苦難も感動もない、平凡な「発達障害トーク」があっても、いいんじゃないかなって

ライター:鈴木希望
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親子揃って自閉症スペクトラム、おまけにシングルマザー。そりゃあ42年間生きてきて色々ありましたけれど、どうにも最近、「発達障害当事者枠」でくくられたり、そうやって自分語りすることに、飽きちゃって。困ることはあるけれど、特段悩んじゃいない、平々凡々、"フツーの"大人の発達障害の私が、わざわざ語れることって、なんだろう。

ぶっちゃけた話、トラウマ語りに飽きてしまった

高校中退して職を転々、パートナーからのDV被害でPTSD(心的外傷後ストレス障害)に摂食障害、郷里に帰ってシングルマザー、極め付けは、親子揃って発達障害、自閉症スペクトラム(ASD)の診断が下りましたとさ。

改めて書き出してみると笑えるぐらいの「マイノリティラベル」が私には付着している。

そりゃあ確かに、42年弱生きてきて、私なりにいろいろあったと思う。今だっていろいろあるし、これからもそれなりにあるのだろう。過去の散々なできごとについて、古い友人たちは嫌というほど私から聞かされている。自分が抱えてきた辛さをわかって欲しくて、仲良くなる人にはのべつ幕なしに話していた、振り返ってみると恥ずかしい時期もあった。

最近では、世間でもずいぶんと発達障害への認知や注目が高まってきたようだから、私も何かの拍子に「当事者枠」で質問されたりコメントを求められることもあるのだけれど、昔のように自分からトラウマ話をベラベラ喋ることはずいぶんと減った。

求められれば口にはするし、話の流れで断片が出ることはある。その程度。

だけどそれは、強い心で過去のトラウマを克服したのだとか、決してそんなに大それたことではない。

単純に、飽きてしまったのだ。
発達障害のトラウマ語りというやつに。

折り合いをつけて変化した、わたしの中の発達障害

30代の終わりに下った発達障害の診断がもたらしたのは、特性を特性とは知らずに悩み続けていた私にとって、比較的明るいものが多かった。
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当時の診断書。一般就労していたけれど…笑
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「普通」と呼ばれることが当たり前のようにできないのは、努力が足りないわけではない、ましてや性格が原因でもない。それが分かったことは、ひとつの"救い"だったと思う。

工夫をしたり自分なりの落としどころを見つけることで、特性要因の失敗を回避したり、あるいは欠点と思われていた特性を利点として活かすこともできる―そうした可能性が見えてきたからだ。

以来、私は遅まきながら発達障害について調べ始め、当事者の方やそのご家族とも交流する機会に恵まれた。この「発達ナビ」のコラムも、その延長線上にある。

そうした中から得られた情報を元に「これは特性なのか」「この場合はこういう対処をすればいいのね」と、自分の思考や言動のパターンと発達障害の特性を照らし合わせる行為は実に面白く、私にとって趣味のようになっていった。

もちろん困ったことが起こらないわけではないし、頭を抱える日もあった。今でもある。とはいえ、基本的には呑気な性分であるから、「なんとかなるし、なんとかするしかない」と、どうにかこうにか、時には周りの方々から大いに助けていただきながら、本日に至っている。

ここ数年の私は、そんな風にして「発達障害当事者としての自分」の存在を確認しながら過ごす時間が多かった。だけど最近は、「発達障害者としての自分」になんだか飽きてしまったように思う。

いや、実際のところ飽きたからといってやめられるものではないし、発達障害に関する情報について無関心になったわけではないので、「飽きた」というのは語弊があるだろうか。

前述のトラウマも同様、自分が内包するもののひとつとして折り合いを付けた、落としどころを見付けて納得した、という表現が近いかも知れない。「トラウマを持つ自分」あるいは「発達障害当事者としての自分」ではなく、「鈴木希望(トラウマ、発達障害"も"ある)」という意識に変わったと言うべきか。

自分の特性はこれから先もそうそう変わりはしないし、これまで意識的に続けてきた自己分析や対応ノウハウも自分の中にだいたい落とし込まれたから、自分をわざわざ「発達障害者」として定義しなくても、まぁまぁサバイブできてしまうようになったのだ。

「どうにかしてきた呑気な成人当事者」としての視点に需要はあるのか。

「どうにかしてきた呑気な成人当事者」としての視点に需要はあるのか
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この春から小学2年生になった息子は、私より早い段階で当事者である事実と特性に折り合いを付けていたようだ。

幼児期から発達障害があることを知らされてきた息子にしたら、「発達障害も最初から自分の一部」という感覚なのかもしれない。

無論、トラブルが皆無というわけではない。けれど、事が起き、抱えきれずにフリーズしてしまったり、涙目になったりすることがあっても、最後には彼も言う。

「なんとかなるし、なんとかするしかない」と。
幼児期から発達障害があることを知らされてきた息子にしたら、「発達障害も最初から自分の一部」という感覚なのかもしれない
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そんなわけで、私たち親子は、発達障害の特性で困ることが多少はあっても、深く悩み続けることはほとんどない。

日常生活を送る上では大いに結構なのだが、コラム執筆には困ってしまう。「発達ナビ」は「お子さんの発達が気になる保護者向けのポータルサイト」であるわけだし、ご覧になった方にお役立てていただける、もしくは楽しんでいただける文章を書かなければならない。困った。大いに困った。困って悩んで、何ヶ月も休んでしまった。

困って悩んでいる真っ最中の年末と年度末、「発達ナビ」の編集長の鈴木悠平さんとお目にかかる機会があった。サイトの1周年を迎えるに当たって、成人当事者の思いや、「困ることがあっても深く悩み続けることがほとんどない」という当事者の視点にも焦点を当てたいのだと編集長はおっしゃった。しかし、あまりにも呑気な私の観点に需要などあるのだろうか。

「今悩むことがないとはいえ、これまで、のんさん(私のあだ名)なりにサバイブしてきたわけですし、発達障害の子どもの問題と成人当事者の問題は地続きですし。どうにかしながら生きている人が、どう考えてどう暮らしているかについて、語る価値はあると思います」

なるほど。

確かに、私も息子と接しながらかつて自分が来た道を思うように、立場を逆に置き換えたら、私は発達障害児の将来サンプルのひとつでもあるわけだ。もちろん人それぞれなわけだから、私ではない人が私のようにしたからって、私のようになるわけではない。さっぱり参考にならない可能性もある。

ただ、私のような成人当事者が発言をすることで、「発達障害だからって将来苦しむとは限らないんだ」あるいは「こんなやつでもどうにかできるんなら、自分や我が子もどうにかできるのかも」と思われる方がいらしたら嬉しい。

そんなわけで今後は「なんとかなるし、なんとかするしかない」と言いながらどうにかしてきた呑気な成人当事者としての思いを中心に書いていこうと思っている次第。ときどきは息子のことも書くかも知れない。

私たち親子は、涙を誘うような苦労話も、障害を乗り越えた成功物語も、たぶん提供できない。

だけど、どうにか生きてきた"フツーの"発達障害トークってものも、あったっていいんじゃないかな。今はそう思う。
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