違う目的に対して、同じ方法で解決。
この方法、私にとっての目的は『娘に対して声かけせずにすむこと』ではなく、『娘が同じことを声かけされても、嫌と感じないようにすること』でした。
そして、娘にとっての目的は『自分が言われたことを忘れないようにすること』でした。
そして、娘にとっての目的は『自分が言われたことを忘れないようにすること』でした。
目的は違いましたが、娘が落ち着くことで、どちらもスムーズになりました。
私にとって『忘れないこと』は、そこまで重要ではありませんでしたが、娘にとっては、書くことで安心につながり、また貼った紙を見ることで、『忘れないように』と意識できるようになりました。
実際、私が娘に声をかける回数は減り、貼られた紙の中でできるようになったものは、娘が「これはもうできてるもんね」と言って、はずしていくようになりました。
結局娘はこの方法を数週間はきっちり続けていましたが、だんだんと泣く回数が減っていき、それに伴ってホワイトボードに紙を貼ることもなくなっていきました。
今回の『忘れやすいことを書いて貼る』という方法は継続してやるものではなく、どちらかというと一時的でしたが、療育というのはそういうことの繰り返し。
娘の特性上、一つのことでもずっとできないわけじゃないけど、一度できたらずっとできるというわけでもありません。成長によって、そのときの気持ちによって、できたりできなかったりします。
今回はこれで落ち着いていますが、また数か月後には同じことで泣いているかもしれません。
しかし、わが子が苦しいときに、その気持ちを探り、合った方法を探すことが大切になってきます。
今回のように、私が「ちょっときついかな」と思っても、娘には意外と合っている…ということもあります。
考えて、提案して、一緒に向き合っていくことが大切なのだと改めて学びました。
私にとって『忘れないこと』は、そこまで重要ではありませんでしたが、娘にとっては、書くことで安心につながり、また貼った紙を見ることで、『忘れないように』と意識できるようになりました。
実際、私が娘に声をかける回数は減り、貼られた紙の中でできるようになったものは、娘が「これはもうできてるもんね」と言って、はずしていくようになりました。
結局娘はこの方法を数週間はきっちり続けていましたが、だんだんと泣く回数が減っていき、それに伴ってホワイトボードに紙を貼ることもなくなっていきました。
今回の『忘れやすいことを書いて貼る』という方法は継続してやるものではなく、どちらかというと一時的でしたが、療育というのはそういうことの繰り返し。
娘の特性上、一つのことでもずっとできないわけじゃないけど、一度できたらずっとできるというわけでもありません。成長によって、そのときの気持ちによって、できたりできなかったりします。
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