無駄は許されない?「苦難を糧に」を強いた日々を脱して。障害は人と社会の間にあるのだから――私が発信し続ける理由

2020/02/10 更新
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随筆『人生は不可能性の発見』との出会いにより、「失敗やできないことは悪ではない」という視点を持つことができた私だが、「できないことが多過ぎる」自分自身を、すぐに受け入れられたわけではない。生きづらさを抱えた多くの方々同様、自己否定感にさいなまれていた。

今回は私なりの「自己肯定感」の定義と、自己肯定感を得られない心の背景について考えた。

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鈴木希望
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「自分最高!」と思えなければダメ? 私が思う「自己肯定感」とは

さて、前回紹介した『LITALICO仕事ナビ』の記事だが、実はタイトルを見て一瞬固まった。なぜなら私は自己肯定ができているつもりだからだ。
発達障害=天才?「凡庸な自分」も「息子の存在そのもの」も肯定する――才能探しに苦しんだ小学時代に出あった言葉と、いま願うことのタイトル画像

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発達障害=天才?「凡庸な自分」も「息子の存在そのもの」も肯定する――才能探しに苦しんだ小学時代に出あった言葉と、いま願うこと

「自分には特別な才能などない」と自覚することは、「自己肯定感低め」という判断につながってしまうのか。いや、それは自己肯定感ではなく、相対的な「自己評価」の間違いではなかろうか。なんにせよ私は、「特別な才能などない」自分を受け入れている。

しかし、文面はほぼ初稿のままであるし、タイトルには「ターゲットに届きやすいように」という意図があるのだろうし、「自己肯定感低め」が私を指していると断定はできないため、異論は述べなかった(おそらく、「自己肯定感低め」とされる人がターゲットになりそうな文章であるからあのようなタイトルになったと私は解釈しており、不満はない)。
タイトルの件はさておき、「私はすごい!素晴らしい!天才!」という万能感があってこそ「自己肯定感が高い」と判断される風潮に、私は疑問を抱いてきた。「私はすごい!素晴らしい!」と賞賛できることこそが肯定ならば、「すごくないし素晴らしくもない、天才とも思えない自分」がチラついた途端、自己否定に繋がってしまわないだろうか。それが私の杞憂であったとしても、「自己肯定感は万能感に裏づけされるもの」というのは、どうにも納得がいかない。

ここで「自己」と「肯定」、そして「賞賛」、それぞれの言葉の意味を調べてみよう。

じ‐こ【自己】[名]
1 おのれ。自分。自身。
2 自我。

『新選国語辞典[第六版]』(小学館)

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4095014083/

こう‐てい【肯定】[名](他サ)
1 そうだと認めること。⇔否定。

『新選国語辞典第六版』(小学館)

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4095014083/

しょう‐さん【賞賛・称賛】[名]賞×讃・称×讃(他サ)
ほめたたえること。

『新選国語辞典第六版』(小学館)

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4095014083/
この言葉どおりに捉えると、「自己肯定」とは「自分をそのとおりであると認めること」という意味になる。すごくなくても素晴らしくなくても、ましてや天才だとは思えなくても、自分は自分である。賞賛も肯定の一部ではあるが、イコールではない。

現在の私は、自分を賞賛できずとも肯定はできており、不燃ごみを3週、びんと缶のリサイクルを2週連続で出し忘れているのだが、「こんなこともできない自分は駄目な人間だ」と落ち込んだりはしない。「駄目な人間かもしれないけれど、次回出せたらまあいいじゃん」と思っている。次回は出したい。次回こそは。

「苦難を糧に」――無駄を「無駄」と言えない空気に追い詰められた私

さりとて「すごくないし素晴らしくもない、天才とも思えない自分」をそのまま肯定するのは容易ではない。私も、大島渚氏の随筆を読んですぐに自己肯定感を得られたわけではなく、何十年もの時間がかかった。あるかどうかも分からない自分の非凡性探しを、長い間諦めきれずにいたのだ。当たり前だ、とかく今の世は「役に立たない」物事や人に厳しすぎる。

