鈴木操さんという作家さんの作品です。
最近ギャラリーで見てきたのですが、
ボコボコとした爪のような物体につかまれている風船です。
この風船は実際の風船を使われており、展示中も風船が割れてしまったり、萎んでしまうので透明性が失われマットなゴム質の風船もそのまま展示されていました。
この爪みたいなオブジェクトには有機性というか、身体性を感じなくもありません。それは風船があるため、空間を掴んでいる認識が取れやすいからですね。
ふうせんはあまりにも窮屈そうにつかまれている(もしくは中から広がっている)のが見て取れるため余計に握り込んでいる動作が見られるんですね。
もし、この風船がなければこのオブジェクトはきっと見方がまったくことなるとおもいます。
そこにただかたどっているだけのように見えると思います。
中のものの動きが見える、実際にはそこに確かに存在している空間なはずなのに、視認できないとないものとされてしまう。
視認できると動きが見える。
考え方やアイディアなんかもまずは目で確認できる形にすること、手を動かすことがきっと大事なんだと思います。
考え方を尊重してあげる、否定しない教育みたいな言葉だけが一人歩きしていますが、
こういう理由だからする必要がない、したくない、みたいな”しない理由探し”が先行している考え方は肯定してあげなくてもいい気がします。尊重はしてあげてもいいですが、それは自分の提案力が誰にどれくらいの高度で通じるんだろうというパッチテストの一端を担う行為にしかすぎません。
人が本当に他人に賛同したり、共感したりするのは、やはり手を動かしたり、実際に目に見える形の”証明”された現物にのみ本当に惹かれていくことを教えてあげてもいいかもしれませんね。
言葉だけの小手先で、人の意思を刹那的に誘導することは、自分の本質の強さに直結はしないです。
空間と纏い
おもうこと
23/09/12 14:01