「門出」
我が家の家訓のひとつに
一、背が大きい人が
小さい人の面倒をみる
があります
そして…いつのまにか
家族で私が一番
小さくなりました
こんな日が来るとは
子育て中のあの頃は
思いもしませんでした
私は想像力に欠けています
若さに任せて勢いで
子育てしていて
立ち止まる事も
ありませんでした
がっ
息子は小さい時から
ちょっと変わっていて
掴みどころがないような
気がしていました
私のこの性格なので
それもまた面白いなと
思いながら育てていました
大きくなるにつれ
「変わっている亅が
気がかりになり
苦手な事が増えて行きました
小学生になり先生に尋ねた所で
対話ができ
大人しい子どもだったので
いつも「大丈夫ですよ亅と
言われていました
私の考えすぎか?
育て方が間違えていたか?
といつも自問自答していました
発達について熱心に
勉強されていた
先生に出会い
検査を進められ
やっと教育センターへ
あの頃は今の様に
療育なんて言葉も
耳にしませんでしたし
放課後等デイサービス
なんて存在も
知りませんでした
結果は得意と苦手に
大きく差があり
いわゆる発達に凸凹が
あったのです
「あぁやっぱりか亅
とわかっていても
実際に診断を聞くと…
道端で「育て直したい」と
膝から崩れ落ちて
人目もはばからず泣きました
一人でどう育てたら…
心配で先が見えなくて
朝日を見ては手を合わせ
母の写真を見ては…
富士山を見ては…
何かをみるたびに
息子のことを祈る每日でした
息子はもう高学年だったので
悩んだ末に療育は受けず
個別の塾に行き
成績アップではなく
「できる亅という
自信を付けさせたいと
懇願して通わせてもらいました
塾としてはなんとも
やり甲斐のない
生徒だったかも知れませんが
力をお借りしました
「字が綺麗になりましたよね亅
と先生が一緒に
喜んでくださったのを
覚えています
「できないこと亅を
叱り続けた
それまでの自分を
責め戒め
自宅でトレーニングを
繰り返しました
怒っていない母と
遊びながらのトレーニングは
素直でした
褒められた時のあの
ドヤ顔は今も忘れられません
配布物は
ランドセルの底で折れ曲がり
連絡帳は
何を書いてきたかわからず
いつも近くのお友達の家に
助けを求めていました
のんきな母で
お恥ずかしい話ですが
中学の時には
配布物を出さないので
修学旅行費の
振り込み期限も知らず
期限当日に慌てて
銀行に駆け込んだ事
があります
高校はタブレット学習が
できたので
負担が少なく
成績が安定し
学習が楽しかったようです
資格もいくつか取得しました
本人の「自信亅が
取り戻せた気がしています
やりたい目標をみつけ
この春
高校を卒業します
ひいき目で見ていますが
休み時間には
友だちと遊べず
一人で鉄棒に
ぶらさがっていた子が
バイト先で老若男女問わず
関わりが持てるようになり
思っている事を言葉にできず
涙を流すばかりだった子が
家族の中で一番
親兄弟への気遣いができる
大人になりました
あの頃は
想像もできませんでした
人は発達に関わらずみんな
そこそこ苦手があって
そこそこ不便に暮らして
いると思うのです
でも大人はなかなか
変わることができませんが
子どもはぐんぐん
成長するのです
リスペクトしかありません
今も心配と悩みは
尽きないのですが
少しでも私の失敗談が
お役に立てればと
思う日々です
何度もお伝えしますが
どうか私の様に
今、目の前にいる
お子さんの姿だけを
見ないでくださいね
子どもは変わるのです
叱る必要はありませんし
親が教えていないことを
たくさん知っています
子育てで大切な事は
1から99まで親子関係を
良くする事だそうです
しつけや学習は
ずーっとその後だそうですよ
息切れしたらいつでも
ご連絡ください
お話しましょう♫
そして、この春
児童発達支援を卒業する
お友だち
出会いはまだ言葉も
ままならず…でしたね
抱っこできないくらい体も
大きくなりました
シェルフで本当に
よく頑張りました
子どもの問題行動は
親を困らせるために
しているのではないのです
いつだって困っているのは
子どもの方です
歩み寄れる大人が
歩み寄るのです
そして監督ではない
応援団でいられる距離を保ち
良い関係を築いてください
新しい門出を心から
お祝いいたします
そして笑顔の每日が
過ごせるように願っています
我が家の家訓のひとつに
一、背が大きい人が
小さい人の面倒をみる
があります
そして…いつのまにか
家族で私が一番
小さくなりました
こんな日が来るとは
子育て中のあの頃は
思いもしませんでした
私は想像力に欠けています
若さに任せて勢いで
子育てしていて
立ち止まる事も
ありませんでした
がっ
息子は小さい時から
ちょっと変わっていて
掴みどころがないような
気がしていました
私のこの性格なので
それもまた面白いなと
思いながら育てていました
大きくなるにつれ
「変わっている亅が
気がかりになり
苦手な事が増えて行きました
小学生になり先生に尋ねた所で
対話ができ
大人しい子どもだったので
いつも「大丈夫ですよ亅と
言われていました
私の考えすぎか?
