「勝ち組、負け組」「イジメの根幹にあるもの」「謝れない人」
学生時代も、社会人になってからも、「勝ち負け」にこだわる人が回りにいました。
社会人になってからは、自分よりも評価の高い人や仕事ができる人に妬みを持ち、嫌がらせをしたり、裏で画策して人を陥れようとする人が実際にいるのだということを目の当たりにしました。
人を信じやすい僕は、今まで、いくつかの児童相談所の職場で、そんな目に遭っています。
ミスを見つけては、それを上司に報告したり、虚偽の報告をしたり、表でにこやかに接してくる裏側で、僕のことをメチャクチャに批判、非難していたり……。悪意を感じました。今でも、心の中では許していない人が数人いたりします。「文句があるなら、意見があるなら直接本人に言えよ」「コソコソするな」と言いたいです。
これは、明らかにイジメです。
何でそんことをするのか、僕は、その気持ちが分かリませんでした。と言うよりも、分かろうとする気がありませんでした。腹が立ったし、それ以上に「何でこんなバカなことを」とあきれる気持も強かったからです。
その時は、どういうわけか戦いませんでした。この人だろうと分かっていても、笑顔で接していました。追及し、責めれば、裏で数倍になって返ってくるということが予想できたこともあったからです。本当に情けない人たちだと、今も思っています。
しかし、考えてみると、僕も、小学校6年の時にある特定の子をイジメていました。
その記憶が蘇ってきました。えこひいきをする担任の「メンコ」「自慢の優等生」だという理由で、僕はその子をイジメました。
担任の先生への反発がありました。小6の子どもが大人の教師には勝てるわけがないから、その分身とも言える「お気に入りの子ども」を攻撃しました。また、その子への羨ましさや妬みもあったと思います。
そして、何よりも僕自身が弱かったのだと思います。自分が守られているという安心感は、その時の僕にはありませんでした。愛されているという実感はありませんでした。 親は自分にとっては脅威の存在でしたし、小5の時、唯一僕の良い面を評価し、親や他の教師の否定的な視線や評価から僕を守ってくれた担任の先生は、別の小学校に転勤になっていました。
そして、新しい担任(3年生の時にも担任)に僕はよく思われていませんでした。
「とんでもない奴」「悪ガキ」「非行児」と評価されていました。
卒業の時、その担任は母親に「このままだったらどんな人間になるかわからない」と言ったそうです。そのことで、母親の僕への教育や生活指導はさらにレベルアップしていきました。
だから、僕は寂しかったのだと思います。孤独だったのだと思います。一人で戦うしかなかったのだと思います。
「勝つか負けるか」の世界だったのだと思います。「負け」たら、自分の全てが否定され、自分でなくなるというような思いがあったかもしれません。
とにかく、必死に「負けまい」と闘っていたように思います。勉強もしました。担任の先生の自慢の子には負けたくはありませんでした。また、親からのプレッシャーも強かったです。テストでトップを取れないと怒られました。しかし、トップをとっても100点満点を取っても誉められたことは一度もありませんでしたが……。
勝ち負けにこだわる人、勝たないと安心できない人がいますが、僕も昔はまさにそうだったように思います。
僕は、小さい頃から小学生の頃までは、自分を守ってくれる人はいないと感じていました。雨が降っても、雪が降っても、風が吹いても、それを防ぎ、ぐっすり眠れる場所を、普通「家」や「家族」と言いますが、僕にはそういった安心できる「家」や「家族」はないと感じていました。
心の面で言うなら、僕の親は防波堤にも、商店街のアーケードにも、家の屋根にもなってくれませんでした。傘もさしかけてくれなかったかもしれません。
僕は一人で、外からの刺戟に抗するしかありませんでした。自分を守らなければいけませんでした。
勝つか負けるかしかありませんでした。支配するか支配されるかしかなかったと言えます。
「負けてもいいんだ」「失敗してもいいんだ」「叱られてもいいんだ」という安心感がありませんでした。勉強ができなくても、失敗することがあって、時にやんちゃをしても、「おまえにはいいところがちゃんとあるし、いいところも悪いところも、失敗も全部含めて、お前のことは好きだし、愛しているよ」「おまえはそれでいいんだよ」「一つずつ成長していけばいいんだよ」というメッセージを受け取ることができませんでした。
実際に親はそんなメッセージを発してもいなかったように思います。
故郷で過ごした時代、僕の写真を見ても笑っている写真はあまりありません。中学校、高校の頃の写真は全くありません。何故そうしたのか、今となってはちゃんと覚えていませんが、家の外で、他のものと一緒に写真を全部燃やした記憶が残っています。
この時代は、人に素直に「ごめんなさい」と謝れなかったような気がします。
自分が悪いと分かっていても、何故か謝れませんでした。「ごめんなさい」と言えば、済むことなのに、その一言が言えませんでした。そう言ってしまうと、自分がもうダメな人間だということを認めてしまうことになると思っていたのかもしれません。
