言葉の発達が進み、だんだんと育児の楽しさを感じられるように。でも、同年代の子どもとの発達の違いには気づかず……
周囲からは遅れながらも、2語文以上おしゃべりができるようになってからは、以前よりもずっとハルが何を考えて行動してるのか分かるようになりました。
「◯◯、行ってみたい」「□□、好き」と言われれば好みもすぐ分かるし、「△はイヤよ! 怖いからぁ」と言われれば、次からは避けることもできる。そうはいっても、じっと黙って意味不明なときも多かったですが……そんなときは「ハルは何を考えているのだろう?」と一緒に考えました。
うれしそうなハルを見て「よかったねぇ」と言えば、「ママ、ありやとう(ありがとう)!」と満面の笑みを返してくれる。そんなやり取りだけで心がとても温かくなり、初めての育児に対して抱いていた孤独感は、少しずつ薄れていきました。
ですが、ママ友など周囲とのお付き合いを自ら遠ざけていたため、ほかのお子さんと比較して苦しむことも少なく、ハルの成長を喜ぶことができていた反面、『微妙な』会話のキャッチボールのしづらさや、こだわりの多さなど……ハルと同年代の子どもたちとの違いに、私はなかなか気づいてやれませんでした。
「◯◯、行ってみたい」「□□、好き」と言われれば好みもすぐ分かるし、「△はイヤよ! 怖いからぁ」と言われれば、次からは避けることもできる。そうはいっても、じっと黙って意味不明なときも多かったですが……そんなときは「ハルは何を考えているのだろう?」と一緒に考えました。
うれしそうなハルを見て「よかったねぇ」と言えば、「ママ、ありやとう(ありがとう)!」と満面の笑みを返してくれる。そんなやり取りだけで心がとても温かくなり、初めての育児に対して抱いていた孤独感は、少しずつ薄れていきました。
ですが、ママ友など周囲とのお付き合いを自ら遠ざけていたため、ほかのお子さんと比較して苦しむことも少なく、ハルの成長を喜ぶことができていた反面、『微妙な』会話のキャッチボールのしづらさや、こだわりの多さなど……ハルと同年代の子どもたちとの違いに、私はなかなか気づいてやれませんでした。
幼稚園に入園。周囲との違和感を感じたけれど、「よくある個人差」と言われ……
幼稚園は、「とにかく外遊びが好きなハルには、園庭が管理されてて広い所がいい。ほとんど私としか過ごしてなかったから、たくさんの先生や友達と出会えると良いだろうな!」そう考えて、先生も生徒も人数が多く、園庭が広くてステキな園を選びました。入園前の三者面談ではハルの発達について特に指摘はありませんでしたし、入園してからも先生側からは何も問題視されていませんでした。
ところが、ハルが幼稚園に入園してしばらくすると、私は周囲との違和感を感じるようになりました。他害や暴れるなどの内容は一切なかったのですが、噛み合わない一方的な会話をしたり、みんなで自由遊びをする時間になると1人でウロウロしていたり、スキー教室での靴の履き方など(つまりいつもと違うことがあると)、なかなか覚えられなかったり……。
夫や実母に相談しても、やはり「子どもなんて皆そんなもんでしょ。コミュニケーションはうまく取れなくて当たり前。障害だなんて……考え過ぎだよ!」とその時も言われました。園の先生や保健師さんに相談しても「そうですか? うーん、発達に遅れなど特にないと思いますけど。子どもには、みな個人差がありますし!」としか返されませんでした。
この当時は私自身も、周囲からそう言われれば「また……私の考え過ぎだ」と思ってしまったのです。
ところが、ハルが幼稚園に入園してしばらくすると、私は周囲との違和感を感じるようになりました。他害や暴れるなどの内容は一切なかったのですが、噛み合わない一方的な会話をしたり、みんなで自由遊びをする時間になると1人でウロウロしていたり、スキー教室での靴の履き方など(つまりいつもと違うことがあると)、なかなか覚えられなかったり……。
夫や実母に相談しても、やはり「子どもなんて皆そんなもんでしょ。コミュニケーションはうまく取れなくて当たり前。障害だなんて……考え過ぎだよ!」とその時も言われました。園の先生や保健師さんに相談しても「そうですか? うーん、発達に遅れなど特にないと思いますけど。子どもには、みな個人差がありますし!」としか返されませんでした。
この当時は私自身も、周囲からそう言われれば「また……私の考え過ぎだ」と思ってしまったのです。
発達に関して、どこまでが『個人差』で、どこからが『障害』なのか。それはハルが大きくなった今でも、自問することが多いです。
幼稚園では目立った困りごともなく、集団行動もできていたハルは、幼稚園を卒園して地元の公立小学校の通常学級に入学しました。私は違和感を感じながらも「小学校もきっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせていました。しかし……恐れていた通り、小学校に入学したハルには、大きな試練が待っていたのです。
ハルの小学校生活については、また別の機会に書かせていただきます。
執筆/安田ふくこ
幼稚園では目立った困りごともなく、集団行動もできていたハルは、幼稚園を卒園して地元の公立小学校の通常学級に入学しました。私は違和感を感じながらも「小学校もきっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせていました。しかし……恐れていた通り、小学校に入学したハルには、大きな試練が待っていたのです。
ハルの小学校生活については、また別の機会に書かせていただきます。
執筆/安田ふくこ
(監修:初川先生より)
ハルくんの幼児期の様子、そしてハルくんの子育てに奮闘されるエピソードをありがとうございます。ふくこさんも書かれている通り、母親は妊娠中から分からないことが多々立ち現れ、そのたびに不安になったり、どうにか対処してやり抜いたり。母としてわが子にどうしたらよいのかを(これも個人差はあるとはいえ)ずっと考えながら生活していますね。お子さんと過ごす時間が長く、お子さんの成長を小さな目盛りで見つけられる良さがある反面、それは、周囲の同年代のお子さんたちとの差にも気づくほどの観察眼を持つということでもあり、特に、教科書通りの発達・発育とは違う経過をたどるお子さんを育てている場合はそのあたりがつらく感じてしまうことがありますね。
