、96歳で亡くなりました。1945年8月6日、祖母は難を逃れましたが、同級生や友人たちを原爆で亡くしたそうです。
私がまだ小学生だった頃、祖母があの日のことを話してくれたことがあります。自分だけ無事でよかったんだろうかと、祖母は悲しそうに話していました。その表情を、今でも覚えています。
戦争が終わり、長い年月が流れても、祖母の心の中には、あの日亡くなった同級生や友人たちへの思いがずっと残っていたのだと思います。祖母があの日を生き延びてくれたから、その後に家族が生まれ、私も今ここにいます。
そう考えると、原爆は教科書の中にある遠い昔の出来事ではありません。私自身の命にもつながっている出来事なのだと、あらためて感じます。
祖母は長い人生を生き、今年の春、天国へ旅立ちました。そして今年、祖母の名も原爆死没者名簿に記され、その名簿は今朝、慰霊碑に納められました。
あの日を生き延び、亡くなった同級生や友人たちを思いながら生きてきた祖母の名が、今は慰霊碑に納められた名簿の中にあります。そのことを思うと、言葉では言い表せない気持ちになります。
今ごろ、あの日に亡くした同級生や友人たち、そして先立った祖父に会えているのでしょうか。そんなことを考えています。
祖母から、あの日の話を聞くことはもうできません。それでも、祖母から聞いた言葉や、そのときの悲しそうな表情を忘れることはありません。
私一人にできることは、わずかです。それでも、祖母から直接話を聞いた一人として、子どもたちに聞かれたときには自分の言葉で話せるように。そして、祖母の記憶を少しでも次の世代へ伝えていきたいと思います。
世界では今も戦争や紛争が続き、多くの命が失われています。二度と同じことを繰り返さないために。
今朝8時15分、祖母と、原爆で亡くなられたすべての方々に思いを寄せ、黙祷を捧げました。
kids space リフライズ
代表 山口
今日、広島に原爆が投下されてから81年を迎えました。私にとって今年は、これまでとは違う、特別な思いで8月6日を迎えました。
私の祖母は被爆者でした。その祖母が今年の春、96歳で亡くなりました。1945年8月6日、祖母は難を逃れましたが、同級生や友人たちを原爆で亡くしたそうです。
私がまだ小学生だった頃、祖母があの日のことを話してくれたことがあります。自分だけ無事でよかったんだろうかと、祖母は悲しそうに話していました。その表情を、今でも覚えています。
戦争が終わり、長い年月が流れても、祖母の心の中には、あの日亡くなった同級生や友人たちへの思いがずっと残っていたのだと思います。祖母があの日を生き延びてくれたから、その後に家族が生まれ、私も今ここにいます。
そう考えると、原爆は教科書の中にある遠い昔の出来事ではありません。私自身の命にもつながっている出来事なのだと、あらためて感じます。
祖母は長い人生を生き、今年の春、天国へ旅立ちました。そして今年、祖母の名も原爆死没者名簿に記され、その名簿は今朝、慰霊碑に納められました。
あの日を生き延び、亡くなった同級生や友人たちを思いながら生きてきた祖母の名が、今は慰霊碑に納められた名簿の中にあります。そのことを思うと、言葉では言い表せない気持ちになります。
今ごろ、あの日に亡くした同級生や友人たち、そして先立った祖父に会えているのでしょうか。そんなことを考えています。
祖母から、あの日の話を聞くことはもうできません。それでも、祖母から聞いた言葉や、そのときの悲しそうな表情を忘れることはありません。
私一人にできることは、わずかです。それでも、祖母から直接話を聞いた一人として、子どもたちに聞かれたときには自分の言葉で話せるように。そして、祖母の記憶を少しでも次の世代へ伝えていきたいと思います。
世界では今も戦争や紛争が続き、多くの命が失われています。二度と同じことを繰り返さないために。
今朝8時15分、祖母と、原爆で亡くなられたすべての方々に思いを寄せ、黙祷を捧げました。
kids space リフライズ
代表 山口