大人になってからだんだんと理解ができるようになった、母のやさしい選択
あれから25年が経ちました。今なら重度障害のある兄だけを連れていった母の気もちが分かる気がします。
母はできる限り家族それぞれがその人らしく暮らせる選択をしたのだと思います。
もし仮に母が私たち(姉と私)を連れて出ていってしまったのなら、姉は自分のために働くのではなく家族を養うために働かなくてはなりませんし、私は高校生という立場の中、ヤングケアラーとなり、外での生活(学校や交友関係など)を楽しむことも、その先の進路などを見据えることも難しかったのではないかと思います。
母はできる限り家族それぞれがその人らしく暮らせる選択をしたのだと思います。
もし仮に母が私たち(姉と私)を連れて出ていってしまったのなら、姉は自分のために働くのではなく家族を養うために働かなくてはなりませんし、私は高校生という立場の中、ヤングケアラーとなり、外での生活(学校や交友関係など)を楽しむことも、その先の進路などを見据えることも難しかったのではないかと思います。
大人になって、母の感じた重圧や不安に気づき思う「十分頑張ってくれた」
母はきっと寂しかったのだろうと思います。
障害児育児、他人との関わり、自分の体(足に持病があります)が以前より思うようにいかないもどかしさ、寄り添ってほしい身近なパートナー(父)とのコミュニケーションの難しさ(父は生まれつき片耳が聞こえません)。
ライフステージが変化する中で、持病がある中さまざまな重圧や不安を日々感じながら3人の子どもを育てていたという事実を想像しました。
それは、現在の私とは比べることもできないくらい大変だったことだろうと、今なら簡単に想像がつきます。
母が家を出てからの20年間は、紆余曲折ありました。
(兄は今から18年ほど前から障害者支援施設に入居することができたため、兄の生活が安定しました)。
その20年の間に、母の統合失調症が悪化し、入院したことは何度もあります。
そして、現在は母が脳梗塞でなくなって5年が経ちました。
障害児育児、他人との関わり、自分の体(足に持病があります)が以前より思うようにいかないもどかしさ、寄り添ってほしい身近なパートナー(父)とのコミュニケーションの難しさ(父は生まれつき片耳が聞こえません)。
ライフステージが変化する中で、持病がある中さまざまな重圧や不安を日々感じながら3人の子どもを育てていたという事実を想像しました。
それは、現在の私とは比べることもできないくらい大変だったことだろうと、今なら簡単に想像がつきます。
母が家を出てからの20年間は、紆余曲折ありました。
(兄は今から18年ほど前から障害者支援施設に入居することができたため、兄の生活が安定しました)。
その20年の間に、母の統合失調症が悪化し、入院したことは何度もあります。
そして、現在は母が脳梗塞でなくなって5年が経ちました。
母のことを思い出すと、「幸せな人生を送れていたのだろうか?」といまだに思ってしまいます。私自身答えはきっとこの先も出せないだろうと思います。
ただ、きょうだい児だった私の立場として、母から得たものはたくさんあります。
自分のことは優先してもらえることはなかった気がしますが、母は私を一方的に叱ったりする人ではなかったし、私の人生を否定することは一度もありませんでした。
もし私がきょうだい児として、兄と違った関わり方を母に強要されていたのなら、私は自分の人生の意義を見出せなかったり、兄のことも今のように、大事に思えなかったのかもしれません。結婚もしていなかったのかもしれませんし、そうすると、主人や子どもたちに出会えていなかったことでしょう。
今の自分はおそらく、発達障害のある子どもたちとさまざまなことに遭遇しながらも、楽しく暮らせている気がします。それは、幼少期より私の母が暖かく見守ってくれていた賜物ではないかと思うのです。
母が十分、頑張って私たちを育ててくれた。
そんな母が、もし仮に「自分のキャパを越えて頑張り過ぎた(もしくは、我慢しすぎた)結果、心を病んでしまった」のであれば、私はこの母の経験をもとに、自分の人生では、「自分がもっている能力以上に頑張る必要はない」という答えにたどり着きました。
今まさに、障害児育児を頑張っている方に、私と母の経験から、「頑張りすぎないで」「自分を大事にして」と心から伝えたいです。
執筆/スガカズ
ただ、きょうだい児だった私の立場として、母から得たものはたくさんあります。
自分のことは優先してもらえることはなかった気がしますが、母は私を一方的に叱ったりする人ではなかったし、私の人生を否定することは一度もありませんでした。
もし私がきょうだい児として、兄と違った関わり方を母に強要されていたのなら、私は自分の人生の意義を見出せなかったり、兄のことも今のように、大事に思えなかったのかもしれません。結婚もしていなかったのかもしれませんし、そうすると、主人や子どもたちに出会えていなかったことでしょう。
今の自分はおそらく、発達障害のある子どもたちとさまざまなことに遭遇しながらも、楽しく暮らせている気がします。それは、幼少期より私の母が暖かく見守ってくれていた賜物ではないかと思うのです。
母が十分、頑張って私たちを育ててくれた。
そんな母が、もし仮に「自分のキャパを越えて頑張り過ぎた(もしくは、我慢しすぎた)結果、心を病んでしまった」のであれば、私はこの母の経験をもとに、自分の人生では、「自分がもっている能力以上に頑張る必要はない」という答えにたどり着きました。
今まさに、障害児育児を頑張っている方に、私と母の経験から、「頑張りすぎないで」「自分を大事にして」と心から伝えたいです。
執筆/スガカズ
(監修:三木先生より)
つらいことがあったとき、子どもは結果から理由を類推するしかありません。スガカズさんのように「いい子だったからいけないんだ」という解釈になってしまうことがよくあります。でも大人になって初めて「自分は悪くない」ということが分かることもあります。それもきっと、お母さまがお母さまなりの見守り方をしてくださったからなのでしょうね。
つらいことがあったとき、子どもは結果から理由を類推するしかありません。スガカズさんのように「いい子だったからいけないんだ」という解釈になってしまうことがよくあります。でも大人になって初めて「自分は悪くない」ということが分かることもあります。それもきっと、お母さまがお母さまなりの見守り方をしてくださったからなのでしょうね。
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