立ちあがる力のもとになったのは...

力になった支援者の存在
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学校に療育センターと直接やりとりをしてもらうように依頼
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療育センタースタッフの学校訪問が実現したのは、主治医のオーダーから3ヶ月後のことでした。

くじけそうになったとき、寄り添い支えてくれた支援者の存在があったからこそ私は再び立ち上がることができたのだと思います。
イジメっ子との再会。そのとき娘は自分自身の変化を振り返り…のタイトル画像

イジメっ子との再会。そのとき娘は自分自身の変化を振り返り…

療育センタースタッフの学校訪問後、変わったこと

療育センターの担当者は授業の様子などを見学し、娘に限らず発達障害のある生徒に有効な環境設定や対応方法を学校にアドバイスしてくださったそうです。
その後、私が学校を訪れたときには、教室前面の余分な掲示物は外されていました。
教室後方にはカレンダー仕様の『一ヶ月の行事予定表』が新たに貼られていて“その日の持ち物や提出物”などが記入されていました。
黒板の端には「掃除の手順」が書かれた小さなホワイトボードが置かれていました。
それらは自宅で使用しているスケジュールボードと同様、視覚優位の娘にはとても有効なものでした。
コノビ―(conobi)記事 スケジュールボードを作ろう!
https://conobie.jp/article/3290
カレンダーや手順表などで可視化すると見通しが立ちやすくなり、娘はスムーズに行動ができるのです。

私は早速さまざまな対応をしてくれた担任の先生に感謝の気持ちを伝えました。
どんなに練習しても書けない漢字がある娘、先生からは「もっと家庭学習を」と言われ...追い詰められた母娘の転機となったのはのタイトル画像

どんなに練習しても書けない漢字がある娘、先生からは「もっと家庭学習を」と言われ...追い詰められた母娘の転機となったのは

周りの友達の変化と協力も後押しになって

環境整備したからといって、すべてがあっという間に解決するわけではありません。
娘は家では相変わらず母の何気ない言葉にキレたり、弟の生意気な態度に激高したりしていました。学校で腹痛を起こし保健室で大半を過ごす日もありました。

でも徐々に娘に声を掛け、助けてくれる友達や「実は自分も同じようにいじめられていた」と娘に告げる友達も出てきました。
コミュニケーションは苦手だけれど“人”が大好きな娘にとって、このような友達の存在はとても大きなものでした。
少しずつ少しずつ娘は落ち着きはじめ、薬の服用は10ヶ月で終了しました。
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発達障害児への「投薬」どう決断する?イライラに苦しむ娘をみて考えたこと

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