友人と最近話していてガタカの話になりました。
ガタカはSF映画で、あらすじとしては
近未来、人類は人工授精と遺伝子操作により優れた知能・体力・外見を持った「適正者」と、自然妊娠で生まれた「不適正者」に分けられているという世界で、
一流の人間しか宇宙飛行士にはなれないなか、主人公のヴィンセントは不適正者であるにもかかわら宇宙に行く夢を諦めきれず、仲間の適性者から協力を得ながら、宇宙飛行士になるキャリアを築き上げてゆくお話です。
ガタカの世界では、適性者は社会を統治する人間として様々な特権が使えたり、社会制度が優遇されたりするため、人々はすべてDNA検査を受け、国に管理され、自分のIDがモノを言う世界になっています。
なので、転職先や何かを購入する際でもDNA検査や身分証明で自身のDNA情報の提示が求められます。
話は変わって、
いまや発達障害はこどもの10%といわれて、現代においても10人に1人は発達障害だというわけですが、
遺伝子操作によって作られた優秀な適合者によって社会の上層部が握られることや、肉体的にも知能的にも圧倒的な差がある人種間が社会的に優遇される設定はなんだか、放課後等デイサービスなどの事業に携わる人間として、残酷な類似性を感じざるを得ませんでした。
もともと軽度の発達障害の人間は10%くらい社会に存在して、ただ、社会がそれを認知していなかっただけなのは明白ですが
今の時代は、自身の知能指数的なものや特性を測って明確化させたがりますね。
社会構造といいますか、人々の趣向は映画ガタカと全く一緒ですね。
ガタカの中で一番感動的かつ意味のあるシーンは
主人公ヴィンセントの弟は適合者であり高い身体能力と知能を持ち合わせているのですが、彼は警察の捜査官であり、兄である主人公ヴィンセントが違法に宇宙飛行士になることを突き止めます。
弟は兄を止めるため、子供の頃にやった水泳競争を持ちかけ
単純な能力さを見せつけることで、兄の夢を諦めさせようとします。
しかし、ヴィンセントは弟に勝ち、自分の努力を証明し、自信を持ちます。
このシーンがとてもよく、人間の心理であり、デフォルメされた社会との関わり方を描いていました。
水泳と宇宙飛行士
水泳と人間性
知能と身体能力
幸福と能力
これらは、関わり合いがありそうで
それは勝手に人々が関係性を持たそうとしているだけで、本来は関係性があるモノではないんですよね。
もっとデフォルメしていうと、
ホットドッグの大食いチャンピオンだから東大にいるんだ!
くらい関連性がないと思うんです。
様々な要因が複雑に絡み合って、因果は結果に結びつくはずなのに、
現代社会に生きる多くの人は一基準で全て分かったかのような気持ちになれるんですよね。
水泳の勝負で勝てたから、遺伝的に優位性を持った人に他の分野でも私は勝てるんだ、と誇らしい気持ちをバネに希望を持つことや努力をすることができるんですね。
これは、ムー・インターナショナルスクールでとても大切にしていることと非常に似通っています。
ムー・インターナショナルスクールでは通うこどもたち全員に英語を得意として身につけさせますが、正直英語のスキルが彼ら彼女らの人生を便利にさせることや、彼ら彼女らの潜在能力が格段に上がることなどはありません。
ただ、本人たちはきっと、英語のスキルを褒められた時に
自分は誰かより優っている部分があると言う自信で
そのほかの技術や能力、人生を高めていこうと思えるのだと思います。
見たことのない方はぜひ、ガタカをご覧ください。
自信という言葉が、希望だということを感じられると思います。
ガタカ
おもうこと
23/09/30 01:28