いじめは発達障害のせいだけじゃない?小学校時代に感じた家族への違和感。うちって、もしかして「変な家」?

ライター:宇樹義子
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発達障害のある私は周囲から浮きがちで、小学校のころはいじめられっ子でした。

振り返ってみると、わが家がご近所との交流がほとんどなく、遠巻きに見られているような家庭だったことを思い出します。私が受けたいじめの原因は私の発達障害だけではないのではないか? そういったことを当時を思い起こしながらお伝えします。

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監修: 井上雅彦
鳥取大学 大学院 医学系研究科 臨床心理学講座 教授
LITALICO研究所 スペシャルアドバイザー
ABA(応用行動分析学)をベースにエビデンスに基づく臨床心理学を目指し活動。対象は主に自閉スペクトラム症や発達障害のある人たちとその家族で、支援のためのさまざまなプログラムを開発している。

小学校時代のいじめのときに感じた違和感

私はいじめられっ子で、小学校のときは卒業までずっといじめられていました。

授業や集団下校などで作る班に入れてもらえずたらい回しにされる、運動が苦手で「クラスの足を引っ張る」ことを責められ罵倒され、ときには暴力を振るわれる。目の前でヒソヒソと噂話をしながら嘲笑される。バイキン扱いされ、私の触ったものに対していちいちエンガチョが始まる。給食を配ってもらえない、教室に入っただけで「きもい、臭い、空気が腐る」などと騒ぎ立てられる…。

思い返すに、そんななか母は私にとって「精神的な意味で保護者として機能してくれない」人だったように思います。

たとえば、私は小学校に上がる前、セロハンテープのことをセロタンテープと言い間違えていました。小さな子どもがよくするような可愛い言い間違いですが、母は私のその言い間違いに気づいていながら指摘してくれませんでした。このため私は小学校に上がってから「小学生にもなって赤ちゃんみたい」と笑われ、いじめられることに。なぜ指摘してくれなかったのだと問うと、母はテヘッと笑いながら「だって可愛かったからそのままにしておきたかったんだもの♪」と言いました。

当時はモヤッとしただけでしたが、今となっては「母は保護者として子どものためを思うことよりも自分の欲求を優先していたし、そうすることに疑問も感じなかったのではないか」と思います。

また、小学校5年のある日、私は耐えかねて両親に「いじめられるから学校に行きたくない」と打ち明けました。

母はみるみるうちに目に涙をため、泣き出してしまいました。「悔しい! 自慢の娘なのに!」と叫びます。彼女は私を慰めるとかいった行動に出ることもなく、そのまま泣きながら寝室に駆け込んで、数日寝込んでしまいました。

父は父で、私の両肩を掴んで「いいか、よく聞け。1日休んだら二度と行けなくなる。小学校を卒業できなくなる。そうしたらお前は将来路頭に迷うぞ。だから学校には行きなさい」と言います。

その当時は自分が感じた絶望の詳細を言語化はできませんでしたが、「お父さんには怖いことを言われる、お母さんのことは泣かせてしまう、だからもう彼らには悩みを打ち明けられない。私はたったひとりで生きていかなきゃならないんだ」と思ったのを覚えています。

ASD特性もあいまって、父の「1日でも休む→ 将来路頭に迷う」の言葉を鵜呑みにした私は、それこそ命がけで登校しつづけ、皆勤賞で小学校を卒業しました。

クラスメートが遊びに来ないわが家

よく思い出してみると、私にはクラスメートがわいわいと家に遊びに来た記憶がありません。

クラスメートが私の家を訪れなかったのは、私がスクールカースト最底辺のいじめられっ子だったという理由だけではないかもしれません。大人になってからだんだんに知ったところによると、私の家はいわゆる「近所で有名な、ちょっと変な家」だったのです。

まだ周囲のほとんどの母親世代が専業主婦かパートタイマーだった1980年代後半に、母は都内の職場で正職員として働いていて、いつも華やかに化粧して通勤していました。家は父の収入だけでも十分に食っていけるほど裕福で、私が小学校に入るころには、周囲から見上げるような大きな輸入住宅が建ちました。