『発達ナビ』始動から4年、休みつつもこちらで執筆を続けているのは、「障害は人ではなく、社会の側にある。」という前提の下に掲げている「障害のない社会をつくる」というビジョンに強く賛同しているからだ。生きづらさを抱えている人自身に問題があるわけではなく、社会との間にずれがあるから、障害が生じているのだと私は考えている。これは発達障害に限った話ではなく、障害という診断の有無も問わない。

誰しもそうであるように、私だっててんかんや発達障害であることを自ら選んだわけではない。気づいたら、たまたまハンディキャップとなる特性を持っていただけだ。そう、たまたまでしかないのに、たまたま「普通」にできないことが多かっただけなのに、敗北感や挫折感、時として「自分は世の中の役に立たない、無能な人間だ」と自分を強く否定する事態に見舞われた。そして、「敗北感や挫折をも糧にして、成長すればいい」と言われるたび、「体験を糧にできない自分は、無能のみならず救いようのない人間なのではなかろうか」とさらなる自責を繰り返した。自己肯定感どころの話ではない。自己賞賛なんぞ、夢のまた夢。

そしてこれは、あらゆる「生きづらさ」を抱える人たちの多くに共通する体験であるのだと、『発達ナビ』での執筆を始めて知ることになった。

理不尽だと憤りながらも、何もできずほぞを噛んでいた私は、「まさにそうだ!」と是認の思いで叫びたくなる文章に出会う。

「ナンバーワンでなくても良い。オンリーワンであれ!」
素晴らしい。
しかし反面、
「オンリーワン、……結局、何かしら特別でないと駄目なのか……」
と恐ろしくもなる。
殆どの人間は、ナンバーワンでも、オンリーワンでもない。
本当は、何も取り柄が無い人間だっている。
無駄や失敗に塗れた日々を過ごす人間も少なくない。
そんな人間が、ただ生きていても、責められることがない社会……それこそが正常だと僕は思うのだ。

「文庫版あとがき」『ヒキコモリ漂流記[完全版]』収録(山田ルイ53世著/角川文庫)P261-262より

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041062373
上記はお笑いコンビ「髭男爵」の山田ルイ53世氏の著書『ヒキコモリ漂流記[完全版]』のあとがきからの引用で、山田氏はインタビューや講演会でも、同じ旨の言葉を繰り返している。10代のときに6年間の引きこもり生活を経験した氏は、その期間を「(自分にとっては)完全に無駄だった」と断じている。すると「その6年間があったからこそ、今の山田さんがあるんですよね?」と、「はい!あの日々が今の糧になっています!」という一言を引き出そうといわんばかりの質問が飛んでくるのだそうだ。「あくまでも自分の感覚ですが」との前置きをしても、「いや、無駄でした」との答えはすこぶる不評らしい。

確かに、はた目から見た山田氏は、その6年間について語ることで執筆や講演などの仕事を手にしているのだから、無駄ではないように感じられるだろう。しかし、「得られたかもしれないものが得られなかった6年間」を振り返ったとき胸に去来する思いは、山田氏にしか分からない。

話は逸れるが、私は過去にそこそこの大病を患ったことがある。命に別状はなかったが、まあ、自分なりには大変だった。それを知った知人から「でも気づきや学びもあったでしょう?何事も経験だよね!」とキラキラした笑顔で言われたとき、「なぜそんなことを君が決めるのだ」という言葉が喉元まで出かかった。
山田氏の「無駄だった」という発言に対して、「いやいやそんなことはないでしょう!」とばかりに明るい言葉を引き出そうとするのも、もしかしたら似たようなことなのかもしれない。当の本人が「無駄」と言うなら、周囲が躍起になって否定することはないように思える。