育て方が間違えていたか?
といつも自問自答していました
発達について熱心に
勉強されていた
先生に出会い
検査を進められ
やっと教育センターへ
あの頃は今の様に
療育なんて言葉も
耳にしませんでしたし
放課後等デイサービス
なんて存在も
知りませんでした
結果は得意と苦手に
大きく差があり
いわゆる発達に凸凹が
あったのです
「あぁやっぱりか亅
とわかっていても
実際に診断を聞くと…
道端で「育て直したい」と
膝から崩れ落ちて
人目もはばからず泣きました
一人でどう育てたら…
心配で先が見えなくて
朝日を見ては手を合わせ
母の写真を見ては…
富士山を見ては…
何かをみるたびに
息子のことを祈る每日でした
息子はもう高学年だったので
悩んだ末に療育は受けず
個別の塾に行き
成績アップではなく
「できる亅という
自信を付けさせたいと
懇願して通わせてもらいました
塾としてはなんとも
やり甲斐のない
生徒だったかも知れませんが
力をお借りしました
「字が綺麗になりましたよね亅
と先生が一緒に
喜んでくださったのを
覚えています
「できないこと亅を
叱り続けた
それまでの自分を
責め戒め
自宅でトレーニングを
繰り返しました
怒っていない母と
遊びながらのトレーニングは
素直でした
褒められた時のあの
ドヤ顔は今も忘れられません
配布物は
ランドセルの底で折れ曲がり
連絡帳は
何を書いてきたかわからず
いつも近くのお友達の家に
助けを求めていました
のんきな母で
お恥ずかしい話ですが
中学の時には
配布物を出さないので
修学旅行費の
振り込み期限も知らず
期限当日に慌てて
銀行に駆け込んだ事
があります
高校はタブレット学習が
できたので
負担が少なく
成績が安定し
学習が楽しかったようです
資格もいくつか取得しました
本人の「自信亅が
取り戻せた気がしています
やりたい目標をみつけ
この春
高校を卒業します
ひいき目で見ていますが
休み時間には
友だちと遊べず
一人で鉄棒に
ぶらさがっていた子が
バイト先で老若男女問わず
関わりが持てるようになり
思っている事を言葉にできず
涙を流すばかりだった子が
家族の中で一番
親兄弟への気遣いができる
大人になりました
あの頃は
想像もできませんでした
人は発達に関わらずみんな
そこそこ苦手があって
そこそこ不便に暮らして
いると思うのです
でも大人はなかなか
変わることができませんが
子どもはぐんぐん
成長するのです
リスペクトしかありません
今も心配と悩みは
尽きないのですが
少しでも私の失敗談が
お役に立てればと
思う日々です
何度もお伝えしますが
どうか私の様に
今、目の前にいる
お子さんの姿だけを
見ないでくださいね
子どもは変わるのです
叱る必要はありませんし
親が教えていないことを
たくさん知っています
子育てで大切な事は
1から99まで親子関係を
良くする事だそうです
しつけや学習は
ずーっとその後だそうですよ
息切れしたらいつでも
ご連絡ください
お話しましょう♫
そして、この春
児童発達支援を卒業する
お友だち
出会いはまだ言葉も
ままならず…でしたね
抱っこできないくらい体も
大きくなりました
シェルフで本当に
よく頑張りました
子どもの問題行動は
親を困らせるために
しているのではないのです
いつだって困っているのは
子どもの方です
歩み寄れる大人が
歩み寄るのです
そして監督ではない
応援団でいられる距離を保ち
良い関係を築いてください
新しい門出を心から
お祝いいたします
そして笑顔の每日が
過ごせるように願っています