こうしたことだけでも周囲から浮いていたと思うのですが、わが家には父方の祖母という困り者がいました。

祖母は退屈すると周囲に加害して楽しむ悪い癖がありました。訴え出られれば刑事事件になりかねないこともやっていたようですし、加害の対象は私たち孫にも及んだのです。

たとえば、ご近所さんが大切に育てている菊の花を見ごろになると大量に刈って盗んでくる。毎年です。

この事実は、祖母が老人保健施設に入所したあと、被害者の方が震えながら話してくれたことで何十年越しに発覚しました。確かに幼い頃からの記憶をたどれば、祖母は秋になるとどこかから大量に菊の花を抱えて帰ってきていました、楽しそうな顔をして… 被害者の方が耐え忍んできた怒り苦しみや、それは立派な器物損壊や窃盗ではないかということを思うに、こちらも震えました。

たとえば、悪くなった食べ物や害になるものをわざと家族に食べさせ、食べた家族が苦しむ顛末を見届けて楽しむ。母は梅酒を梅ジュースと偽って飲まされ、急性アルコール中毒。兄は悪くなったハムを食べさせられて下痢、私はわざと不潔に管理した牡蠣を食べさせられて嘔吐下痢。父だけは何度やられても丈夫さで跳ね返していますが…。

伯父に来た見合い話がせっかくまとまりそうになったのを、「こんなドン百姓に息子をやれるか、オラは家族だ!」と叫んで破談にする。近所のスーパーの店員に難癖をつけて騒ぐ。

古いほうの家をきちんと管理せず、草はぼうぼう、壁や屋根は剥げ放題、庭にはいろいろなガラクタが散乱しているので、同じ敷地内にゴミ屋敷と立派なお屋敷が混在したようになり、ちょっと異様な雰囲気を醸し出していました。

私がいじめを受けたことは周囲から浮きがちな自分自身の言動にも原因があると思います。でも、家族の言動が「あの家は変な家」「あの子と仲良くすると危ない」と周りの保護者に思わせ、それがその子どもたちに伝わっていじめ的な空気の醸成にもつながったのではないかと今は思います。

悪いことに、私の家族の誰一人として、私の受けるいじめを悪化させる方向には作用しても、軽減させる方向には動くことがなかった。それが、私がいじめに苦しみ続けた理由の大きな一つなのではと思います。

今、夫と「機能不全ではない家庭」を築いて

孤独な中でいじめに耐え続けた私がギリギリ壊れないでいられたのは、祖父の存在があったからです。

祖父は、家族の中で唯一、私を無条件に愛してくれる存在でした。おとなしい人で、彼がいじめ自体をどうこうすることはできませんでしたが、私が泣いていればよしよしと抱きしめてくれ、いつまでも遊びにつきあってくれ、好きなお菓子をいくらでも与えてくれ、私を膝に乗せて一緒にテレビの時代劇を見てくれた彼は、私のかけがえのない安全基地だったのです。

ただ、その祖父も私が小6のときに亡くなってしまいます。家族内に頼れる存在がなくなってしまった私は、次第にはっきりした二次障害に苦しむようになっていきました。

ティーンから20代を重い心身症状に苦しんだ挙句、母との生活に限界を感じて31歳でいまの夫のところに身を寄せた私は、いま初めて「安心できる家庭」を味わいながら暮らしています。

夫はつらいときもそうでないときも、どんなときも笑顔で抱きしめてくれます。私が参っているときは、彼は照れながらも、私が大切な存在であり、信頼し合える家族であること、生涯一緒に暮らしていこうねということを伝えてくれます。私の好きなお菓子を買ってきてくれたり、優しい味の汁物を作ってくれたりもして、私はそれで心から安堵するのです。

夫は私にとって、祖父がくれたような無条件で精一杯の愛をくれる人。その愛に支えられて、私は今日も生きていこうと思えるのです。

執筆/宇樹義子
(監修:井上先生より)
子どもの成長や適応にとって家族の果たす役割は大きいものです。しかし子どもにとってよりどころとなる親や家族もさまざまな困難を抱えておられる場合があります。宇樹さんの回想のように、子どもは抗おうにも困難な場合があります。親以外の方にもヘルプを出せる環境をぜひ作ってあげてほしいと思います。また、大人の方で親と心理的・物理的にどのような距離感で接していけばよいのか、トラウマが生じている場合の対応などについては専門機関での相談を受けられることをお勧めします。
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