加害意識のない加害の危険性
振り返るに、私は子ども時代は両親からの悪意のない加害や、少しポイントのズレた接し方の影響を受けていたように思います。
父は父で良かれと思って私に入れ知恵をしたのだろうし、母は自分が娘に加害をしていることも、自分が娘に対して感じていたであろう葛藤のことも自覚できていませんでした。むしろ、母は自分のほうが被害者だと感じていたきらいがあります。
特に子どもへの加害の場合、加害意識のない加害やマルトリートメント、また一見して加害に見えない加害のほうが悪影響が大きいように思います。また、DVの場合、加害者のほうが被害者意識でいっぱいであるケースが多いことはよく言われます。
両親の側に加害の意識がない加害的行為については私自身、モヤモヤとしながらも「良かれと思ってやってくれているのだから」「これも愛情なんだろう」と必死に思い込んで過ごしていました。けれど、そのときについた傷は、上に書いたように今もしくしくと痛むのです。
母がもし、私を殴りながら「お前のせいで自慢できなかったじゃないか!」などと金切り声で叫んだりしていたなら、私も早くからそれが加害だと気づくこともできたでしょう。もちろん明確な身体的虐待のほうがいいなんて言うつもりは毛頭ありませんが、分かりにくい精神的虐待には特有の跳ね返しづらさがあると感じています。
逆にいえば、ついカッとなって手をあげてしまったけれどすぐに深く反省して子どもに謝り、殴ったのを子どものせいにせずに自らの責任として負う人や、「自分は子どもに加害してしまうかもしれない」と不安に思い、自分の行為や態度を常に反省するようなタイプの人は、どちらかというと子どもにとって安全な親でいられるのではないかと思います。
自分が加害するかもしれないという自覚や意識があれば、何か起きてもすぐに行動や態度を変え、原因が自分の中にあると気づけばその対処へと向かうことができるでしょう。
親と子どもは、親と子どもであるというだけで力の差があり、そこには常に加害や虐待のリスクがあります。それは特に個々の人が悪いとかいったことではなく、構造の問題です。かつて子どもだった者として、小さな子どものいる人には、常にそうした構造の問題について気づきを持っていてほしいなと思います。
文/宇樹義子
父は父で良かれと思って私に入れ知恵をしたのだろうし、母は自分が娘に加害をしていることも、自分が娘に対して感じていたであろう葛藤のことも自覚できていませんでした。むしろ、母は自分のほうが被害者だと感じていたきらいがあります。
特に子どもへの加害の場合、加害意識のない加害やマルトリートメント、また一見して加害に見えない加害のほうが悪影響が大きいように思います。また、DVの場合、加害者のほうが被害者意識でいっぱいであるケースが多いことはよく言われます。
両親の側に加害の意識がない加害的行為については私自身、モヤモヤとしながらも「良かれと思ってやってくれているのだから」「これも愛情なんだろう」と必死に思い込んで過ごしていました。けれど、そのときについた傷は、上に書いたように今もしくしくと痛むのです。
母がもし、私を殴りながら「お前のせいで自慢できなかったじゃないか!」などと金切り声で叫んだりしていたなら、私も早くからそれが加害だと気づくこともできたでしょう。もちろん明確な身体的虐待のほうがいいなんて言うつもりは毛頭ありませんが、分かりにくい精神的虐待には特有の跳ね返しづらさがあると感じています。
逆にいえば、ついカッとなって手をあげてしまったけれどすぐに深く反省して子どもに謝り、殴ったのを子どものせいにせずに自らの責任として負う人や、「自分は子どもに加害してしまうかもしれない」と不安に思い、自分の行為や態度を常に反省するようなタイプの人は、どちらかというと子どもにとって安全な親でいられるのではないかと思います。
自分が加害するかもしれないという自覚や意識があれば、何か起きてもすぐに行動や態度を変え、原因が自分の中にあると気づけばその対処へと向かうことができるでしょう。
親と子どもは、親と子どもであるというだけで力の差があり、そこには常に加害や虐待のリスクがあります。それは特に個々の人が悪いとかいったことではなく、構造の問題です。かつて子どもだった者として、小さな子どものいる人には、常にそうした構造の問題について気づきを持っていてほしいなと思います。
文/宇樹義子
(監修:三木先生より)
こうしてご自身で振り返りをされることも、癒しの一つになることがあります。ただ辛く振り返るだけではなく、「あのときこうして欲しかったんだよね」と考えることで、幼いころの自分が癒されるかもしれませんね。
ただ、自分一人でそれをやるのはつらいもの。必要であれば、遠慮せず専門家の力を借りても良いでしょう。
こうしてご自身で振り返りをされることも、癒しの一つになることがあります。ただ辛く振り返るだけではなく、「あのときこうして欲しかったんだよね」と考えることで、幼いころの自分が癒されるかもしれませんね。
ただ、自分一人でそれをやるのはつらいもの。必要であれば、遠慮せず専門家の力を借りても良いでしょう。
このコラムを書いた人の著書
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