平成30年より施行された障害者による文化芸術活動の推進に関する法律
ようは障害者が行う文化芸術活動を促進するために、国や地方公共団体は積極的に施策を投じて行かなければいけないという内容です。
もちろん私はこの法律を最近知ったのですが、
その昔より、他者との関わり合いにおけるコミュニケーションに障害が生じている人は、
人間同士や自身と物質の間における自在的な距離の認知の仕方にずれがあることだと思うんです。
ありませんか?
富士山を実際に見てみたときに、思ってたよりもめちゃくちゃ大きくてなにか偉大な自然を感じたり、重量感のある時計や宝石をもった時に高級感を感じたり。
こんな小さいのにこんな重いのか、とか近くに立ったらこんなに大きいのか、とか人はそんな自分の想像を超える距離感のもとには畏敬の感情を持つんですね。
ただそのサイズ感に慣れ親しむと次にさらに大きな距離感があるものが来てもそれに恐れることは少なくなるんです。
距離感というとわかりにくいかもしれないので、夜道が怖くても、日中その道をみたら全然怖くなかったり、概算や見積もりともいえるかもしれません。
山の大きさに慣れるって、どうやってなれるかというと、山の質量分の土を運んでみたら慣れるのでしょうか?山の重さを図鑑で読めばわかるのでしょうか?
多分多くの人は、山に登ってその山の大きさに慣れるんだと思います。
山ももとをただせば地形なので、その地形は人間は歩いてしか制せないのでしょうかね?
ただ、富士山の山の大きさに恐れつつ尊敬の気持ちを持ってた人間が、足でそれを嫌というほど踏みしだくと、恐れや尊敬の気持ちが薄れて、自分の知ったものに落とし込めるってよく考えたら面白いですよね。
何が言いたいかというと、
知らないものに対して人は恐れがありますが、
そのものを「知る」という攻略法は、案外そのものとは関係ない知識がキーになってきたりすることが多いということです。
夜の廃墟が怖く感じたとしても、それを光で照らすよりも
その廃墟がもし自分の学生時代に苦楽を過ごした学生寮だという思い出があればあまり怖く感じなくなかったりします。
私は、直接的なコミュニケーションや慣れなどはこどもたちのもつ対人との間に生じる障害を根本的になくす効果は薄い気がします。
書きすぎたので次のブログでまたまとめます。
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23/08/21 15:41