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あまりちゃん
自閉症スペクトラムと診断されている大学生の母です。
私自身も未診断ですが、たぶん発達障害だろーなって感じのアラ還です。
なんでこんなに生き難いんでしょうかね。
自分の事は諦めがついていたはずなのですが、娘の成長と共に、若い頃のツラい記憶が上書きされて、けっこうシンドいです。
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約7年前 違反報告
学校ってたいへんだったなぁー、とアラカンのおばさん思い出しました。給食当番と日直ができなくて(他にもイロイロあったけど)あんまり学校行きませんでした。身体が弱い事もあつて不登校にはカウントされてなかったみたいです。
そこそこ勉強はできたので、個性の強い子扱いだったのかな?イジメられた事もあったらしいけど(?)あまりに低次元だったので、イジメで学校行けないは、無かった気がします。
今になってみると、どこをどうやって(通りいっぺんのことだけでも)人並みにできるようになったのか自分でも、不思議です。
ただどんな些細な事も、いちいち回りの人を見よう見まねして失敗しないように、気を張って努力した時期も有った事を今、思い出しました。
自分語りスミマセン。
Yes
子どもたちは(ワレワレハウチュウジンダ)ってやってたな。あと、指で羽を止めたり、真ん中の丸い所にクレヨン押し付けて塗ったり、今思うとけっこう危ない遊びしてました。
7年以上前 違反報告
幼い時に得意な事を見つけて、自信を付けるのはとても良いと思います。それを足場に苦手な事も少しずつ、できないのが目立たない程度に工夫して、できるようになると良いですね。
お子さんが小さい頃は親がフォローできることもたくさんありますが、発達障害は一生ものです。子どもの成長は待ってくれません。ある程度、自分の資質が理解できる年齢になったら、苦手な事も何とか誤魔化せる(いい表現ではないです )くらいになれれば、本人も幾分生きやすくなるのかと思います。
世の中障害があるから仕方ない……と思ってくれる人ばかりでは有りませんよ。まして外見でわかる障害ではないのですから。
キツい事を言うようですが、自分が直面している問題です。子どもか“子ども ”でいる時間は通り過ぎれば、あっという間です。
7年以上前 違反報告
いつの頃からか、自分の心にはプリズムが有って、他の人には真っ直ぐに見えるものが、歪んで見えるみたいだと思うようになりました。だんだん生きる為のテクニックを身につけて、人並みに親になりました。
心のどこかで、自分の子どもにはプリズムが無いことを願っていました。どこか変わった所は有りましたが、私自身から真っ直ぐに見えていました。が……。
発達障害という知識を得た時、自分が悪いんじゃないんだ!生きにくいのは正当性(?)があったんた。と、物凄く解放された気持ちになりました。
でも、それだけの事です。ある程度は、経験則で子育てに対応できたとは思いますが、実際の生きにくさは変わらないし、子どもには子どもの人生があって、ツラい事を変わってやる事はできないのです。
発達障害なんて知らなくて、頭は悪くないんだから、普通にできるでしょ?って、育てたほうが善かったのかな?と、今は思ったり思わなかったりしてます。
気力で!乗りきる。と言いたいけれど、グダグタになります。全身、重痛いです。若い頃は何とかしてたんだな~、と思うと自分の健気さに涙がでます。