どうも、世間の大部分にとって、人生に“無駄”があっては拙いらしい。
何しろ、本人が、無駄だった、失敗だったと断じていることでさえ、
「そんなことはない!」
「それを糧に成長すればいい!」
と、なにがなんでも意味を与えようとするのだ。
まるで、“意味の松葉杖”無しでは歩けない怪我人である。
そんな“無駄を許せない空気感”こそが、人々を追い詰めているのではなかろうか。
大体、皆が、キラキラした人生を送れるわけではないし、そんな必要も義務もない。
全員が何かを成し遂げ、輝かしいゴールを切ることなど不可能である。

「文庫版あとがき」『ヒキコモリ漂流記[完全版]』収録(山田ルイ53世著/角川文庫)P260-261より

出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041062373
本当にそうだ。私は深くうなずいた。

『仕事ナビ』では、ポンコツながらの職業経験が糧になったと書いたが、人生全般は「全てが糧になっている」とは言い難い。てんかんや発達障害を含めて、苦難を経験したからこそ見える風景は確かにある。だからと言って、「あの経験があって良かった!」とは思えない過去もたくさんあるのだ。

「苦難を糧に」という言葉に従おうとしたころの私は、糧に糧にと必死になるあまり、自分の心の傷に向き合うことができていなかった。「無駄だった。あんな経験したくなかった」と素直に言えるようになって初めて、事実を事実として受け入れ、前を向けるようになった気がする。そこからようやく少しずつ、自分という存在を肯定できるようになった。実のところ、疲れが溜まっているときなどは、自己否定感が頭にちらつくことが今でもある。まだまだ完全に回復はできていない。

人生に無駄があったっていい。苦難を糧にできなくてもいい。そこも含めてこその自分だと今は思えるし、何を糧にするかは自分で決めたい。そして、糧にするものが、必ずしも苦難である必要はないのだから。

「特別な才能」や「役立つなにか」を持たなくても、許される空気になれば。そのために私が今できること

テレビなどの発達障害特集では、特別な才能を持った当事者が多く紹介される。分かりやすい「天才」当事者を掲げることで、「発達障害」を知ることへのハードルを下げたり、発達障害当事者のご家族の不安を和らげるなどの狙いもあるのだろう。でも、こうした特集を見て「発達障害児者=天才」説を、なぐさめの言葉として採用する人が存在し、その言葉を受けて、息苦しさを募らせる当事者が少なくないことも事実だ。

番組についての意見は各局の視聴者窓口に投稿するとして、地方に住まう無名のライターに何ができるのかを考えてはみたのだが、凡庸な私がきらりと光る鋭いアイディアを思いつけるはずもなく、多くの人が実践できるような「自己肯定感の作り方」などを語るすべも持ち得ない。毎度ながらの「延々とぼやいて解決策なし」へと着地してしまいそうだ。

「不可能の発見」を繰り返して、手のひらに残ったものが「役立つなにか」じゃなくても、できないことだらけでも、誰にも責められず、自分を責めることもない――それが当たり前の世の中になれば、誰かの、自分を否定するかたくなな心がほどけることもあるのでは、などと思っている。とはいえ、私にできるのは些細なことでしかない。「糧にもできなかった無駄な体験」や、「特別な才能がなくても、人と社会の間に生じる“障害”について語ること」を、まずは私が許容し、これからも私なりの言葉で、失敗体験も含めて発信していきたい。

早速だが、私は不燃ごみ、びんと缶のほか、週3回出せる可燃ごみを3回出し忘れていた。今日こそ出すぞと意気込んでいたのだが、朝ごはんづくりに夢中でまたもや出し忘れてしまった。次回こそ出したい。次回こそは。
ヒキコモリ漂流記[完全版]
山田ルイ53世
角川文庫
理屈はいい こういう人間が愚かなんだ―自分という素晴らしい財産へ
大島 渚 (著)
青春出版社
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