そういうとき、もっとも身近なパートナーたる夫という存在には、その不安などを一緒に抱えてもらえるだけで、気になること自体はすぐに消えずとも、また頑張ろうと思えることもありますが、しかし、ふくこさんの場合には、ハルくん幼少期はそのあたりが共有できなかったのですね。私は読んでいて夫さんに軽くイライラしたり、横からツッコミを入れたくなる気持ちになったりしましたが、ただ、同じような境遇で孤軍奮闘しながら頑張っている読者の方々もいらっしゃるのではと思いました。
今まさに幼児期のお子さんを育てている読者の方にお伝えしたいところで言うと、さまざまな不安や懸念に対して、ご家族や園の先生などと相談などされる際に、特にご家族に対してなどは「障害」という言葉を出さずにその不安や懸念、また「ほかのお子さんとの違和感」を語られたほうが、もしかしたらうまく伝わりやすい面もあるかもしれません。それほど未だに「障害」という言葉の持つ威力やそれぞれの理解、イメージには差があり、その言葉自体が相談によって安心する繋がりを得ることの障壁になる面もあるかもしれないと感じます。
また、園の先生や支援職の人の「大丈夫」「気にするほどではない」といった言葉が安心につながることもありますが、大丈夫だと思えないから相談しているのにという前提を振り返ると、意外と安心につながらなかったりしますよね。子育てこれで大丈夫、この子の育ちこれで大丈夫と思えないからご意見をうかがっているわけで……。
大丈夫と思えない母の気持ちに寄り添いながら、一緒に子育てを見守ってくれる(大丈夫という言葉で終わらずにその後も不安になったら、違和感を感じたら都度話せる)関係の人が見つかるといいなと思いました(これは支援職である私自身への自戒の言葉でもあります)。お子さんの様子を細やかな目盛りで見てくださっている養育者の方の気づきは、とても意味のある、そして大切な気づきだと思っています。
ハルくんの幼児期の様子、そしてハルくんの子育てに奮闘されるエピソードをありがとうございます。ふくこさんも書かれている通り、母親は妊娠中から分からないことが多々立ち現れ、そのたびに不安になったり、どうにか対処してやり抜いたり。母としてわが子にどうしたらよいのかを(これも個人差はあるとはいえ)ずっと考えながら生活していますね。お子さんと過ごす時間が長く、お子さんの成長を小さな目盛りで見つけられる良さがある反面、それは、周囲の同年代のお子さんたちとの差にも気づくほどの観察眼を持つということでもあり、特に、教科書通りの発達・発育とは違う経過をたどるお子さんを育てている場合はそのあたりがつらく感じてしまうことがありますね。
そういうとき、もっとも身近なパートナーたる夫という存在には、その不安などを一緒に抱えてもらえるだけで、気になること自体はすぐに消えずとも、また頑張ろうと思えることもありますが、しかし、ふくこさんの場合には、ハルくん幼少期はそのあたりが共有できなかったのですね。私は読んでいて夫さんに軽くイライラしたり、横からツッコミを入れたくなる気持ちになったりしましたが、ただ、同じような境遇で孤軍奮闘しながら頑張っている読者の方々もいらっしゃるのではと思いました。
今まさに幼児期のお子さんを育てている読者の方にお伝えしたいところで言うと、さまざまな不安や懸念に対して、ご家族や園の先生などと相談などされる際に、特にご家族に対してなどは「障害」という言葉を出さずにその不安や懸念、また「ほかのお子さんとの違和感」を語られたほうが、もしかしたらうまく伝わりやすい面もあるかもしれません。それほど未だに「障害」という言葉の持つ威力やそれぞれの理解、イメージには差があり、その言葉自体が相談によって安心する繋がりを得ることの障壁になる面もあるかもしれないと感じます。
また、園の先生や支援職の人の「大丈夫」「気にするほどではない」といった言葉が安心につながることもありますが、大丈夫だと思えないから相談しているのにという前提を振り返ると、意外と安心につながらなかったりしますよね。子育てこれで大丈夫、この子の育ちこれで大丈夫と思えないからご意見をうかがっているわけで……。
大丈夫と思えない母の気持ちに寄り添いながら、一緒に子育てを見守ってくれる(大丈夫という言葉で終わらずにその後も不安になったら、違和感を感じたら都度話せる)関係の人が見つかるといいなと思いました(これは支援職である私自身への自戒の言葉でもあります)。お子さんの様子を細やかな目盛りで見てくださっている養育者の方の気づきは、とても意味のある、そして大切な気づきだと思っています。
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(コラム内の障害名表記について)
コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。
神経発達症
発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。
知的発達症(知的障害)、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、コミュニケーション症群、限局性学習症、チック症群、発達性協調運動症、常同運動症が含まれます。
※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
ASD(自閉スペクトラム症)
自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。
ADHD(注意欠如・多動症)
注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如・多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。
ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
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