「かわいそうな人へ愛の手」を出す前に、できることがある気がしている障害者の私。

ライター:鈴木希望
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職場や学校、あるいはご自宅の近所に、障害のある方がやってきたら、あなたならどうしますか?そうした場面に置かれたときの、私なりの考えをお話しますね。

問答: 「目の見えない人が、向こうから歩いてきたら?」私「とりあえず挨拶じゃね?」

目の見えない人が、向こうから歩いてきたら
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数年前、とある講座で
「向こうから目の見えない人が、杖をつきながら歩いてきました。あなたならどうしますか?」
という質問をされた。

私は、
「そうですね、とりあえず挨拶をします」
と返したのだが、そこで列席者の中から笑いが起こったのだ。
 
 
「どうして?向こうから知らない人が来たからって、特に何もすることないじゃん。強いて何かするとしたら挨拶じゃない?」
―笑われる理由が、心底わからなかった。すると講師の方は続けた。

「同じ質問をとある学校の生徒さんたちにしたんです。優しい方が多くて、手を引いてあげるだとか、行き先まで案内するなどの意見が出ました」

ああ、そうか、それが模範回答だったのかと思いながら聞いていたら、

「でも、目が見えないというだけで、その人が困っているとは限らないんですよ。だけど目が見えないということで、“この人は困っているはず”と無意識にラベリングしてしまう人が多いんですね」

あ。

うっかりというべきか、「偏見のない人」のような回答を私はしてしまっていた。

もちろん私はまるっきり偏見がない聖人などではない。「他人の要求なんて、はっきり言ってもらえないとわからないよ、エスパーじゃないんだし」と、自分の察せなさを正当化しようとぼやいているような人間である、というだけなのだ。

「障害があるのに頑張っている」うーん、それ必ずしもイコールかなぁ?

「障害があるのに頑張っている」うーん、それ必ずしもイコールかなぁ?
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側頭葉てんかんと発達障害があるということを明らかにしているからか、「障害があるのに頑張ってるね」というようなお言葉をしばしばいただく。

その度に私は、

「うーんまぁ、自分なりに頑張ってはいるなぁとは思うんですが、障害があるのにとか、それは関係ないんじゃないかという気がします」

…と、言いたい気分になりつつも、相手との関係性を考慮して「あーはい、そうかもしれません」などと曖昧に返したり返さなかったりしている。

いやね、「障害があるのに頑張ってるって、まるで障害の自認がなかったころは頑張ってなかったみたいじゃない!」とか抗議したいわけじゃないんですよ。なんて、誰へともなく頭の中で弁明しながら。

障害ゆえに頑張らなければいけないこともあるにはある。だからって、「障害」と「頑張る」が必ずしも結び付くわけではないよね、ということを言いたいだけなのだ。

でもそれを直接言ったもんなら、優しいお人からはこんな答えが返ってくるのだ。
「障害があると、そうではない人にはわからない辛さがあるんでしょう?だからやっぱり頑張ってますよ!」

ああ、まぁね、そうね。
感覚過敏とかね、ほんと辛い。確かにこれは、ない人にはわからない辛さだろうな。

とはいえ、「だから頑張ってる」にはならないと思うのよ。

障害には、そうでない人にはわからない辛さがあるように、障害のある私には、そうでない人ゆえの辛さはわからない。それ以前に、障害がない人だって頑張っているだろう。そして、どっちがより頑張っているかなんて比べようがない。

「あなたはかわいそうで不幸な存在」と、他人が決められるものなのか。

「あなたはかわいそうで不幸な存在」と、他人が決められるものなのか。
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障害を表明、あるいは他者に認識できる状態になった途端、人はかわいそうで不幸な存在に見えてしまうということなのか。

見えてしまうのは百歩譲って仕方ないとしても、本当にかわいそうで不幸なのかどうかは、本人が決めることなのではないかと思ってしまう。

もちろん、「かわいそうで不幸な存在として見られていたい」と感じている人もいる可能性があるので、「障害者だってみんな幸せなんです!」と主張する気はさらさらない。そこは個人の問題だから。

前項で述べた、「発達障害」と「頑張る」が必ずしも結びつくわけではないという話同様に、「障害」と「不幸」あるいは「幸せ」も、必ずしもイコールになるわけではない。

いろいろ偉そうなことを書きつつも、自分が全障害者の代表になんてなり得ないということはわきまえているつもりだ。

そして「障害者はかわいそうで不幸だ」とついつい断じてしまう人にも、やっぱりまぁ、それなりの事情があるのかもしれないので、

「えっと、本当に不幸かどうか確認…あ、そこまでしなくてもいいんですが、実のところは当人にしかわからないってことで」

と、やや弱腰の提言をしたい。
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