親は守ってくれませんでしたな。と言うより、一番、僕を責めました。
だから、僕は自分を守るために嘘もつきました。演技もしました。心は、「いつバレルか」とドキドキでしたが……。
社会人になっても自分の失敗や非を素直に認められない人がいます。
一番でないと気が済まない人、常に上に立ち、支配していないと落ち着かない人は、基本的に謝らない傾向が強いと言えます。エリート街道を歩いてきた人に多いかもしれません。
表面的には、一応謝ったとしても、顔は明らかに紅潮し、緊張していたりします。
目はきついです。「本当に自分が悪かった」「申し訳ない」と頭を垂れる感じではなく、プライドを傷つけられて悔しいという表情をしています。
また、子どもに関して言えば、
僕が児童相談所で多くの子どもたちを見てきた経験からは、愛されすぎて、わがままに育った子どもも、謝るのが苦手なように思います。
親に愛されずに育った子ども、虐待を受けて育った子どもも、謝るのが苦手です。
彼らは、いつも、陣取り合戦をしています。領地争いをしています。戦国時代と同じです。いつ自分の領地が侵略され、奪われるかわからないという不安と恐怖と戦っています。他人を信用できません。
自分の身体や心を、安心して誰かに委ねるということができません。依存できません。
「人に負けてもいいいや」「勝ち負けが全てじゃない」「ミスしても仕方ない」という安心感がありません。
自分のありのままをさらけ出せません。バリケードを作り、時に、鉄条網を張り、外部からの侵入を防ごうとします。笑いは、作り笑いです。心から笑えません。
バウムテストの「アーケード冠」は、基本的には、このバリケードを意味しています。
棘状、針葉樹のアーケード冠は、鉄条網です。侵入者を攻撃に武装して戦おうとしています。彼らは、本当に姿をなかなか見せません。本心を見せません。鎧を着ています。
ある人に言われました。
「人は常に自分の考えに不安を感じている。他人からの情報や意見で、それまでの自分の主張が揺らいでしまうこともある」
「自己の信念を揺るぎないものにするために、知識や経験という鎧で身を固めていく」と。
たしかに、そんなところがあると思います。
ただ、今、僕はこんなふうに思っています。
大切なのは、鎧で身を固めていくことではないのじゃないかということ。
強固な鎧を身につけるのではなく、自分なりという一定の器というかまとまりを失わずに、そして、外からの刺戟をシャットアウトし撥ね返すのではなくて、それを吸収し、時に、自分がそれに合わせる柔軟な心を持つということが大切なのではないだろうかということ。
自分が色々な人に成り、そして、その中で、自分なりとか、自分らしさというものを作っていくことが大切なのではないだろうか。
どんなに強固な鎧を作ったとしても、それより強い強度を持った武器によって、それは簡単に打ち破られます。どんなに理論武装をしても、必ず上手はいます。天才はいます。また、揺るぎない考えなんてあり得ません。天才と言われる人も、有名な哲学者も、常にそれを求めつつ、それを叶えないまま死んでしまったのではないでしょうか?
色々な人、様々な考えを吸収し、そして、自分らしさを作っていくのが一番いいと、今、僕は思っています。
今も、僕はこの年令になっても、揺るぎない考えや信念なんて持っていません。いつも、「自分の考えはこれでいいのだろうか?」と不安です。特に、児童相談所の臨床については、絶対正しい答えというものはなかったからです。
児相の相談は、相手との関わりの中で進んでいきます。あるケースに対するやり方が、別のケースにも通用するとは限りません。失敗から学ぶことの方が、むしろ多いです。
また、児相臨床では、相談を受ける側、援助する側が鎧を着ていては、相談者も子どもも決して本心を明かしてくれないと僕は思っていました。
寄り添って話を聴き、受け入れ、共感しつつ、そして、時には、受け入れるだけでなく、こちらの意見や考えを真剣にぶつけていくことも必要だと思っていました。
相手が身にまとっている鎧が強固なとき、「北風と太陽」のように、何よりもまず、「そんなの脱ごうよ」と暖かい日差しを送り続けることが大切だと思いますが、それでも、相手が決心つかずにためらっているときには、自分の本音や意見をぶつけることも必要だと思っています。
★僕は3年半前に児相の仕事を辞めて、今は児童デイサービスで、毎日、たくさんの子ども達や、ご家族に関わらせていただいています。
★そして、今、僕は、いつもこんな思いで、子どもたちに関わっています。
⦿「こぱんはうすさくらが、子どもたちが依って立つ強固で肥沃な大地になって、子どもたちが強い雨や風を浴びても倒れないように支えてあげたい」
⦿「子どもたちが、その大地からたくさんの栄養を吸収して未来に向かって成長していってほしい」
⦿子どもたちが大地に立つ木だとすれば、僕たちスタッフは、たくさんの子どもたちの木が立っている「森」を守る人です。
・時に、害虫を駆除したり、幹や枝の表面が傷ついたりした時に、それを養生するするのが僕たちの役割です。
※僕は、大地であり、森を守る人でありたいと思います。
◆但田たかゆき
「勝ち組、負け組」「イジメの根幹」「謝れない人」
教室の毎日
23/10/18 22:41